ランニングレポ−ト

  
 2002年6月〜9月の参加大会ご報告


2002.6.9 鴨川駅伝(女子40歳以上の区間・3キロ)

 11分26秒(チーム優勝)

         
       
 京都の走友会の方から誘っていただいて、ふたつ返事で参加することに。というのは、私自身京都の大会は
ほとんど走ったことがなく(東山マウンテンマラソン1回と、太陽ヶ丘の陸上競技場を走っただけ)、まして市内
の鴨川を走れるなんて、とても楽しそうなので・・・・でも、5月にさんざんサボったので、とても速くは走れない
(特に短い距離)。

 最近、最低気温が20度を超えるようになってやっと、脚の筋肉の内側からくる冷感とこわばりが無くなって
きて、いつも愛用していた電気座布団にさよならしたばかり。でもまあ、「気楽に参加してください、京都のお
祭り的な大会だから。」といわれていたことを思い出し、のこのこと出かけていくと、大変なメンバー編成のチー
ムとなっていた。

 男子2名&女子2名(39歳以下と40歳以上の2区間)、合計4名のチームだが、女子の3区に市川美歩
さんエントリー。これってもしかして、掛端美歩さん???もと営団地下鉄所属で、99年大阪国際女子マラ
ソンでペースメーカーとして中間地点まで1時間12分台でトップ集団を引っ張り、同じチームの小幡佳代子
選手が日本人トップとなって、世界選手権出場を決めたときの立役者である。そのときの監督さんも「掛端は
良い仕事をした。」とのコメントを残しておられた。それよりも何よりも、ペースメーカーという役割は自分の仕
事を終えたら、後はリタイアしてもいいだろうはずだが、掛端選手は最後まで激走を見せ、ちゃんとゴールして
おられたので、「きっとこの選手は走ることが好きなんだ。」と、鮮烈にわたしの記憶に残ったのである。

 チームを離れられたあと、風の噂に結婚されたとも、どこか海外に行かれた、とも聞いていたのだが・・・。
ご主人の海外勤務を今年3月に終え、帰国されたばかりで、FRUN所属の市民ランナーとして新たなスタート
を切られたそうだ。そんな旧姓・掛端、現・市川選手と同じチーム編成にしていただいていた。わたしの担当は
第2区、タスキ受け渡しゾーンで、市川選手がわたしのタスキを待ってくださっているのである。

 晴天だが北からの風がかなり強い今日の賀茂川沿い、8秒差の2番手でタスキを受けたわたしは、700m
ほどで1位の選手に追いついた。ここからコースを北に取り、向かい風を強く受ける区間が1.3キロほど続く。
追いついた時点でまだ余裕があったのだが、後半のことを考えて、前の選手を風除けに使おうという安全策
にでた。が、もうちょっとペースをあげたい、500mほどでわたしは前に出た。そしてそのまま、市川選手にタスキ
を託す。後はもう、何の心配もいらない。最終区の男子選手も快走して、トップでゴールした。 

 賀茂川河川敷でいただいたお弁当は、みんなの笑顔と一緒になって本当に美味しかった。話題の中心は
もちろん市川夫妻である。ともにFRUN所属で、ご主人を、監督兼コーチ兼マネージャー兼任のベストパート
ナーとして、これからも各地の市民レースに参戦とのことなどを、明るく気さくに話してくださった。実業団を
退社されて、ご結婚されて、これから一人の女性としてランニングに取り組んでいかれるご様子、とても楽し
みにしている。

≪市川御夫妻のHPはこちらから⇒http://homepage2.nifty.com/i-haya≫

 快晴に恵まれて、ひさしぶりに京都の景色を楽しみながら、すばらしいメンバーと走らせていただくお誘いを
いただいた、京都の「TEAM らん・RUN・乱」の土屋さん、何から何までお世話になり、本当に有難うござい
ました。

≪大学時代の同級生の子供ちゃんとジョギング!≫

 京都はわたしが4年間学生生活を送った街。周りを取り囲む北山・東山の緑と加茂川の流れ、古い街並みに
新しいものがうまく溶け合って、由緒正しき風情を感じさせる。わたしにとっては独特の懐かしさがこみ上げて
くる街だ。

