ランニングレポ−ト |
2004年10月の参加大会ご報告
2004.10.10 御嶽マラソン(フル・4時間7分2秒) |
もう6回目になる御嶽マラソン。一人旅で参加したり、仲間と参加したり、と年によって同行メンバーは一定しないのだが、今年は快走クラブのメンバー元気印総勢8名での参加となった。車2台を連ねての8名、女性と男性がちょうど半々で、半数以上が50歳代、しかし遊びのつぼを心得ているメンバーばかりである。 あいにくと台風22号と進行方向を同じくしてのドライブもひどい大雨にあうことなく無事湯屋温泉に到着、美人女将で名を成すニコニコ荘が今回の宿である。関西人のパワーに押されて雨も上がり、早速名所の巌立峡までジョギング。が、途中道に川のように雨水が流れ込んでいる箇所があったり、明日のゴールまで上がる道が閉鎖されていたりして、台風通過後とはいえ明日のレースがちゃんと行われるのかどうか少しばかり不安にもなった。 しかし宿に戻って温泉につかると、明日のマラソンへの不安(=開催への不安と自分の走力への不安)も吹っ飛び、大広間で貸切の夕食にのぞむことができた。ずらり並んだご馳走をいただき、おなかも満腹になってビールも程よくまわってきたとき、ふと見ると大広間正面の舞台の上には堂々のカラオケセット。「これって使ってもいいのかしら?」などといいながらスイッチを入れてみると即座にリモコンの選曲を受け入れてくれ、イントロが流れ始めた。・・・そしてカラオケタイム、大広間が宴会場となり、さらに湯上り着のままダンスタイム、と、身内だけで大いに盛り上がったのである。しかしランナーである私たちはタイムキープを怠らない、9時前にはきちんとカラオケセットを片付け、座布団もすみにまとめて宴会場を退出したのである。が、元気の有り余るメンバー、娯楽コーナーでの卓球大会へと全員で移動しただけであった。大阪からの「マラソン激励メール」への返信は「カラオケ&ダンス&卓球」〜これって、受け取ったほうは意味不明??? ![]() ![]() ![]() 翌朝は、起き抜けから温泉につかりすっかりリラックスモード。・・・・今回、9月下旬から長引く風邪と脚の不調により、タイムも順位も狙えない状態、LSDでもいいから走っておきたかったのでもともと期待もしていなかった。例年このマラソンは、秋のシーズンへの導入口としてかなり気合を入れて参加しているのだが、今年は様相が異なっていた。 自分が感じる脚の状態&体調は確かである、重い脚で走り始めると予想通りの遅い目のラップタイムで通過していく。LSDでもいいから完走しよう、とだけ思っていた。このような意図が働くと、脚も踏ん張ってくれない、重いままだ。25キロ手前からのくだり部分に入っても、脚は回転せず、ブレーキをかけるような走りしかできない。脚が疲れているとき、本当につらいのはくだりである。 しかしなぜか私は20キロを過ぎて女子のトップを走っていた。「こんな走りで女子トップ???だれか追い越していって。」と何度も思った。故障ぎみの脚に負担をかけたくないという意識が強く働いて、最後の36キロ以降の登りはほとんど歩いてしまった。それでも40キロ通過は私が女子の最初だった。誰かすぐ後ろに来ているに違いない、と感づくまでもなく、40キロ地点の審判員が後続の女子のナンバーカードを読み上げた。わずかなタイム差で2人ほど続いてきているようだ。でも、ここまできて抜かれたくない、よけいな欲が働くものだ、私の脚は重いながらもペースアップを試みた。あまりペースアップにはなっていなかったようだが、何とか順位を守ってしまった。4時間を超えてのフィニッシュライン通過。いかに高低差があるとはいえ、最初の10キロを47分半で通過した後は、LSDと言い切れる状態になってしまっていた。かつてなく歩いてしまったし。・・・こんな走りで優勝??? 例年、御嶽マラソン女子の優勝タイムは3時間半を切っているのである。2年前に私が初優勝したときも3時間27分で走ることができた(=これはまぐれに近いタイムである、と自分でも思っている)。・・・まあ、6年もほとんど続けて参加していれば、たまにはラッキーなこともあるかな??? ![]() ![]() 写真右:ゴール地点の青年の家は「禁酒・禁煙」・・・とほほ、ゴール後の楽しみが・・・ |
