world race report 2005.5. Tour de Pays de Caux 2005 「2年目のペイ・ド・コー」 |
お待たせしました〜5月に参加したフランスでのロードレースのレポートです。昨年は概況をご報告したので、今年は6戦あるレースそれぞれを実況したいと思います。ちょっと長いですが流し読みにでもなさって下さいね〜。 |
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昨年のこのレースで2位入賞したことから、「リベンジをしておいで。」と再びフランス・ノルマンディーでの4日間連続6レース合計90キロを走るツールのレースに派遣していただいた。日本選手団は団長と選手3名、ランナー3名とも再派遣のメンバーである。今年は夏に広島〜長崎間を走る反核平和マラソンにフランスから7名を迎えるという重要な年の交流となっている。 フランス到着は5/1、ゴールデンウィークに入って急に気温の上がった日本から移動していったが、パリも同じく暑さを感じるくらいだった。すぐに迎えのスタッフ方々と合流でき、送迎のバスに乗り込む。早速昨年も参加していたランナーたちに出会い、「ヒロコ、ヨク来タネ。」と再会を喜び合い、お互いの近況を報告しあう。とても緊張していたにもかかわらず時差ぼけで眠りこけてしまった初参加の昨年とは異なり、最初からハイテンション。 北西に進路を取ること約2時間半余り、ノルマンディーの牧場地帯の中に築100年は経っているという石造りの3階建ての宿舎に到着した。ここがレース終了まで1週間の滞在拠点となる。細いせせらぎをはさんで向かいには小高い丘。空気は澄んで日差しは強くまぶしいくらい。2段ベットや3ベットルームなどユースホステル風の宿舎で1階が食堂、2階と3階が居室になっていて、2階には共同のシャワーが2箇所のみだが、3階に与えられたわたしたちの居室にはちゃんとシャワーがついていた。日中は暖かいが、陽が落ちると急に冷えこんで寒暖の差が大きい。 レースまでの間、午前中は体調管理のためのフリータイム、自由にジョギングに出かけたりして過ごす。午後には主催者側の手配で近くの観光や工場見学など。わたしたちを招待してくれているフランスのスポーツ連盟・FSGTはフランスの大手自動車メーカー・ルノーの労働組合が母体となったスポーツ組織が発祥とのことから、ルノーの工場を見学に行った。ちょっと堅苦しい見学ツアーだったが他国のランナーたちも一緒、「見学ガ終ワッタラドノ車ヲオ土産ニクレルノカナア。」「陸ツヅキダッタ乗ッテ帰レルケド、私タチハ海ヲドウヤッテ渡ロウカシラ。」「海底トンネルダヨ。」などと適当に冗談話をしながら工場内を廻ったりしていた。 ![]() 3日の開会式を経て、レースは4日の午後6時、15.6キロを走る第1ステージから始まった。各国からのランナーが国旗を持つ子供たちの先導で紹介され、日本の国旗を持ってくれているのは昨年から日本選手団のファンであるというマリーちゃん。「JAPAN・OGAWAがんばって・まり」とひら仮名交じりの手描きのTシャツで応援してくれる。日本を出る前には多忙で体調が悪く、「12時間も飛行機に乗っていたらエコノミー症候群で死んでしまうのでは?」とこのわたしが心配していたのだが、走り終えてびっくり、昨年よりも20秒ほど早いタイムでゴールしていた。初戦を意識しすぎて最初から突っ込みすぎた昨年のレースの反省から、5.2キロのコースを3周回廻る中でイーブンベースを心がけたことと、涼しいめの気候が幸いしたようだ。調子を整えて練習することが出来ないままここにやってきたが、自分のペースを守ればレースは出来ることを確信したわたしは初戦で2位につけていた。 2日目は午前中にハーフマラソン+午後にスーパーフラットの10キロと一番ハードな日程。レースの流れを決める大事な一日だ。昨夕の一戦でもうすでに脚はパンパン。アップをしていてもジョギング以上のスピードで走れそうにない。