 そんな京都に、大学卒業後もそのままお嫁にきた女友達がいる。わたしの住んでいる大阪と、京都ではさし
て離れてもいないのに、毎年開催されるOG会にもとんとご無沙汰してしまって、今では年賀状のやり取りくらい。
それでもいつでも「どうしているのかな。」とお互いを案じあっている、学生時代からの友人は、温かいつながり
である。

 彼女の家から2キロほどの鴨川沿いを走る、と事前に伝えておいたら、日曜参観を抜け出して応援にきてくれ
た。タスキを受けて一生懸命走っていたら、「Oさん(=わたしのこと)、ガンバ!」
 わざわざ応援まできてくれるとは思っていなかったので、とても嬉しかった。タスキを渡した後、慌てて彼女の
いてくれた応援ポイントに廻ってみたけれど、すでに帰ったあと。わたしの姿だけを見にきてくれたのだ。そのあ
と、駅伝大会終了後、彼女と再会した。彼女の家を訪ねるのは、実に10年ぶりくらいだった。

 彼女の子供ちゃん(女の子で6年生・Sちゃん)、今年から陸上部に入っていて、来年2月の大文字駅伝を目
標に走っているそうで、今日も4時

まで小学校で練習があったようだ。ちょうど4時過ぎに彼女と、小学校まで迎えに行って、なんとわたしはSちゃ
んと2人で、小学校から彼女の家まで走って帰ることになった。約1.5キロくらいの道のり。

 まさか同級生の子供ちゃんと、一緒にジョギングするとは思っていなかったな〜〜〜〜素直にわたしとおしゃ
べりしてくれて、キャプテンとして駅伝チームをまとめなければならないことをちゃんと自覚していて、今まであま
り気の合わなかった友達ともきちんと話せるようになったという。「走るの、好きだから頑張る。」とのこと。子供っ
て、楽しみな存在である。

 走ることが好きで、目標を持って頑張っているSちゃんに、大阪国際女子マラソンのTシャツをプレゼントした。
励みに思って、着てくれるかな

                     

2002.6.16 OTTYマラソン                      

(10キロ)                      39分02秒
(ふれあいジョギング)              4年連続仮装賞獲得!


 さあ、今年も仮装大賞目指してファイト〜〜、前夜から一生懸命ドレスの用意をしているとすっかり睡眠不足で、
そのためか行きの車の中で早々に酔ってしまい(=これは車酔い!飲んだくれ酔いではない、念のため)、おまけ
に脚も重たくて、大変苦しんだ10キロレースだった。いやいや、気にしない気にしない、今日のメインレースは、
ふれあいジョギング2キロである!

 これだけ狙っていったふれあいジョギングでは、見事4年連続の仮装賞獲得!今年は総勢7名(男性4名、女
性3名)、ショッキングピンクに黒の水玉ひらひらスカート、頭にも大きなおりボン、ミニーマウスの扮装である。
無理やり装束を着せられる男性陣もたまったものでは無いだろうな〜〜〜。 

 仮装初年度は、新撰組の装束だった。これは凛々しく&格好よく仕上がれば良いので、仮装初心者向き。2年
目は、着ぐるみパジャマによる動物シリーズ。牛やクマ、ニワトリ、馬など、子供に戻って楽しめる。3年目は、トロ
ピカルプリントの手作りハッピ。黄色のひまわり柄が鮮やかで、着こなしやすい。そして4年目はついにスカートを
はくのだから、「女装」系である。 

 女装のドレスアップ前に、ビールを一缶ずつ飲み干し、勢いづけて、ランパン&ランシャツからお色直しだ。顔に
はもちろんフェイスペイント。

 お互い、ちょっと悪乗りかな、くらいのペイントで、顔を飾った。屋外で着替えたので、どこにも鏡が無いことが幸
いした〜みんな異口同音に、「鏡で自分の格好を見るのがこわい〜〜〜。」



 OTTYマラソンのふれあいジョギングでは、仮装大歓迎、と要項にも書かれているのだが、派手な仮装をした
グループはほとんど無く、わたしたちショッキングピンクの集団がスタートラインに並ぶだけで、まわりの人は少し
引いていたような・・・???でも、みんな一緒だし、「ドン!」とピストルがなってスタートしてしまえば、もう怖くな
い!例年どおりのノリノリで2キロのコースを駆け抜けたのである。

