03’大阪国際女子マラソン・レポ−ト |
2003.1.26 大阪国際女子マラソン |
2時間56分21秒(56位) |
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この結果はどう分析すればいいのか???一時は出走すら危ぶまれた今年の大阪女子マラソン、前半1時間29分で 折り返しての終わってみれば2時間56分21秒、大阪のコースでの自己のコースベスト。いったい今までしゃかりきに 何をやってきたのだろうか???(以前のベストは初出場の大阪98年の2時間57分35秒、その翌年3時間4分で 走り故障を悪化させ、1年あけて、2時間57分45秒、さらに昨年も欠場で、4度目の大阪です。) 今回、夏からのオーバーワークで腸ケイ靭帯が張って来て(最初の痛み発生は8月末、その後はだましだまし・・・)、 さらに持病ともいえる坐骨神経痛で夜寝ていても足がしびれてくるありさま、その故障がどうにもならずに脚全体の動き は良くならず、それでも2年連続の欠場だけはどうしても避けたいものでした。12月に引き込んだ風邪とインフルエンザ で十分な走り込みができなかったという失敗感で気持ちも沈んでしまい、1月に入ってからの調整で軽く仕上げるつもり が、寒さにやられて筋肉の状態が上向かず、走ることすらあきらめかけてしまうこともありました。平日は夜しか走れない 日が暮れると夜は本当に冷え込んで、走る気にもなれない・・・練習するとさらに故障悪化して、大阪のスタートラインに 立てなくなりそうだったので(何たる屁理屈!)、練習らしい練習をまったくせずに、当日まで来てしまいました。 スタートラインで号砲を待つ間にも、「本当にこれから42キロを走るのかしら?」という自分が自分でないような存在感の なさ、こんなに練習していなくてこのマラソンに参加していて良いのだろうか、と罪悪感まで湧いてくる始末。長居まで帰っ て来れるかなあ・・・・こんなに低いモチベーションの自分が情けないけど、こんなときもあって良いかな、応援してくださる 方々の前は、笑顔で通過しよう、とそれだけを思ってカラ元気ともいえる元気さでスタート。風邪を引いていなかったこと が唯一の幸いといえます。 でも、なにぶん若いナンバーカードを取っていたので、前から2列目でスタート、晴れた日差しも心地よく、風もなく絶好の マラソン日和で、「ああ、なんて気持ち良いんだろう。」とトラックを周回。たくさんのランナーを前に送り出したつもりが、 1キロ通過をチェックするをなんと4分ちょうど!自分の気持ち良いいつものペースで走リ始めてしまっていました。慌て てペースを落とすことに・・・なにぶん練習していないわたしが、いつものペースで走り始めたとしても、必ず後半潰れます。 目標はこのレースを「走って良かった。」と思えるレースにすること。マラソンなので、一応ペースを設定して走らなくては ならない〜いけいけドンドンでは、必ず脚が止まってしまう〜わたしのぎりぎりのイメージはキロ4分20秒位で走ることで した。「前半をキロ4分20秒で走っても、後半キロ4分10秒に上げることが出来れば、トータル3時間は切れるかも?」と いう思いも頭をもたげましたが、そんな欲ボケなことを考えている場合ではない体調、慌てて2時間台の目算は打ち消し ていました。これでも速過ぎるかも?と心配でした。そのままイーブンペースで完走は出来るのか?後半、辛くなるレース だけはしたくない・・・。 もし万が一、余裕があって、ペースを上げることが出来そうだったら中間点を過ぎてからか?わたしのイメージの中では キロ4分20秒くらいで折り返しまで行くつもりでしたが、ある人からのアドバイスで、「大阪城に入るところって何キロ? そこまでは我慢していったほうが良いかも。」とのことだったで、25キロまでは押さえ気味で行くこと、その心づもりを再 確認しました。 いくつもの集団を前に見送り、自分をちょうど良いペースで運んでくれる集団に出会うまで、どんどんわたしは後ろに下がっ ていきました。自分の時計も確認しながら、キロ4分20秒をほんの少し切るくらいのペースに落ち着き始めたのは5キロ を通過する頃から。地元大阪のレースなので並走するランナーにもいつも近場のレースで出会うメンバーが多く、安心し てついていくことにしました。 それにしても大阪の沿道には、見知った顔の声援が多い〜レース序盤から、何度も何度もあちこちで「小川さ〜ん」と 声をかけてもらって、応援してもらえることがとてもありがたく、それだけで感激して自然と笑顔がこぼれ、沿道からの声 援には手を振って答えていました。 安心してついていくつもりの集団でしたが、どうやらこの集団はサブスリー狙いの集団であるらしい、少しずつ速含みです。 「どうしよう、付いていこうか、付いてかなくてはならない集団のはず、でも自分の予定より少し速い・・・。」とか何とか迷っ ているうちに、あっという間に玉造筋(11〜14キロあたり)。