2001年 7月〜12月のレポート |
7. 8 | 奈良県民体育祭(100m)〜遅すぎるタイムは内緒! |
奈良県民体育祭とは、奈良県内の市町村対抗の陸上大会で、しかも年代別。 たくさんの種目に各年代からまんべんなくエントリーすると6位までとりあえ ず参加点もらえるので、所属チームに貢献できるのである。 昨年は走り幅跳びに出場。年代別のクラスで優勝して、所属チームの優勝に 大きく貢献できた。というのは、陸上経験者は少なくて、ママさんバレーの人 とか、地域の卓球チームの人などが借り出されていて、ラフなTシャツとハー フパンツで参加する人多数。借り物競走やパン食い競争は無いけれど、運動会 のような気軽さかも。参加得点稼ぎのため、今年は100m競走に出場。 初めての100m直線コース、視界の先にゴールが見えているなんて、新鮮。 コースからはみ出さずにうまく走れるかしら・・・。ウォーミングアップで何 度かクラウチングスタートの練習をしてみた。「ボールを蹴る足と反対側の足 を前に」、「スタートラインから2足分後退して前足をセット」、「さらにそ こから1足半後退して後ろ足をセット」、「お尻を持ち上げたとき、スタート ラインの真上に肩がくるように」、テレビ番組でやっていたカール・ルイスさ んの「未来への教室」を思い出して。 しかし現実は甘くない。本番の「位置について。」のひとことでほとんどの ことを忘れてしまい、頭の中は真っ白。モーリス・グリーンのように頭を下げ て低い位置で突っ込んでいくイメージだったのが、号砲とともに身体はぱっと 立ち上がってしまう。体中に力が入りすぎて、固まってしまった。リラックス とは程遠い硬直した身体は、ただただ空回りするだけ。力が入りすぎると、硬 直して動けないということを実戦で始めて知った。 短距離の奈良県記録保持者の女子選手と同じレースだったが、その人の力強 いこと!スタートで一歩踏み出したとき彼女は3歩先、もがいているだけの私 と違って、彼女のスパイクは確実にトラックを蹴って前進している。タータン のトラックなのにスパイクの跡が残っているようだ。・・・わたしは、といえ ば、「マラソンを走っているときのフォームと相違ないね。」との評をいただ いた・・・。 マラソンランナーがにわかスプリンターとなって、気分だけを味わうことが できた。けれども、わたしは陸上競技が大好きであることが改めて判明。マラ ソンが好きなのも、陸上競技の一種目であるからかもしれない。 (ウルトラマラソンを走らない言い訳?!?) |
7. 8 | 大阪城七夕駅伝(クラブから5チームで参加) |
昨年は織姫チームとして、女子だけのチームで出走、2位になった。今年は 淀川ランナーズから総勢5チームで参加。クラブ行事としての位置付けになっ た。しかも言い出しっぺはわたし。メンバー集めからチーム編成・出走順・打 ち上げの手配まですべて、自己裁量に任せてくださった。もちろんいざという ときにはチームの役員の方が手伝ってくださる、というありがたいガードつき。 夕刻のスタートなので、日差しも傾きかけた頃から続々とメンバーが大阪城 公園に結集。今日も一日暑かったけれど、これからもっとホット!大阪の町で すっかりおなじみになった若草色のユニフォームで揃ってウオーミングアップ。 男性陣も各地のマラソン大会で入賞の常連となっている強力な兄弟ランナーを 迎え、女子チームの助っ人として我が妹まで引っ張り出し、クラブメンバーと してのつながりを感じ入る一瞬。 さてレースでは、わたしの走った男女混合チームでは、第1走者がうまく流 れを作り、第2走者で女子のわたしが走り抜かれる人数を最小限に抑え、第3 走者でほかのチームの女子ランナーを抜けるだけ抜き、第4走者でさらに先行 チームに肉薄、という願ってもない展開。強力チームが多い中、2位に入賞し た。おまけに私の担当はこれだけではない、女子メンバーの乏しいことから、 申し込み当初よりわたしは2回走る予定に。