それでも走らなくてはならないハーフのレースは10時スタートで大きなアップダウンのある牧場地帯のコースを2周する。どう見てもわたしの今の力では1時間32分が順当なところ、今日もイーブンペースを心がけた。女子トップを見送り、順当過ぎるほど順当な走りで目標どおりのタイムでゴール。トップとの差は3分に開いた。 宿に帰ってランチビールが適当にまわってうとうとと小休止を取る。ここでぐっすり寝入ってしまうと筋肉が緩みすぎてしまうので、ベッドの上で横にはなっているけれどもお互い何かしゃべりあったりして適度なまどろみを保っている。トップとの差が更に開いたところで、いつも声をかけてもらうスタッフのオリビエからもアドバイスを受けた〜「ヒロコ、ガンバッテイルケレドモ女子トップノヴァレリーハ過去ニコノレースデ優勝争イヲ何度モシテイル実力アルランナーダヨ。チョット勝チ目ハナイカモネ・・・彼女モ40才代ダケドネ。」「エエ、一緒ニ走ルナカデ彼女ノ走力ハヨクワカルワ。ワタシハ自分ノベストヲ尽クスダケネ。」 次のレースは19時スタートの10K。日差しはまだまだ明るく、日本の感覚で昼下がりくらい。レースの会場も移動して、また新たな気持ちでアップをするのだがやはり脚はパンパン。とても流しどころではない。いつも声を掛け合う男子選手らと「Good Luck!」と健闘を祈りあいスタート地点に着くと、ちょうど女子トップのヴァレリーを確認することが出来た。おそらく彼女は大差をつけている2位以下の選手のことなど気にしていないだろう、誰が2位かも意識していないに違いない。私は大胆不敵にも「初メマシテ、日本カラ来タヒロコデス、今2位ニ付ケテイマス、ヨロシクネ。」と彼女に握手を求めるのである。なぜか大きな闘志が湧いていた。スタートしてすぐに彼女は男子ランナーと大きな集団となっていた。地元ランナーなのでペースメーカー的な男子選手のようだ。今までの二戦では最初から付いていくことも出来なかったが、今回の私は一歩も譲らず併走していた。集団の中でひじがぶつかり合うくらいの緊張感。彼女も完全に私を意識し始めたようだ。そのまま6キロを過ぎるところまでずっと粘っていた。風が舞っていたので私も彼女も適当に男子選手の陰に入ったりしてお互いを伺っていた。そして男子選手がばらけ始めたとき私の身体も前へと動いた。Just wish to win・・・ただ、勝ちたい気持ちだけだった。ゴールして過呼吸で倒れ込まんばかりの私を両脇から抱えてくださっているスタッフとのショットがweb-siteに載っている。昨年のタイムを30秒以上上回る38分25秒はシーズンベストである。一気にトップとの差を2分少々まで詰めた。 レース3日目午前の第4ステージは、これまでの持ちタイムの遅いランナーから30秒毎の時間差で単独スタートする個人戦だ。9時半に最初のランナーがスタートして、私のスタートは11時半ば。この時間をいかにリラックスして過ごすかが肝心だが、「ヒロコ、コッチデ一緒ニ過ゴソウ。」と誘ってくれる仲間がいて有り難かった。少し心配していた曇り空の天候も回復してきて、自分のレースだけに集中して私は8.4キロの丘陵地帯をぐるり一周するコースに出て行った。コース最初で子供たちが国旗を持って応援してくれていたりするので気負ってしまい後半失速したレースだったが、ここでまた女子トップとの差を15秒縮めた。 「ヒロコ、イヨイヨレースヲヒックリ返スカナ?」「ミンナトップノフランス人女性ヨリモ日本ノヒロコノコトヲ応援シテイルヨ。地元ノミンナモ応援シテイルヨ。」〜第5ステージは19時15分スタートの14キロ。武者震いするような気持ちで送迎バスから会場に降り立った。宿舎から一番近い会場で、何度か事前にジョグでふらりと風景を見に来ていたが、レース設営が整うと別の街区のようだ。横断幕にバルーンアーチ。立派なステージ。6箇所ともレース会場が異なるなかで、設営も準備も万全だ。 会場に貼り出されたこれまでのステージレース集計に多くの人が集まっている。