ここはさらに沿道の声援も多くなり、今年は会社からも何人 か応援に来てくれているはず(前週にファックスで女子マラソンに参加するわたしへの応援要請が流れていた)。マラソン ファンでもない、会社の普通の友人が、わざわざわたしのためだけに応援に来てくれている〜沿道でその人たちの姿を 確認すると本当に嬉しいものです。このありがたい声援のひとりひとりにも笑顔で、手を振って答えました。 14キロ地点を過ぎて15キロ地点までの上町台地ののぼりでもまったく気負わずに、集団から遅れるのであれば遅れ てもかまわずに走っていました。中ノ島をぐるっとまわり、御堂筋に入った頃には、先頭集団はもう過ぎ去った後。わたし が初参加した98年頃には、この御堂筋でおり返してきたトップ集団にすれ違ったものですが、女子のトップ選手の高速 化とわたしの鈍足化が進み、ことしも先頭の選手たちに出会うことはありませんでした。 後続の実業団ランナーとすれ違い、さらに後続のトップ市民ランナーともすれ違い始めると、見知ったランナーが続々続 いてくる〜みんな頑張っているなあ、と刺激を受けて、わたしの集団のペースも上がっていました。思い描いていた予定 よりも速くに中間点を過ぎたにもかかわらず、わたしの脚はさらにペースアップしたそうでしたが、まだまだ我慢我慢、先 は長いのだから、と思いなおし、25キロ地点、大阪城への入り口を待つことに。ここで「我慢!」と思えるということは、ま だ余力が残っていることだと都合の良い自己分析まで頭をめぐります。 ところが、24キロ地点からののぼりで少しペースを落としかけたわたしは、「本当に25キロからペース上げられるのだ ろうか?25キロから上げるつもり、が大阪城出てから上げよう、なんて思い直したりしないだろうか?やるべきことを先 延ばししたがるわたしの悪い癖がでたらどうしよう?上げよう、上げようと思っているうち、結局はジリ貧になったりして」 と気弱になったりしました。 けれども、25キロ地点には、審判員として、中学校時代の恩師が立ってくださっている〜いつも審判ながら声をかけて くださる(=ルール違反かな?)ので、先生の前はしっかり走れるよう励みになっているのです。今年も「ロコ!リズムリ ズム!まだまだこれから。」と中学校時代のニックネーム(=この呼び名だと、誰を応援しているかわからないしちょうど 良いのかも)でちゃんと声援くださって、「よし!ここからだ!」と自分でも気合が入りました。ホームグラウンドとしていつ も走っている大阪城に突入し、一気にペースが上がっていきました。ここでも声援がいっぱい〜走りに勢いのついたわた しは、それでも応援にスマイル&手を振ってこたえ、またこうして答えることが出来る自分の余裕に嬉しかったのです。 そのうち30キロ地点を過ぎ、細工谷ののぼり、いつもこののぼりで頑張りすぎて、32キロ以降、脚が止まってしまって いたので、これも自重してちょっとペースを落とすぐらいで走り抜けました。けれども、前半から良いペースで走っていた 前のランナーたちが疲れてくるのもこのあたり、その人たちをどんどん拾って、わたしの脚は動きつづけていました。いま までは逆に抜かれっぱなしだったなあ、などと思い起こしながら・・・。 とはいえやはり33キロ以降あたり、脚にも来て、身体のバランスも崩れてきました。けれどもなんとか前のランナーを 拾っていきたい、少しずつ近づいてくるその背中たちが励みでした。38キロまで5キロほども続く長い直線、今里筋も、 距離感を感じることなく走っていました。実は週1回、通勤ママチャリのコースでもあるので、見慣れた風景なのです。 35キロを過ぎると、さすがに声援はわかっても手を振って答える身体のバランスはなく、その姿だけを確認するため に顔を向けているだけでした。 長居公園入り口前では、中学校時代の同級生が、これまた審判員の服装で立っているにもかかわらず、声をかけて くれました。そのあたり、見知った顔の声援も本当に多く、「ここまで帰って来れたんだ、この声援に支えられて・・・」と、 涙をこらえるほどでした。わたしを知ってくれている人が、「小川さ〜ん!」と叫ぶと、沿道の一般の人も「この人、小川 さんっていうんだ。」と理解してくれて、一緒に叫んで応援してくれるのです。さらにその声援が大きくなったのは、競技 場の入り口でした。ここに来るまでにいったん抜いたランナーに抜き返されていましたが、悔いはありません。すでに脚 にきて、身体もばらばらになっているのですが、ここまでしっかり走って来れただけでとても大きな安心感に包まれてい ました。 4度目の大阪にして初めて、競技場内で自分の名前がアナウンスされるのをこの耳にしました。ひとりひとりちゃんと 呼んでくれている、というのは知っていましたが、過去3度のレースではいつもヨレヨレでアナウンサーの先生(=この 先生もまた高校時代の恩師)の声が耳に届いていなかったのです。フィニッシュタイムにも驚きでした。