最後、女子だけのチームのアンカ ーをも務め、何とか4位に浮上した。 実はこの駅伝まで、どうも調子が悪く、思い切ったスピードで追いこんで走 ることが出来ていなかった。走ろうと思っても、脚がとてつもなく重たくなっ てしまって、息が上がるまで追い込んで走れない状態が続いていた。すばらし い男性メンバーの揃ったわたしの走った男女混合チームの、足を引っ張るよう な走りしかできないのでは、と、自分で自分の首をしめるようなオーダーをし てしまったことに後悔すらしていたのだ。 ところがいざ、駅伝でタスキを受けた瞬間、脳天が爆発するのは明らかなこ と。自分の脚の不調なのも忘れて、ただただ必死で走った。いい位置につけた 男女混合チームで、自分の区間で大きく順位を下げることは許せない。第4走 者を務めた女子チームでも、先行チームとの差は明らかで入賞ラインをはずれ ている、でも、いままでタスキをつないでくれた女子メンバーのためにも、少 しでも前との差を詰めたかったので、やはり必死で走った。 この必死具合が効を奏したのか、脚の血管に詰まっていた古くて悪い血液が 一気に流れたのだろうか、この駅伝のあと、体調は好方に向かっていった。 久しぶりに元気に走ることのできたわたしは、気分も明るく、打ち上げのO BP内のビアホールでとてもビールを美味しくいただいた。いつまでも自分の ことを新米、初心者、と思っていたら、こちらのクラブチームにお世話になっ て早や5年目。新しい女子メンバーも加わり、私も中堅どころに?!?大勢の メンバーに恵まれて、総力を結集して自分たちの走りができて、クラブチーム であることを嬉しく思った一日であった。 |
7.21 | 吹田リレーマラソン(8時間リレーマラソン) |
例年我がクラブチームで参加している吹田リレーマラソンは、1周約1.1 キロの公園内周回道路をタスキリレーしてできるだけ多くの周回を重ねようと いうもの。チャリティも兼ねているので、1周あたり50円程度のカンパをす ることになっている。公園内は多少のアップダウンもあり、木陰もあるので、 夏のスピード練習にはもってこいなので、今年も大勢のメンバーが集まった。 わたしは所用のため、チームへは11時出勤の2時半上がり。超重役クラス (?)である。きっちりお昼時ははずしていないので、冷やしそばをご馳走に なる。夕方になると「ビ」のつく飲み物も供されるらしいが、なにぶん所用あ り、公園内をジョグを数周+タスキをつけて3本走っただけで、持参のホース で「ドコデモ・シャワー」を済ませ、熱戦の続いている吹田の公園を後にした。 我がクラブチームは定期的な練習会を設けていないので、このようなクラブ 行事に参加しておかないと、「あれ?この子、どこの子?」なんてことになり、 顔を忘れられてしまっては大変。日ごろ余り顔を合わせないメンバーとの交流 も楽しみのひとつである。 |
7.22 | 青山街道珍道中かごかきレース〜特別賞獲得 |
今年も開催されるこのレースに、参加2年目の気合を入れて、メンバーも一 新し、真剣勝負!! とはいえ、ことしは新顔のメンバー5名に昨年度から継続のメンバーが2名 だけ。下準備もほとんど割愛し、全員が揃ったのは当日の朝、というお気楽さ で2台の車を連ねていざ、青山町へ。男性4名に女性3名という布陣。 昨年は初参加ということもあり、篭や衣装を自作したり、レース途中での関 門となる各種ゲーム(風船割やウナギつかみなど)の練習、そして1分間パ フォーマンスの打ち合わせは数回以上に渡り、レース当日よりも準備段階で大 いに盛り上がっていた。 けれども主催者側のゲーム出題の知恵が勝っていて、練習をしていったゲー ムはほとんど実施されずに、新作のゲームが多かった。というわけで、ことし はほとんど事前の練習をせずに、ぶっつけ本番での「お立ち」(=出走)だ。 