2004.10.11 東大阪アスリートカーニバル2004 |
我が市の自慢がひとつ増えた〜なんてきれいな400mトラック!そのこけら落としに行われたアスリートカーニバルはとても面白いイベントだった。 地元の中学・高校レベルからもトップクラスの選手を招待し、オリンピアンも招待し、魅せる陸上競技だった。特に100mでは、トラックの内側&外側0.5mのところから、決勝を見ることができ、その様子は圧巻。だって、100mのレーンの内&外ずらりギャラリーが陣取っているなんて、初めて見た。普通、芝の中には入れないことになっているはず。 おまけに元100mの日本記録保持者井上悟選手や、邑木選手が、中学男子100mに混ざって走り、レースを引っ張っていた!隣をオリンピアンが走っているなんて、すごいこと、特に短距離の場合。〜その点、ロードレースはオリンピアンがもっと身近かな?なんて思ったりして。 中高生・大学生中心の大会という感じもしたが、5000mには一般参加もあり、わたしと同級生ランナーも、高校生のハイペースに惑わされずにいいペース配分で後半も粘って見事な自己ベスト達成。いつも市民レベルでトップクラスの男性ランナーさんの気合の入った走りにも感激。1000mを3分ちょうどのペースで走る高校生集団と堂々、走りあっておられた。 かくいうわたしは1500mにエントリーしていたのですが、女子高校生のハイレベルに恐れをなして&御岳ですっかり脚をやられて、あえなく欠場。いつか必ず近いうち、このトラックで走ってみたいな〜〜(=夜な夜なフェンスを乗り越えて、月明かりで走っている地元ランナーがいるとかいないとか???、ね、Oさん!) |
2004.10.17 弘前・白神アップルマラソン(フル)3時間18分14秒 |
大阪でも10月に入って急に季節が変わり朝夕の寒暖差が大きくなってきたが、一足早い紅葉を楽しみに青森への飛行機に乗った。寒さが苦手のわたし、早いうちに寒い気候に触れて、寒さに慣れようという魂胆もある。 案の定、降り立った青森空港は大阪よりも1枚ジャケットを羽織らなくてはいけないくらいの気候。そこから空港バスで約50分、弘前駅前に到着した。弘前公園、弘前城、岩木山、くらいのイメージしかなかったのだが、飛行機の中で偶然目に留まった機内誌の記事に「明治時代の洋館建築が残る弘前」とあってたくさんのグラビアで情報収集できた。 さっそく弘前公園に出てみた。思いのほか広いようだ。南北に長い公園で、中に天守閣のある本丸などがある。みどころとしてはこの弘前城址公園と洋風建築、門前町の風情だ。足が元気ならばランニングウェアーに着替えジョギングで観光するところだが、9月下旬からオーバートレーニング傾向で疲労蓄積して、今週も一歩も走っていない。明日のフルマラソンに備えてあまり負担をかけたくなかったことから、行動範囲は限られるけれども歩きで観光することにした。 「歩くと時間かかるなぁ〜〜〜。」とぼやきながら歩いていると、レンタサイクルのお店発見!しかも観光客無料とノボリがあがっている。弘前市が観光客のためにリサイクル自転車で操業しているとのこと。貸し出しには身分証明書の提示を求められたが、預かり金も一切なし、おまけにお土産店や飲食店で使える割引券までくれた。と〜〜ってもラッキーな気分でこぐママチャリのペダルは軽い。 弘前城の天守閣まで自転車を乗り入れてみると、ことのほかコンパクトなつくりだ。入り口で「これが天守閣ですか?」と思わず尋ねてしまった。「はい、そうです、小さいですけど、本物ですよ、現存する12の天守閣のひとつです。」そっか〜再建されコンクリート造りでエレベーターまでついている大阪城と比べてはいけない。