 併催イベントのフリーマーケットでもいろいろゲットしたし、春からのレースの打ち止めとしては、OTTYマラソンは
言うことなし!今日は車酔いでさいごまでちょっとしんどかったけれど・・・・

 そろそろ6月後半からは、マラソン練習に入る予定。急いてはことを仕損じるので、まずはゆっくり長く走ることか
ら。5キロから30キロまで、2000年以降に自己ベスト更新できたのに、もう4年も更新していないフルマラソンの
自己ベスト更新をこの秋に目指したい。

                                                 



2002.8.25   琵琶湖ジョギングコンサート(約9.6キロ) 
           36分31秒(女子総合一位)

  この暑かった一夏をジョグ中心ですごし、本当に久しぶりの10キロレースだ。琵琶湖の湖畔のこのレースは、スーパーフラッ
トではあるが、かんかん照りとなれば日陰などいっさいない湖岸道路を走る。おまけに10キロレースといっても、主催者側が
「400mほど短いです。」と正直に発表してくれる距離の短いレースとなっている。

 そんなコースでのフィニッシュタイムは36分31秒。距離がまったく不正確なので、10キロに換算することも出来ず、それでも
多分38分台の前半では走っているかな、と皮算用している。実はレースの3日前に突然、腸ケイ靭帯に激痛が走り、歩くにも足
をかばわなくてはならないほどだった。いつものトレーナーにチタンテーピングを依頼し、
3日間休んだのとテーピングのおかげで
違和感は残ったままだが激痛は去った。

 タイム的に38分台の前半というのはわたしにとってはめったに出ないタイムなので、ちゃんとした距離だったらいまの調子が
よくわかるのにな〜と思われてちょっと残念だった。唯一比べることの出来るのは、昨年のタイム〜
昨年も同じコースで36分29秒
だったので、夏のLSDからの出来具合としては同じような感じだろうか。

 ところが昨年と今年では、レース展開はまったく異なる。昨年は、序盤からずっと、滋賀のO田K子さんについていって、なんとか
離れないようにと必死。K子さんも後ろにくっついたわたしの存在にもちろん気づいておられ、わたしが給水に失敗したと見て取る
と自分の取ったコップを廻してくださったり、と先輩ランナーらしい心遣いを見せてくださってとても嬉しかった。ラスト2キロの標識
から最後、「ここからのロングスパートは長すぎるかも・・・?」と危惧されたものの、なんとかペースをあげて走り終わった。

 そんなふうに昨年はずっとO田さんに引っ張ってもらったのを思い起こし、今年はレース展開を変えてみよう、と最初から前に出る
ことにした。ローリングスタートでスタート直後から飛び出したが、女子の先頭を走っている、という気負いから、ちょっと飛ばしすぎ
たようで、じきにオーバーペースであることに気づく。こうなったらもう、気持ちが切れないようにするだけ・・・・すぐ後ろのO田さんに
何度も追いつかれかけてはまた離し、の繰り返しで、最後までしっかり彼女の足音が聞こえていた。

 一夏、追い込んで走る練習をしていなくて、久しぶりに追い込んで10キロ弱の距離を走ったので、とてもきつかった。こんなことで
ハーフのレースなど、走れるのだろうか?距離と時間を踏むだけの夏のLSDは、実はとても気楽な練習であるかもしれない。マラ
ソン練習はまだまだこれからである。



(2年8月)    ランニングトピックス    <直射日光の恐怖!?>

〜赤血球を壊す、というレポートも


 今年の夏は気持ちの良い夏だと、一人元気に走り回っているわたしである。何が気持ち良いかというと、
洗濯物も布団もよく乾いて気持ち良い&汗だくになって走っても水浴びが気持ち良い&そしてやっぱりビール
のあわあわが気持ち良い!!神経痛持ちのわたしは、寒さを気にしなくて良い〜夏だから暑いのは当たり
前!〜それだけでも元気が出る。

 いまは秋からのマラソンシーズンに備えて、LSD(=ロングスローディスタンス=息も上がらないくらいの
ゆっくりしたペースで長い距離を走ること)の季節。夏だから暑いのは当たり前!と言い切れるわたしも、さす
がにヒートアイランド大阪平野を避け、木陰の多い生駒で走っている。
夏は、完全にLSD中心である。