ここだけは凝ってみたのが〜衣装は青山町の古き街並みにぴったりの新撰組。 安全刀を差し、三角のベトナム帽まで用意して、小物もばっちり。着物形式で、 羽織まではおるので、夏の暑さには耐えがたい・・・が、今年力(リキ)が入っ たのはこの衣装部門だけ。 かごかきレースといっても速さを競うものではなく、自作の篭を担いで町内 を練り歩き、途中数個所の「関所」といわれるゲームで、得点を稼ぎ(失敗す ると失点となる)、最後に得点の多いチームが優勝となる。ゲームでは毎年主 催者でよく練って考えていただいているようで、ことしのゲームもほとんど新 作ゲームだった。 「縄投げ」や「ボールの篭いれ競争」、「水鉄砲合戦」など、ここに書くのは 簡単で大体想像もつきそうなのだが、随所に出題者の創意工夫が凝らされてい る。我がチームは随所のゲームで少しずつ勝ったり負けたりしながら進んだが、 「さいころ丁半博打」で大負けに負け、挽回不可能に。 最大の山場、「1分間パフォーマンス」では、軽い音楽に乗って女性陣がジャ ズダンスのステップを踊り、最後に男性陣が「7.29選挙には、清く正しく 立候補&思い(重い)よ、届け、この一票」の自作の標語を掲げるという作戦。 実は男性陣にはダンスのステップが難しすぎて一朝一夕には出来ず、苦肉の策 となった。しかも全員が揃って練習したのは、青山町に到着後のこと。例によっ て駐車場で汗だくになりながらリハーサルを繰り返した。とまあ、一夜漬け (一朝漬け?)に近い状態で、なんとかパフォーマンスの関所を潜り抜けた。 汗だくになりながらも皆なが大いに楽しんで各関所を通過、まだ日の高いう ちに「お付き」(=フィニッシュ)となった。次の表彰式まで、約2時間の待 ち時間。ここは我々ランナー、本業に戻って、青山町を散策がてら元気に1時 間のジョギング。みんなちゃんとランニングシューズやウエアーを持ってきて いるんだ・・・。かごかきレースでは苦労の割には最下位に近い得点、ちょっ としょんぼりだったけれど、みんなランニングですっかり気分転換。 さて、表彰式では我がチーム、パフォーマンスなどの得点を加えてもダント ツの最下位という順位発表ながら、大阪からエンジンふかして遠路はるばるやっ てきたおかげで(?)、特別賞の金2万円獲得!参加費も要らないレースで、 丸一日楽しんで、おまけに打ち上げのビール代までいただいて、こんなマラソ ン大会があったらなあ〜〜〜。 |
7.29 | 大阪実業団対抗陸上競技大会(オープン5000m〜18分53秒) |
文字通りかんかん照りの太陽の下、夏のトラックレースでスピードチェック。 トラック周回上にも給水が用意され、干乾びる&焼け焦げるのを覚悟の上、4 00mトラックを12周半しはじめる。 今日のレース目標は、トラック400m1周を90秒、1キロあたり3分4 5秒のペース配分。後半も粘って何とか18分台後半のタイムでまとめること。 最初からぽんと20歳代の2選手が飛び出し、彼女らとの力の差は歴然なので 追いかけることなく、自重気味のペースで第2集団につく。直前の調整練習を 胃痛(注:参照)でこなせていないためか身体が動かない。集団のうしろで通 過した1キロは3分37秒。やはり飛び出しはみんな速い。少し体も動くよう になってきたので、このペースを積極的に維持すべく前に出る。 前を行く2選手との差がじりじり開いていく。ことしの3月早々に彼女らと 一緒に走ったハーフマラソンでは、私が8位。2選手がその後に続いて、9位 と10位に入賞した。「Oさん(=私のこと)、速いですね〜。」と言っても らいながらも、わたしは内心、「彼女ら若い選手が伸びてきて、私などがつい ていけなくなるのは時間の問題・・・。」と予感していた。その予想も次のシー ズン突入前に早くも的中。しかし若い選手が快走するのを見るのは心地よい。 となれば、わたしはわたしなりにふんばるしかない。1周ごとのペースを丹 念にチェックしながら、周回を重ねる。