三層になった天守閣にも登ってみた。レンタサイクルのショップでもらった仏閣めぐりコースをたどり、曇天と風で少し肌寒かったが弘前の町を満喫した。 翌日はすっきりと晴天になり、富士山に似た稜線を持つ岩木山がくっきりと見えた。朝は放射冷却でかなり冷え込んだ(5℃)のでフリースを着込んでスタート会場に移動だ。日差しはあるのだが、予想最高気温は17度とのこと。9時20分とスタート時刻がやや早いので、寒がりのわたしはランシャツと長袖2枚重ね&ハーフスパッツとロングタイツ2枚重ねの防寒仕様でスタートした。今頃からこんな競技服装で走っていて、真冬はどうするんだろう??? 走り始めてみると、岩木山から吹き降ろす風がかなり強い向かい風となったが、ちょうどいいペースで走っている女性ランナーにつくことができた。地元のランナーらしく沿道からも声援が飛んでいる。コースは折り返し地点までの高低差が約60mほど、その中で穏やかなアップダウンが繰り返されるが、距離表示も1キロごとにあり、走りやすいコースだと思う。リンゴ園の中を走ったり、民家の間を走ることもあったが、沿道には少ないだろう弘前の人口の多くが出て、声援を送ってくださった。 ついていた女性ランナーのペースはわたしのイメージよりも少し速含みだが、そのまま折り返し、中間点も過ぎた。往路を走るランナーとすれ違い始める。驚いた〜「小川さん、がんばれ!」と大きな声で激励を受けた。誰だろう???こんなところでわたしを知ってくれている人は??事前にプログラムを確認していたが、さすがに弘前までわたしの知っている人は来ていないと思ったが?レース後に出会ったら大感謝の気持ちを伝えよう、そんなことを思いながら、女性ランナーともう一人、彼女の走友であるらしい男性ランナーを含む3人の集団で走っていた。 復路はやや下り基調となっている。くだりのほうが得意の私の脚だが、今日はずっと脚が重い。きりっと痛みも出ている。しかしこのペースで走り続けておかないと、11月のフルマラソンで3時間を切ることに黄信号だ。それにわたしたちが女子のトップ集団だったので、負けたくない、という気持ちが強かった・・・が、気合だけではフルは走りきれない。30キロを過ぎて、「これは体力的限界を超えているかも・・?気持ちだけで引っ張っているようだ。」とついに自覚してしまい、32キロでぴったり走るのを中断してしまった。歩くのもつらい、脚が前に出ない。どうしよう、リタイアしようか、ジョグでもいいからゴールまでいこうか? 後10キロを走り続けることによって、脚へのダメージがさらに強くなってしまうかもしれない。脚を完全に故障してしまうと、11月のフルマラソンに参加すること自体、赤信号だ。が、ここまできて止めてしまうのも心残りとなるかも。「あと○キロ」の表示を横目で見ながら、クールダウンのようなジョグを続けた。35キロを過ぎて、後ろから来た女性ランナーに抜かれた。もう、順位は気にならない。ジョグに徹した。ようやくフィニッシュラインにたどり着いたのは、スタートから3時間18分14秒後だった。30キロ通過が2時間10分、32キロで止まってしまったとき2時間19分。完全に潰れたレースだった。しばらくうずくまって動けなかった。赤信号、全点灯だ・・・。 帰りの青森空港で、レース中に送ってくださった声援の主に出会うことができた。何度かレース中に出会ったことのある神戸のI倉さんで、かなり以前にレースで出会っていた。特にわたしの故障中に何度もお目にかかっていたようで、故障を抱えて走った99年日本海マラソン、故障で自分の走りができなかった2001年泉州マラソンのときにも声をかけてくださっていた。今回だけは、このまま故障を悪化させたくない。そんな思いを強くしながらの空の旅だった。 ![]() ![]() ![]() 追記:今回足を伸ばした弘前マラソン、大阪からは空の便しかなくかなり遠い感じがする。