 わたしは汗をだらだら流しながら走ることが苦にならないタイプ。でも、紫外線のことを放射能?と言い間違
えるくらい、直射日光には弱いので、かんかん照りは極力避けるようにしている。日焼けがイヤ、と言う以前
に、肌が弱いのである。

 誰が見ても地黒のわたしが、「強い日差しにあたって肌がほてって痛い。」と訴えても、悲しいかな、誰も
信用してくれないのだ。でも、痛いものは痛いし、紫外線による体力の消耗は馬鹿にならないと思うので、
日中走るときは長袖に手袋必携である。それ以上に、出来るだけ朝早くか、夕方日が暮れてから走ることが
得策!。週末ごとに早起きして走り始めるおかげで、早朝からめいっぱい走って帰ってきても、まだまだ午前
中〜〜〜って感じなので、「早起きは三文の徳!」、を実感している。

 さてその、夏の直射日光、これ、かなりの曲者らしい。

 わたしは経験的に、かんかん照りのレースでランパンランシャツで走ったときの、肌に直接あたる紫外線に
よる体力の消耗をかなり感じているの
で、練習で日中に走るときには必ず帽子をかぶり、長袖Tシャツに手袋をして走っている。脚だけはもう、仕方
ないのであきらめて丸出しである。
(丸出しにしても短いけど・・・)

 「長袖で走ったときの、腕にまとわりつく感じが暑苦しくて嫌いだから、ランパンランシャツで走る。」という人
もいるが、わたしは、腕をむき出しにして走って、その腕に紫外線が降り注ぐために体力を消耗するのがあり
ありとわかるので、夏場は特に意識して長袖を着用する。暑苦しい長袖を着ても耐えられるので、助かるかな。

 直射日光の影響については、日焼け、という美容の大敵以外にも、赤血球を壊す、というレポートもあるくら
いである。〜以下に簡単に抜粋〜貧血気味の方、特に注意!

 日本陸上競技連盟医科学委員会委員の井本岳秋先生のレポートによると、「1月から12月まで、高校男子
陸上競技部員について毎月1回ずつ早朝空腹時採血を行った。気象台情報を取り寄せ、全天日射量(日射
量)とヘモグロビン濃度を検討した。」

 〜(中略)〜

 「表からわかるように、7,8,9月が最もヘモグロビン濃度が低く、3,4,5月がこれに次いだ。風吹けば
桶屋がもうかる、ような話ではないが、以下にヘモグロビン濃度を下げないようにするための諸注意を述べる。」

 「貧血対策には、気温よりも直射日光(直達日射)や乱反射光から肌を守る服装が大切であり、曇天や日陰
でトレーニングするのがよい。高地トレーニングをした後にマラソンランナーの血液性状が悪くなるのも栄養や
運動量の問題だけではなく、空気の薄いところで多量の紫外線を浴びることが原因していると考えられる。」

 「*日射量には直達日射と全天日射の二つがある。直達日射は太陽から直接入射する日射量で、全天日射
は全天から水平面に入射する散乱光、反射光、直達日射の全部を加えたものである。」




2002.9.1  かっとび伊吹(チャレンジの部6キロ)

                                   42分01秒(女子総合優勝)

 例年8月の第1日曜に開催だったこの登山マラソン、同じ登山ルートをたどる登山客との折り合いもあり、昨年は6月下旬に
開催予定だったが、梅雨どきの降雨により中止。やっと今年は晴天に恵まれ9月の第1日曜に開催となった。

 チャレンジの部6キロは、最初3キロほどを舗装された林間道を走り、そこから伊吹山スキー場のゲレンデを駆け上がり、山の
3合目にゴールする。山頂を目指すアタックの部10キロは、さらにそこから
4キロほどの登山道を、文字通り両手両足を使いながら
駆け上っていく。登山マラソンの経験者によると、「かっとび伊吹は、富士登山競争のミニ判」とのことだ。