さすがに4000mを超えてペースは 1周93〜94秒まで落ちてきたが、何とか持ちこたえて18分台でおさめる ことが出来た。 クールダウンもそこそこに長居競技場をあとに、わたしが次に移動するのは、 鳥取県の米子。駅から約6キロの皆生温泉で開催されている皆生トライアスロ ンの声援に、高速バスに飛び乗った。 注)胃痛:それにしても私が胃痛なんて・・・。その原因は・・・? @落ちていたものを拾い食いしたか? A神経過敏のストレス過剰による胃痛か? Bはたまた腐ったものを食べたか? 大抵の人は、@かBと回答するでしょう。こんなのんきな私だってたまには 胃痛に襲われることがあるのです。 |
7.29 | 皆生トライアスロン観戦記 |
夏の一番暑い時期に行われるこの皆生トライアスロンは、ことしで第21回 目。皆生(鳥取県)は日本で最初にトライアスロンレースが行われたところで、 トライアスロン発祥の地とも言われている。高石ともや選手が初代優勝のトラ イアスリートだ。 このレースは、朝7時にスタートの号砲が鳴り、スイム3キロ・自転車14 0キロ、そしてランはフルマラソンの距離を走る。最終ゴール閉鎖時刻は実に 夜の9時半だ。同じアスリートとして、この長丁場のレースを戦うトライアス ロンの世界を一度は観戦してみたいと思っていた。フルマラソンでさえ持て余 し気味のわたしだが、スイム3キロ・自転車140キロを走りぬいた後の42 キロはどんな距離なのだろう・・・? しかし、午前中に大阪でトラックレースを走ってから皆生に移動してきたわ たしは(米子着15時30分)、男子選手のトップクラスのゴールには到底間 に合わず、かろうじて女子トップの最後の走りを見ることが出来た(16時2 0分ごろゴール)。完走するだけでもすごい距離なのに、最後まで走りつづけ て笑顔で花束を受け取りゴールテープを切っている。スリムで華奢ともいえる 体型の女子優勝の松本晴美選手だが、その体型からは想像もつかない強靭な精 神力とスピードをも持ち合わせているらしい。 ここからわたしはランコースにでて、逆走して後続のトライアスリートたち を出迎える。続々と戦いを終えたトライアスリートたちが帰ってくる。まだま だ日は高い。彼らは日中のいちばん暑い時間にランをスタートして、フルマラ ソンの距離を走って帰ってきているのだ。なんという体力。しかも見かけは普 通のお兄さんお姉さん、おじさんおばさん。ごく普通に街で出会うような彼ら が、この真夏の過酷なレースに挑み、完走まであと数キロのところまできてい るのだ。彼らのみんなが真っ黒に日焼けして、黒光りしている。日焼けでほてっ た肌に、汗が張り付いている。 逆走を始めたわたしですら、太陽の強さと気温の高さにやられかけ、選手の ためのエイドステーションに立ち寄ってしまう。エイドやコースを支える黄色 いTシャツを着たボランティアの人たちの親身な笑顔と声援。「がんばってく ださいね〜。」「あ、わたしは応援のものです。」「そうですか、応援の方も がんばってくださいね。」という具合。 逆走中のわたしは、あるひとりのトライアスリートに出会った地点でそこか らは彼の伴走を勤めることになっていたので、出来るだけ長い距離を伴走する ためにも、逆走分をできるだけ速く走ることに徹していた。コースは道路規制 していないので、選手は歩道を走り、交通信号も遵守が義務付けられている。 そんななかを日焼け防止のため長袖を着て手袋まではめたわたしが、(自分で いうのもなんだが)かなりのスピードで走っているものだから、時々オフィシャ ルカーに乗った審判員に止められたりもした。 ランの残りあと16キロくらいの地点で、その彼に出会った。予想していた よりも元気そう。バイクを早くあがり、2時ごろからランコースに出たそうだ。 それにしてももう、あたりは夕刻。日は落ち、いくぶん走りやすくなっている ものの、あとどれくらいの時間でゴールできるのだろう?