後半ほとんど 時計を見ていなかったので、もしかして3時間を切れたくらいかな、と思っていたのですが、終わってみれば大阪での コースベスト。走り切れただけでも大満足なのに、キョトン!?!としてしまいました。 当日のうちに早々にしてメールで送られてきた写真を見て、さらに嬉しくなりました。いつも女子マラソンのときには険 しい表情で走っているわたしですが、どの写真も笑顔。そういえば沿道からも「いい顔してるよ!」「まだまだ元気や!」 と声をかけてもらっていたのですが、本当にそうだったらしいです。 なんて有難いレースなのだろう、このレースは。すっかり沈んでいたわたしを走らせてくれたのは、この大阪のレースで した。本当に多くの方に見守っていただきました。走れて良かった〜〜〜今年は天候的には絶好のコンディションでした が、いつも寒いのなんのとすねておらずに、やっぱりちゃんと出走しなくてはならないものです。走れば必ずその先が見 えてくるものだから。 追記その1:≪まだまだ模索中≫ マラソンのペース設定、これは難しいものです。いつもならば、目標とするタイムに向けて練習を積み上げていくので、 その練習過程から、おのずと本番でのペース設定ができます。それでもレースの中でのわずかなペースの狂い(気持 ちが高揚する中で少しずつ速含みになったり、集団の中で位置どりをうまく出来ずにちょろちょろしたり、給水に気をと られる余りごくわずかではあるけれども無駄なペースアップをしたり、向かい風を気にする余り人の後ろに付きたがった り、などなど)で自滅することも多々あります。でも今回ばかりは、完走できるであろうペースを見つけるために、ほんの 数度、異なる距離を異なるペースで走ることだけが、わたしの練習でした。 マラソン前の調整、これが一番大事で、一番難しい〜今回も2週間前のひらハーをはじめとする3連休に3連走、多方 面からの指摘にもありましたが、自分でも走りすぎたと痛感しています。練習できていないなりに、もしあそこをゆるやか なペース走にしていたら・・・?競技の世界に「もし・・・」「たら・・・」「れば・・・」はありえない!今回の教訓は次回に持ち 越しです。 追記その2:≪今年のわたしを力づけてくれたもの≫(順不同) ○ 事前に届けられた名前印刷入りの女子マラソンのポスター 何度か主催大会に参加したことのある、武庫川SCの会長さんから、「翔 小川裕子さん」と名前入りの大阪国際女子 マラソン公式ポスターが届けられました。わざわざわたしの名前をプリントしてくださっていたので、かけがえのない1枚 です。さっそく自宅前の事務所の出入り口に貼りだし、ご近所&取引先の方にも出場をアピール。「ここの行かず後家の 娘さん、こんなことしているのか〜そういえばよく、トレーニングウェアー姿でうろうろしているなあ。」とご近所の方は納 得されたことに違いないでしょう。 ○ 直前に届けられた「麦工房らくだ」の美味しいパン カーボローディングをパンで代用するのは初めてでしたが、ちょうどそのタイミングで、ナチュラルベーカリー「麦工房 らくだ」のパンをどっさり届けていただきました。「らくだ」のオーナー自身も、別大ランナー。翌週に迫ったご自身の別府 大分毎日マラソンへの調整のさなかにわたしのことを気遣っていただきました。ここのパンは本当に美味しい〜カーボ は完璧でした!!(昨秋の東京女子の際には、低血糖に陥り、ゴールで倒れこみ、担架で運ばれたのでした・・・) ○ 前週に流れた会社からのファックス 所属するアイリスケアセンター荒本のヘルパー仲間が、マラソンファンでもないだろうにわたしのためだけに沿道に声 援に出てくれました。会社から全員に「応援に行きましょう。」と要請ファックスを流していただけるなんて、とてもうれしい ことです。実は日曜日午後にも仕事が入っているのですが、「月1度だけはマラソン大会のために休む!」と豪語し、大 目に見てもらっているのです。 ○ そしていつも以上に耳の届いた沿道からの大声援 当日の朝、長居競技場に向かう電車の中から、「マラソン大会に出るんですね、がんばってくださいね。」と声をかけ られ、競技場に着いてもあちこちから声をかけてもらい、レース中も本当に卓さんの方に百万回以上応援いただき、極 めつけは帰りの電車の中でも、「北浜あたりで応援していましたよ、今日はどうでしたか?」とわたしを知ってくださって いる方から声をかけてもらいました。終わってからいただいたメールの中にも、「予定時刻どおり下味原の交差点を走っ て来られたあなたの姿に感動し涙がでました。」「生で見れて良かったー。」などなど、声援を下さった方もわたしの走る 姿にわくわくしてくださったようですが、わたしのほうこそこんなに力をいただけるなんて、走っていて良かったと本当に 思えます。ありがとうございました。 |
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