そんなマラソンで出会った神戸のI倉さんは、「日本全国にある全フルマラソンは80以上あるんですよ、ときには練習会のようなマラソン大会もあるけど、出かけていって、それを全部走破するのが僕の楽しみなんです。」と。 ほかにも、会場と駅前を結ぶシャトルバスの中で出会った北海道は千歳のおじさん、ふと見ると「斑鳩の里法隆寺マラソン」の参加賞のデイバックを持っておられる。わたしだって同じバックを持っている、お気に入りの大会だ。「僕はね、日本全国の都道府県のレースを走破するのが楽しみなんですよ。僕の走力ではフルは制限時間もあって難しいので、ハーフくらいまでですけどね。残っているのはあと10府県くらいです。大阪はまだ、走っていないんですけどね、何かお勧めのいい大会、ありますかね?」是非大阪のレースも走っていただきたいけれど、さて、どの大会がお勧めかな?考えてみても、なかなか思いつかない??? |
2004.10.24 新地球run in KIX(10キロ40分56秒) |
先週の弘前でつぶれた足を抱えてまたまた1週間走れず、けれども、今日のレースはお祭りレース。関西国際空港の第2期工事で2期島造成が進み、きょうだけ特別にその上を走らせてもらえるのである。ただし島はまだ造成中、すべて未舗装である。 関空の表玄関からシャトルバスで2期島へ渡る。目と鼻の先のようだが、進入路が限られているため大回りだ。だだっ広い、さすがにだだっ広い平地に、ラインを引き、カラーコーンを立て、会場設営してあった。 10キロのレースは、滑走路予定地の4キロの直線を利用して行われた。どんなに長い直線だろう、と期待していたが、走り始めれば前の人についていくだけなので、その先はあまり気にならず、距離表示だけを頼りに走っていた。だけど、トップを走る人は前に誰もいないので、ものすごい長さの直線を味わったんだろうなあ〜。 風が強かったが、造成中の未舗装の割には、土ぼこりがあがらない。さすがに飛行機が乗っかったり下りてくるバーンなので、下地から硬くしまっているようだ。この上に何メートルくらい、アスファルトの舗装をするんだろう?よく、映画のワンシーンなどで、飛行機が普通の高速道路に緊急着陸、という場面があったりするが、あれはほとんど不可能であるらしい。なぜなら、高速道路のアスファルトは飛行機の着陸に耐えられるほど分厚くもなく強固でもないそうだ。(〜話脱線) レースで使用したのは4キロの直線だけだったが、その先もまだまだ島が続いており、端から端まで走ってみるとどんな距離だろう、と思ってしまった。ウォーミングアップのときに、島の端っぽはどうなっているんだろう、とコースを外れて海に向かって走路を取ると、すぐさま警備の車が駆けつけてきて、「危ないから、会場のコース内を走ってください。」とのこと。わたしみたいな、コースを外れてふらふら走る者、いるんだろうなあ。 このレースでは懐かしい出会いもあった。ジャズダンスインストラクター時代の教え子も、「参加する予定です!」と事前にメールをくれていた。大手銀行OLさんの彼女、普段はランナーではないのだが、イベント大好きで、いろんなイベントに参加して楽しむタイプ。かなり以前だが、明石海峡大橋開通記念マラソン('98)で10キロレースを一緒に走り、大橋の上でいっぱい記念撮影をした。わたしはそのときすでにランナーしていたので、先にハーフのレースを完走し、スタート時刻の迫っている10キロのレースに人を掻き分けやっと間に合い彼女と合流できたのを覚えている。そんな彼女は、海峡大橋開通記念マラソン以来の10キロランだそうだ。「レース中に見つけようね。」と言っていたら、本当にちゃんと見つけて大きな声をかけてくれた〜「先生がトップを走ってたのですぐにわかった!」と。2000年春のダンスイベントに一緒に参加したのが最後だったが、それからも少しも変わっていないOL嬢だった。今日もたくさん記念撮影したんだろうなぁ。 |
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