エイドステーション で立ち止まり、動きづらくなっている脚をほぐしている。どれほどの重さだろ う。一日中太陽の紫外線にさらされて、肩も背中も火照っているに違いない。 ややもすると歩き出してしまう彼を叱咤激励して、文字通り首に縄をつけた ような状態で伴走する。これまた時折出会う審判員に、「伴走はだめですよ!」 と注意を受けながら、そんなときだけ、道路の反対車線側の歩道を走ったりし て、走っている彼を見守る。けっしてスピード感があるわけでもなく、それで も懸命に自分自身を前に運んでいる。とことこ・・とことこ・・・・少しずつ 前のランナーに追いつき、追い越していく。また逆に、後ろからきた女性ラン ナーの確実な走りにおいていかれたりもする。それでも、とことこ・・とこと こ・・・・。けっして速いわけではないのだが、がんばっているなぁ・・・。 いよいよゴール地点の皆生温泉街に近づいて、あたりは知らないうちに真っ 暗になっていた。もう夜の7時半をまわっている。コースの照明と暗闇のコン トラストが綺麗すぎるほどだ。最後のエイドステーションで、蛍光に光った手 首の輪っかをつけてもらう彼。歩道を走るランナーを暗闇でも判別しやすくす るための印だ。審判員も多いので、4車線ある道路の反対側で彼のペースを確 かめながら伴走を続ける。蛍光に光った手首の輪っかがあるので、かなりペー スが上がっているのがわかる。最後は元気良くゴールできそうだ・・・・。 ***************************** わたしにとっても長い一日だった。大阪でトラックレースを走ってから、半 信半疑のまま高速バスでこの地にやってきた。「トライアスロンって、どんな 感じかな?こんなに遠いところまできて、自分は何をしようとしているんだろ ?」米子駅前に到着してから、丸4時間、応援のために走りつづけていた。し かしトライアスリートたちは、朝の7時にスイムをスタートして、わたしが移 動中のバスの中で眠りこけている間にもバイクをこぎ、暑いさなかからランに 挑んでいたのだ。「スイムのスタートを見たり、バイクコースに出なければ、 トライアスロンの醍醐味はわからないよ。」とも言われていたが、わたしにとっ ては最後の瞬間だけでもその雰囲気に触れることがだいじだった。 この過酷な気象条件のもと、3種目をこなさなければならないトライアスロ ンに挑ませるその魅力は何なのだろう。競技だから、タイムが計測され、順位 も付けられる。けれどそれ以上にもっと大切なことがあるのだ・・・。 わたしにとって別世界の出来事であるこの競技だが、自分の決めた道にむかっ て、懸命に走っていくそのさまは、同じアスリートとして、自分の気持ちを奮 い立たせるにはじゅうぶんである。 長い一日の終わりに、わたしにとって大 切なものに気付かせてくれる皆生大会であった。 追記: レースの翌日に行われたアワードパーティで、表彰式が行われた。男子の選 手層は厚く、トップクラスはほとんどトライアスロンのスペシャリスト、とい うべき人たちだと思われるが、女子の入賞者の多くは、大阪国際女子マラソン 等で活躍している市民ランナーの顔ぶれだった。 ただし、わたしは今回のレース観戦を、一部の人々が言うようにトライアス ロン参戦の下見として出かけたのではけっしてない。むしろトライアスロンは わたしには遠い競技であることを知った。クロールで泳げば息継ぎで沈んでい くし、ママチャリに乗ってもよく転ぶ。マラソン練習ですら、走行距離を稼ご うとするとやわな身体のほうが先に参ってしまう。トライアスロンは本当に体 力と精神力のある人たちの競技なのだ。 さらに帰阪後の追記: この皆生大会と同日に、岐阜県・長良川でもトライアスロン大会が行われて いた。不幸なことにひとりのトライアスリートが、競技中に帰らぬ人となった。 速報が届いた皆生の会場からも黙祷をささげていたが、その人は大阪のトライ アスロン仲間であることが判明。