ランニングレポ−ト |
2004年3月の参加大会ご報告
2004.3.7 三浦マラソン |
3月第1週の土曜日、いちばんの飛行機で東京まで行って、神奈川県の三浦海岸に向かった。日曜日の三浦マラソンに参加するためだ。「え?三浦?それってどこ?」と言われそうだが、わたしもこのマラソンに参加するとはおもってもいなかった。 じつは先月14日に、とっても大きなフラワーアレンジメントが私に届けられ、その送り主に会うために行くのである。送り主のかたは三浦マラソンのために、ホノルルから直前に来日された。ちなみに、わたしの前の職業はジャズダンスインストラクター。その職業柄、ダンスの公演や発表会のたびに花束&アレンジメントをいつもたくさんいただいていたが、そんな贅沢なわたしでも、びっくりするくらいのお花だった。先月14日とは、欧米では、恋人たちがお互いに贈り物をするのが最近の風習だそうで、その流行に習ったものだろうか??? 夏は本格的なリゾート地となる三浦海岸、どことなくワイキキビーチに景色が似ていて、ホノルルマラソンと姉妹提携しているのがうなづける。私のお迎えしたお客さまは、HMA(ホノルルマラソン協会)副会長でレースディレクターでもあるVIPでした。ほかにHMAからのメンバー4名もご一緒で、各スポンサーとのサインアップ(契約更新)など、多忙な来日日程をこなされた。 さてその三浦マラソンは、ハーフ&10K&5Kの三本立て、それで一万500人以上ものランナーを集めてしまう関東屈指の大会である。わたしの参加したのは10K、景色を楽しみながら「誰も知り合いに会わないなんて、ちょっと寂しいなあ〜。」などと思いながら39分31秒で走り、11位。関西エリアの大会では、これくらいのタイムだと入賞範囲内なのだが、関東のレベルの高さを感じた。というより付け加えると10位までみな高校&大学生であった。実業団ラストランとなる花田勝彦選手が5K優勝、「やっぱり優勝は気分が良いですね。」とのコメントを残されていた。 レースのあと東京に戻り、HMAのみなさんと一緒に滞在、VIPたちは会議など多忙だったがわたしは気ままに過ごす。三浦を走った後の脚の状態は良かったので、月曜日は鎌倉でハイキング、8キロくらいかな?火曜日も軽く都内を20キロ以上はしれた。東京の泊まりは新橋、ちょうどマラソンコースまで大きな区画ワンブロックだったので、国立競技場まで、復路をたどってみた。 1時間余りのジョグがあっという間だった。なぜ本番のレースではこの区間をまったく走れなくなってしまうんだろう?最後ののぼり、といっても、ほんの短い間だけが坂を意識するくらいで、あとは調子が良ければ上っていくのになんの支障も無いくらいの坂。 国立競技場のマラソンゲートにタッチして、今度は往路をたどった。なんの緊張もすることの無いだろうコースである。いつもスタートから集中しすぎて、力が入りすぎてしまうのはなぜ?そんなことをおもいながらのジョグだった。 T−CAT(東京シティエアターミナル)で来客を見送り、火曜日の深夜、日付の変わるころ最終便で大阪に帰着。中3日で名古屋に移動であった。 |
2004.3.14 名古屋国際女子マラソン |
![]() 昨年の秋からの故障がだましだましでも治らず、治療を優先させて名古屋女子回避、とおもっていたら、先週、勤務先から電話があって、「小川さん、名古屋国際女子マラソン、走るんですか?労働組合のほうで、取材したいそうなので、インタビューに答えてください。」とのこと。 全国のヘルパーさん&介護関連従事者五万人規模の労働組合連合から取材を受けなければ、脚の故障を快方に向かわせるため名古屋女子を見送るつもりだったのだが、この手のオファーには出来るだけ協力するのがわたしのポリシー。なぜ、五万人会員のなかでわたしが取材対象になったかというと、いつも、労働組合の福利厚生施設になっている会社の保養所(ビジネスホテル)を宿に予約していて、「目的=国際女子マラソン参加のため、」と記入していたので、目にとまったらしい。 宿だけははやいめに押さえておこう、と画策していたのが裏目に出た。エントリーをしていた名古屋回避どころか、完走だけを目指して名古屋出走となった。 完走することだけが目標=完走の自信なし、だったので、関門の厳しい名古屋のレース、関門の時間をしっかり頭にいれて走り始めた。長距離を走れる状態ではなかったので、5キロごとを22分で刻んでいく作戦を立てた。後半の落ち込みを見込んで、少しの貯金をしておかなければ・・・。誰でも考え付く作戦である。 ハーフを1:32:08で通過しても、後半の見通しは立たなかった。この通過は速すぎる、だから、これからどんな落ち込みが待っているのか?どんな脚の重たさが??自分の脚はマラソンを走る脚ではなくなっている、故障による走りこみ不足と多忙(言い訳にしかすぎないが・・・)。ジョグでもやっとこさ、できるかできないか、なのだから。 30キロ手前まできて、走るフォームが崩れていないことを自覚した。まだ、ヨレヨレになっていない、もしかして、完走できるかも?名古屋のコースは31キロから少し登りがある、苦手なのぼりまでにペースを変えておきたい、ということは30キロがペースアップのポイントだった。(2000年に高橋尚子選手が優勝してシドニー切符を手にしたときも、ここで猛然とスパートされていた。) 完走が目標だったはずなのに、なぜペースアップを図ったのか?5キロごと22分でつなげていけば、充分完走は出来るのだ。ふがいなく、さっさとあきらめてしまった7週間前の大阪のタイムを上回りたい、自分に恥ずかしくない走りをしたい、そんな気持ちからだった。 まるで10Kのレースが今始まったかのように、一生懸命走った。ゴールまでたどり着けるはずだと信じて。フィニッシュタイムは、自分でも予想もつかなかった、3時間2分19秒。昨年12月の楽しく走ったホノルルマラソンのタイムをも上回り、シーズンベストだった。わたしのレースを楽しみにしてくれて、ホノルルから何度も電話をくれた友人にもきちんと報告できる結果で良かった! で、なにが良かったのか?故障の時期を無理せず休養に充てたのが良かった、としかおもえない。マラソン練習って、なんだろう???今回のための練習は、脚を悪化させないようにペースを落としてハーフを2回と15キロPRを1回のみ。定番の40Kや30KのPRなど、とても出来る状態ではなかった。自分にあった練習とは??まだまだなにもわからないまま、7年目のシーズンを終えようとしている。 終わり良ければすべて良し、今シーズンもありがとうございました。 |
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