男子のほうはまさに熾烈な、4秒差でモロッコ選手にトップが入れ替わり、更に次のレースで8秒あけてアルジェリア選手がトップに返り咲く、という一戦も落とせないデッドヒートが展開されていた。が、わたしの力はここまで、セーヌ川沿いを走る景色も慰みにならずアップダウンと街区の足場の悪さに苦しみ、スタートして5キロも行かないうちにずるずると後退、多くの声援を受けながらも不甲斐ないフィニッシュとなってしまった。 宿舎に戻って遅いめの夕食をいただく。夕刻にレースがあるので夕食はいつも9時を廻ってから。けれども日暮れが遅いのでやっと日が沈むくらいでまだあたりはほの明るい。翌日、最終日のレースは午後からなので、この日のディナーはみんなリラックスしてそれぞれ御国自慢のお酒を酌み交わしたりして、夜は更けていく。明日のハーフのレースで順位がひっくり返ることはほとんどありえないけれども、レースへの闘志を保ちつつ皆とグラスを空けていた。良くここまで戦ってこれた、あと一戦、何とか走り切りたい。ほろ酔い気分ではしゃいでいる他国のランナーもきっと同じ気持ちに違いない。 ![]() ![]() 6レース中最大の難コースといわれている最終日21.1キロは、最初の10キロは気持ちよく下るのみ、中盤すぎに砂利道あり、16キロを過ぎて急激なのぼりが待っている。ジョグともつかないよちよち歩きのウォーミングアップをしていると何度も女子トップのヴァレリーとすれ違いお互い会釈をする。彼女についていけるところまで行って、チャンスがあれば勝機を伺う作戦だが、わたしはとても落ち着いていた。先に時間差スタートする持ちタイムの遅い選手を見送り本レースを迎える、今日も風が舞っている。 スタートしてすぐにヴァレリーの集団につけていた。下りが得意のわたしだが、身体の動きが悪くスピードに乗っていかない。やはりこれまでの5戦の疲れが相当出て来ているようだがこれは皆お互い様のはず。下りでじりじりと離されかけたが、風が強いので単独で走りたくない。遅れ気味になってしまったわたしに、地元の男子選手が「ボクノ後ロニ入ッテ。」と風除けになってくれるジェスチャー。前の集団に付きたがっているわたしの意図を見て取ったのか「慌テナクテイイ、ユックリ追イ付ケバ良イカラ。」とこれまたペースメーカー役も買って出てくれ、じっくりと走りを確認しながら中盤までには集団に戻ることが出来た。砂利道や大きな水溜りがあったりして、身体のバランスをとるのに苦心しながらじきにわたしは集団の前に出ていた。 決してのぼりが得意ではないのだが、ここで離すことが出来れば、と次ののぼりで一勝負である。集団の先陣を切って坂に差し掛かり、そのまま上りきった・・・、後続は余り離れていないと自覚していたが、あっけなく並ばれ、抜き去られた。しっかり前を見ているがその背中は遠ざかるのみ。街区に入ると風は壁のように感じる向かい風。順位はもう決まっていたが守りのレースにはしたくない、最後まで自分の走りをしたい、かけがえのないこの一戦を大事にしたかった。 ![]() ![]() フィニッシュラインに飛び込んで、本当に満ち足りた気分でいっぱいだった。一人一人の名前をアナウンスして迎えてくれるこのフィニッシュ、手を取り合ってゴールする人もいるし猛然とダッシュしてくる人もいる。4日間のこのレースを戦ったランナー、支えてくれたスタッフ、沿道で声援を送ってくれる地元の人たち、すべてが大きな家族のように感じた。この気持ちを共有したくてわたしはフィニッシュゾーンに長い間とどまり、後続のランナーを拍手で迎えた。疲れ切って倒れこむようにゴールする人もいるけれども、みんな笑顔だった。たくさんの笑顔が心に沁みていって、自分が完走したときよりも嬉しくなってきていつの間にか目が潤んできていた。ランナーもスタッフも地元の人も皆、走ること、それを支えること、応援することだけに集中した4日間だった。 ![]() 国が違えど、人種が異なれど、走ることが好きだという気持ちはみな共通だった。フランス語はちんぷんかんぷんだけれども、走る姿はなんとわかりやすいボディランゲージだろう。