 わたしはこのレースに参加するのは実に5回目。初回はアタックの部で山頂を目指した。やはりのぼるからにはてっぺんが
いいと思った。ところが山のレースでのペース配分が難しく、細く険しい登山道に入ってから前後の選手のペースに巻き込ま
れてすべて歩いてしまい、まったく不本意なフィニッシュだった。2年目はそのリベンジで、もう一度アタックの部に挑戦。あまり
にもしゃかりきになって登山道を登りすぎたため、疲労困憊し、へとへとのよれよれ。夏ばても手伝って神経系統にウイルス性
の激痛と湿疹が発生して、翌日から一週間の点滴を余儀なくされた。

 友人に誘われるままに連続参加を決めた3回目以降、もはや山頂はわたしからは高くて遠い存在となった。もともとのぼりが
弱いわたしである、山頂を目指すなど10年早い!3合目ゴールのチャレンジの部で、歩かずに走りきることを第一目標に変更
した。

 「走って登ることの出来る林間道の間に好位置をキープし、そのまま細い一本道・オフロードの山登りに入る」というのを鉄則
にしているが、最初に飛ばしすぎると山に入ったとたん脚が止まってしまう。林間道も完全舗装とはいえ、かなりの勾配でぐん
ぐん上っていくからである。

 林間道を走る間に15分前にスタートした山頂コースのランナー達に追いつき、つぎつぎ追いこしていく。ゲレンデに出ても、山
頂を目指すランナー達がずっと長蛇の歩行の列である。3合目をゴールとするチャレンジの部のランナーとは走る速度が異なる
ので、追いこしざまにどんどん道をあけてくださるのが嬉しかった。が、しかしなんとか走りモードで駆け上がったのはゲレンデ
一枚分だけ。迂回コースを走り、次ぎののぼりに差しかかったころには脚は止まってしまっていた。

 「かっとび練習」と称して、急な激坂を歩いて上る練習もした。その中で気づいたのは、「走るモードにこだわってとことんまで
走り、体じゅうに乳酸がたまった状態で歩きに切り替えても、脚はもう動かない。すこしだけ余裕を残した段階で早い目に歩き
に切りかえると、それなりの歩みを進めることが出来る。」今年も3合目までのコースを歩きを入れてフィニッシュすることとなっ
た。

 順位的には、今年はまったく強い人が来ておらず、特にわたしのエントリーしていたチャレンジの部(3合目ゴール)では、2位
以下に大差がつくレースだった。林間道に入る前から後続の女子選手の気配を感じなくなり、女子同士の競り合いがなく、淡々
と走ってしまった。
例年、岐阜のHM子さんの早々に遠ざかる背中を見送りながら、後ろのほうでも小競り合いが続くのであっ
たが・・・。

 山頂コースも例年、静岡の☆野Y美さんが総合優勝して、優勝商品のマウンテンバイクをかっさらっていくのだが、(☆野さん
登場以前は、愛知の美男美女御夫妻ランナーがご活躍だった)、今年は事前に彼女自身のHPで、棄権の知らせが・・・。さて、
優勝争いの行くえは???


 一緒にJRの青春19切符を使って列車を乗り継いで参加した練習仲間のI筒さん(久宝寺RC)、枚方マスターズのS村さん、河内
長野のM呂さん、滋賀のT田R子さん、福井のA・H美さん、年齢はわれわれよりも上ではあるが例年入賞のO村さんと好敵手が
そろって、誰が勝ってもおかしくないレースで、トップに踊り出たのは地元滋賀のT田さんだった。

 わたしが3合目にゴールしたあと、山登りの気分を味わいたくてもう少し上まで登り始めたら、じきに山頂ゴールして下りてくる
アタックの部の選手たちにすれ違った。女子総合優勝したT田さんのとても
晴れやかで満足そうな笑顔にもすれ違い、「やった
ねー、おめでとう!!」とその走力に脱帽した。


2002.9.16    大阪陸協加入クラブ対抗

             (5000m)18'32"06  (800m) 2'33"78 (100m) 16"38
 やはりこの時期のトラックレースはまだまだ暑さとの闘い。しかも夏のLSD続きで、スピード感もないのだが、
気合を入れて最初からできるだけ飛ばしてみた(一周82秒、1000m通過3分27秒)。しかし3000mを越えて
ペースはジリ貧、その後も粘ることができず、18分台一桁どころか平凡なタイムに落ち込んでしまった。しかし
思いきっていいペースの集団に付いていったので、後悔はない。ただ、自分にいかにスピードがないかを思い
知ったレースであった。速く走ろうと思っても、脚がついてこない。脚が回転しないし、推進力もない・・・
 
 後半にペースダウンして、よれよれの状態でゴールした5000mから25分後、今度はスパイクシューズをはい
て、800mだ。緑のフィールドでとぼとぼ裸足ジョグをしたものの、まだからだの状態が平静でない様子。吹き出
てくる汗も引かない状態で、5000mを走るスピードがないのを痛感した後の800mはどうやって走ろう?〜とに
かく最初の一周は突っ込まないこと。2周目のバックストレートで失速してしまうだろうから。

 すぐにレーンに入ることを促され、トラック2周のレースはスタートした〜スパイクのおかげで脚は弾み、身体は
なんとか前に進むようだ。「飛ばしすぎないこと、楽に楽に・・」と念じつつの一周目のラップを取って、76秒。バッ
クストレートでもまだ呼吸には余裕があるように思えた。

ずっと続いている後続の足音が近づいてきたようだ。コーナーを廻ってホームストレートに出る間際にかわされ
た。トップのまま逃げ切れるとは思っていなかったし、かわされることも充分予想していた最終展開だが、わたし
のほうのスピードの切り替えがまったく効かなかった。ここでの切り替えができないから・・・フルマラソンの最後
に帰ってきたトラックの直線で何度も抜き去られているわたしであった・・・。

 ハァハァゼイゼイ、息を切らして緑のフィールドに戻っていったが、一生懸命走った満足感でわたしは笑顔だっ
たのだろうか・・・応援してくれていたMKちゃんが、「ヒロ姉(=私のこと)、楽しそう。」と言ってくれた。「うん、最
後に抜かれても、楽しいよ!」

 この800mのレースで最後にわたしを抜いていった長身の女子選手と、クールダウンのジョグをいっしょにする
ことができた。800mで十分なスピードを持ち合わせているのに、5000mやロード、マラソンなどは走らないのだ
ろうか?不思議に思ったわたしのほうから話し掛けていったら、とても気さくに応じてくれた彼女に好印象を持っ
た。

 わたしとひとまわり以上も違う彼女のユニフォームには、「札幌北」とのネーミング。北海道出身らしく、色が白
い。元800mの選手だったそうで、だから今日もその種目だけにエントリーしたとのこと。練習仲間にも恵まれて
「5年計画で女子マラソンを走れるように。」とのとても謙虚な目標を語ってくれたのだが、「とんでもない、わたし
でも女子マラソン、走っているのだから、ちょっと頑張れば今シーズン中にでも資格取れますよ!
地元大阪のレースをぜひ一緒に走りましょう!」

 そういえば、わたしも資格取りのシーズン、レースで出会った女子マラソンランナーの人からよく励ましてもらっ
たものだ。その当時のわたしにとって、女子マラソンを走っている人からの言葉はとても嬉しかったし励みになっ
たものだ。彼女らからの言葉の数々は、いまでもしっかり覚えているくらいである。その時々に大事な出会いが
あって、今もこうして走ることが好きで、一生懸命走れることをとても嬉しく思っている。

 さて、本日のトラックレースの最後にエントリーしていた種目は、100mである。ちょっと余談だが、9/12付け陸
上競技メールマガジンより、トピックス〜『日本陸連は3日、セクハラや暴力行為の防止を目指す「倫理に関する
ガイドライン」を発表した。セクハラとみなされる行為の具体例などを示したもので、〜(中略)〜ガイドラインでは
指導や体調 管理で相手に接する際には「直接肌に触れず着衣の上から」「第三者に同席を求める(医師、ト
レーナーなど)」など注意点を明記。また、ガイドライン作成に携わった女性委員からの意見として「競技者は刺
激的なユニホームの着用」を控えるよう配慮を求めている。』

 にもかかわらず、今年も披露してしまった、ローズピンクのハイレグレーシングワンピース!わたしが着用して
も、「刺激的」にならないらしく、どこからもクレームが来なかった。ホームストレート100mの距離を走るのに、
16秒以上もかけて一生懸命ご披露したにもかかわらず、ギャラリーは目をそむけていたらしい・・・トホホ・・・