速く走ることを目指す人、自分のペースを守って完走することを目指す人、競歩の人もいたが、皆が同じランナーという人種であり、走ることをとことん楽しめるのである。 最後になりましたが、2年連続派遣の大抜擢をいただき、送り出してくださった新日本スポーツ連盟本部と全国ランニングセンターのみなさま、いつもわたしを支えてくださっている大阪ランニングセンターのみなさま、そして新日本スポーツ連盟とフランスFSGTスポーツ連盟の引き続きの友好に感謝し、さらに今回ご一緒させていただいた日本選手団の皆さま、そして現地でお世話になったすべてのみなさま、昨年度よりもさらに深まったすばらしい経験をさせていただき、本当にありがとうございます。自分のなかだけにとどまらず更に発展的経験につなげていくことが出来るよう、これからもランニングにかかわって行きたいと思います。 |
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《スポーツのひろば》に載せていただいた原稿はこちら↓↓↓ フランスでのレース、「ペイ・ド・コー」2年連続派遣となった私を「あんたしか行く人おらん。与えられたチャンスを最大限に生かしておいで。」と、大阪の所属クラブのみんなは快く送り出してくれた。初参加の昨年は、「4日間連続で合計6レース90km以上を走れる走力があること&外国人選手と交流を深める気持ちのある人」という参加条件に自ら挙手をしたが、今年は全国RCから大抜擢をいただいた。 走ることが好きな気持ちは世界共通であること、そんなランナーを無条件に支え、応援してくれる人々の気持ちもまた万国共通であることを感じている私は、ペイ・ド・コーがどうしてこんなに魅力的なレースなのかをもう一度出かけていって検証することになったのである。そのためには自分のベストパフォーマンスを。自分の脚でしっかり走り、楽しんでランナー生活することはいうまでもない。 私たちを招待してくれているフランスのスポーツ連盟・FSGTは当国の大手自動車メーカー・ルノーの労働組合が母体となったスポーツ組織が発祥とのことだが、今では所属クラブ4200、会員数2万名を超える大組織である。その中の1ランニングクラブ、クラブコショワが主催するのがこのロードレースである。ツールの参加者は総数300名程、外国からの招待選手が30名程。女性登録者は27名でその参加数が増えてきたとのこと。わずか1割にも満たない女性参加者だが、やはりこのレースに参加してくるランナーはツワモノ揃い、それが女性となるとさすがに輝いている人ばかりで目立つのは女性ランナーであり、同性であることから話も弾み共感と刺激を受けることが出来た。 そんな私達を支えてくれるのが、クロード会長率いるコショワのスタッフ達。そして協力してくれる地元市民、文字通りの老若男女、名士から子供にいたるまでスポンサーとなりボランティアとなり自分たちの出来る方法で私達に声援を送ってくれるのである。そして自ら先陣を切るのが会長その人〜ランナーの起きだす前から宿舎にて朝食を準備下さり、レース会場ではマイクを携え名前を呼んでフィニッシュを迎え、さらに夜9時を廻るディナーでのコミュニケーションも怠らず、私達の体調確認をして下さる。選手一人一人の性格まで把握して下さっているのである。その会長を支え盛り立てている周りのスタッフの人たちも同様に素晴らしい。そんな人たちに囲まれて、4日間連続で6レース、疲労困憊に陥りつつも走り通せるのは、多くの人たちとの出会いが私を力づけてくれるからであった。 このレースにかかわっている人たちすべてが大きなファミリーのように感じることが出来る。なんと大きな家族なのだろう。ランナーもスタッフも地元の人も皆、走ること、それを支えること、応援することだけに集中した4日間の中で、走る姿はとてもわかりやすいボディランゲージであり、私は多くの家族を得る事が出来たのである。 |
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