2002.9.22       吹田中ノ島5時間走       

  走破距離62.7キロ
 淀川ランナーズの大先輩小林明子さん、妹の西岡貴子、と3人そろって招待いただいた嬉しいレース。例年
ちょっと暑い目で、5時間の長丁場での水分補給に気を使うのだが、今年はずっと曇天。河川敷では涼しい風も
吹いて、汗の乾きも早かった。(あとで聞くと気温26度とのことだった。)

 昨年は、4時間経過までずっと妹と並走して、四キロの周回コース一周ずつペースメイクしたり、給水の紙コッ
プを回し飲みしたり、ひとりが前に出て風除けになったり、と最大限協力して走った。しかし今年の妹は、かかと
に爆弾を抱えている。わたしと同じ身長にもかかわらず常に体重差が5キロあるところから、着地時の衝撃のた
めか、かかとに故障が出ているのである。しかし、妹の名誉のため〜妹のほうが常に体脂肪率は低いので念の
ため。

 40分経過まで、ほぼキロ5分ペース。私達3人を含む数名がかたまって走っていた。しかしそのペースに我慢
できなくなった2〜3名が飛び出し、わたしは慎重に後ろのグループに残る。が、やはり、前方を見据えていたた
めか、すこしずつペースは速含み。四キロの周回コースを1周19分余り(キロ4分45秒〜50秒)まではなんとか
なるか、と思い、このペースでどこまで押せるのか、走り続けることにした。この時点ですでに妹は自重してキロ
5分を守ることにしたようだ。

 この大会での1周四キロの周回コース、同じ景色がぐるぐる廻ってくるので、1周ごとをイメージして走っていた
のでは、すぐに飽きてしまうこともあるだろう。前方や後続を気にして走っていても、自分のペースに乱れが来る
かもしれない。今年は、時間の経過を夏のLSDで走った生駒山の景色に置き換えて走ってみることにした。1時
間経過で山の中腹の休憩所(・・・ウエストポーチに入れた氷入りのボトルから給水して、トイレにも行ったっけ・・)
2時間経過でいつも折り返していた大きなセンター(・・・ここには自販機で10円のお茶があるんだっけ・・・)、2
時間半くらいで、山の峠のあたり・・・(大きな岩のところで休憩したな・・・)。さらに1時間走ると、山のコースでは
わたしの大好きなジェットコースターのようなざくざく道にはいる。ここでの細かなアップダウンは、とてもいい刺激
だった。そんなことを思いながらの5時間走だったので、途中、何周目、などとまったく意識せずに周回を重ねる
ことができた。途中、何人かの男性にもいいペースメイクをしてもらい、引っ張ってもらった。

 レース途中ではトイレなど行かない主義(=トイレにいかないように調整する、調整ができなくてもひたすら我
慢する)のわたしだが、今回は気軽にトイレにも飛び込んだ。だって、前後の女子選手、何名もトイレに姿を消し
ているんだもん・・・、たまにはこんなレースもあっていいかな。

 40キロ通過くらいで、妹はかなり遅れていた。かかとの痛みが出ているに違いない。すれ違いざまに、「(もう
40キロ走ったのだから、無理して最後まで走って痛みが拡大するよりも)ペースを上げて気持ちよく終わる手も
あるよ!」とすれ違いざまに言葉をかけたりもした。そのあと、妹はさらにペースを落としたようで、維持できる
ペースで最後まで走る作戦に切り替えたようだ。(走破距離58.7キロ)

 トイレ休憩した前後からわたしもすこしペースは落ちていたが、残り1時間を切ってまた、脚が動き始めた。例
年この時間帯あたりになると、給水所で立ち止まって給水する人が増えて、その人たちがそのまま給水所にと
どまっているため、給水コップを取りづらくなる。ところが今年は主催者側の配慮もあって、走りつづけたい人の
ために給水コップを手渡してくれたりしたので、走るリズムを乱すこともなかった。

 給水所で立ち止まって水を飲むこと、大いに結構。それをだめだと言うわけではない、しかし、走りながら給水
したい人もいるのだから、すこしのスペースを空けておいてほしいのである。立ち止まってゆっくり給水したい
人も、その人のペースだからそれはとても大事なこと。立ち止まった上で、自分に必要な数の給水コップと給
食物を手にしたら、給水テーブルの前を空けてもらえると、後続ランナーにもとても有難いスペースなのである。
かくいうわたしだって、立ち止まって給水することもある、だけど、走りつづけたい人の気持ちもわかるので、で
きるだけスペースを空けるように気遣っているつもりである。

 最後の30分を切ってからは、かなり一生懸命走った。4時間半も走ってきて、もはや最後の30分だと思うと、
とても貴重な時間に思えてきたからだ。今日はおかげで太陽も照らなかった。それでも寒がりのわたしにとって
涼しすぎることもなかった。懸命に走っているわたしを、ラスト1周余り、同じ淀川ランナーズの殿方が引っ張って
くださった。

 「さいごまでよう頑張るな〜。」と言ってくださったが、わたしもそのおかげで、「多くても62キロどまり。」と思っ
ていたところ、さらに距離を伸ばすことができた。

 そしてさらに・・・「(順位表彰のないナンバーカードを着けていても)手を抜かないで走るな〜。」今日の大会で
は、主催者の方針で招待選手のナンバーカードを付けているものはオープン参加となり順位表彰対象外である
順位が付かなくても、いつでも自分の走りをしたいのはわたしだけではなく、妹も、小林さんも最後まで力走され
たようだった。

 涼しい気候に幸いして、例年よりも走破距離を伸ばしたランナーも多かった反面、涼しさゆえの前半のオー
バーペースがたたって、後半に脚が動かなくなった人もいたようだ。そんな中でわたしは1.3キロだけだが、
昨年よりも多く走れた。

 しかし、悔しい思いをしたのは、お弁当&飲み物の配布だった。お弁当券と引き換えに、係りの人に、「ビール
にしますか?ジュースにしますか?ジュースだったら2本ですよ。」とたずねられて、もちろん迷いもなく「ビール!」
と即答。「ビールだったら、スーパードライ(350ml)しか残っていませんけど・・・」と申し訳なさそうに手渡してくれ
たので、飲み物がぷかぷか浮かんでいる氷入りのビニールプールをよく見ないで、「あ、それでいいです。」と喜
んで受け取った。 

 ところが、わたしの後にお弁当&ビールを受け取りにいった妹は、しっかり500mlの淡麗をもらってきた。
 「あれ?ロング缶なんてあったっけ?」
 「よく見たら、長い缶もあったから、聞いてみると、ビールなら350ml、発泡酒ならロング缶、って言われたから、
たくさん飲もうとおもって500mlもらってきた。」とのこと。

 あ〜、悔しい。わたしだってたくさん飲みたかったよ〜〜〜。350mlじゃちょっと物足りなくて、後でまた、ロング
缶を追加してしまった。それにしても、きんさん&ぎんさんことわたしたち小川&西岡姉妹は呑み助かな?

≪これから参加予定のレース≫

2002.10.13 御嶽マラソン 

 標高差1200mを上る陸連公認コースで、陸協の登録番号を明記して参加申し込みしますが、女子選手で3時間15分を切ってゴールした人はいません。男子の優勝タイムでも、やっとこさサブスリー、というかなりの難コース。坂が苦手な自分自身への試練として、景色と露天風呂を楽しみに走ってきます。
 そして露天風呂の入浴シーンを写真に撮って来ます!堂々ホームページで公開して、わたしもついにネットギャルデビュー予定!(え?誰も見ないって?世間の迷惑?別の意味でのモザイク必要?)

2002.11.17 東京国際女子マラソン

 過去3度走って、2時間54分台、55分台、56分台と、わたしの中のベスト3の記録はすべて東京女子マラソンでのもの。つまり東京のコースはわたしには相性が良いのかも。寒がりのわたしが体調を合わせやすい、というのもあります。今年こそ、四年ぶりの自己ベスト更新を願っています。

2002.11.24 上野シティマラソン(3キロ)

 今年も招待いただきましたので、東京女子のあと身体はぼろぼろでしょうが、忍者の里の紅葉も楽しみに出かけることにしました。三重県・上野で走った後は、大急ぎで大阪に戻ってきて、全国大学対抗女子駅伝、沿道で応援します!エンジのユニフォームの我が母校、若い選手たちの走りを楽しみにしています。

 

                               


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