死因が心臓疾患と聞かされて、他人事とは思 えず、お通夜の席に参列させていただいた。(実は私自身も97年春にフルマ ラソン完走直後に心不全で倒れている。1ヶ月におよぶ入院を余儀なくされ、 その病歴のために生命保険に加入制限すら受けている。) トライアスリートたちに見送られるその人の、最期のお顔も見せていただいた。 「自分の好きな競技中に亡くなったのだから、その人は本望かもしれない。」と 思っていたことは間違いであることに気付いた。何かまだやりのこしたことが あるようなその表情は、その人自身がいちばん無念であったことを物語っている。 自分には自分のできることがあるはずだから、そこで頑張ろうと思いつつ、健 康でいられることのありがたさを痛感した。 |
8.26 | 琵琶湖ジョギングコンサート |
(約10キロ=9.6キロ位?) 36分29秒 | |
琵琶湖の湖畔道路を走るこのレース、これも太陽をさえぎるもの何もなく、 例年のようにかんかん照りだとどうしようもない。が、3週間後の玉造マラ ソンの暑さ対策として走るつもりでエントリー。 ところがことしは例年とはうって変わって、時折小雨もぱらつく曇り空。 たしかに走れば暑かったけれど、この時期の琵琶湖としては良いコンディ ションだといえるだろう。 大阪から新車のオデッセイをとばして2時間弱で長浜に到着(注:わたし は助手席にのせてもらっているだけ・・・)。スキーインストラクター時代 によく通った奥伊吹スキー場へののぼり口でもある。この地方の雪のない夏 の輝きを感じる。 レースではやはりこの涼しさ(沿道の気温26度)が幸いして、思いのほ か身体がよく動いた。こんなスピードで走るのは久々だ。練習ではずっとゆっ くり長く、を心がけて夏を過ごしてきたので、速いペースに対応できるかど うか不安だったが、何とか最後まで走りきることが出来た。距離がかなり短 そうだが、きょうのように身体が動くときにきちんとした10キロの距離を 走りたかったな・・・・ レースのあとのお楽しみは高石ともやさんのコンサート。いつもCDで聴 いているおなじみの曲がどんどん飛び出してくる。やっぱりライブはいいな あ・・・コンサート中に表彰式が行われ、わたしも女子の部でステージに上 げてもらった。マイクが廻ってきた時、高石さんの曲の一節をいただいて、 「優勝の文字は優しいと書くんですね、いつも前ばかり見て走っているわた しですが、これでちょっとは優しくなれるような気がします。」とひとこと。 昨年は「高石さんと浅井えり子さんのファンで〜す。」などと追っかけみた いな挨拶しか出来なかったけれど、ちょっとは進歩したかな・・・? |
9. 9 | 湖山池ハーフマラソン大会 |
(ハーフ) 1時間29分51秒 | |
ランニングクラブの仲間の厚意により、大阪から日帰りの車が出るので、 わたしも乗っけていってもらう。たくさんのメンバーときょうも快適ドラ イブで、大阪中部から3時間弱で鳥取市・布勢陸上競技場に到着。2度目 の参加だが、前回は気温32度の暑さで、給水所の水も沸騰間近のお湯の ようだったことしか覚えていない・・・。 (あ、参加賞の20世紀梨も美味しかったな・・・) ひとなつのレース参加回数を押さえて、ずっとキロ7分で走る練習をし ていたわたしにとっては、ひさびさのハーフのレース。週末に玉造マラソ ン(20キロ)を控えているので、今日はペース走の予定。トラック周回 を2周半(約1キロ)してから外のロードに出て行く本格的な気分を味わ えるレースで、落ち着いてスタートしたので、トラック周回中に「我なが らゆっくり走っているな、きょうは景色が違うぞ・・・?」と感じ入って しまう。いつもなら号砲一発、ドンと飛び出すのが身上なのだが、今日は どんどん人に追い抜かれても平気平気。それにしてもこの暑い日ざしの中、 気温32度で11時スタートのレースは後半、かなりばててくることを覚 悟しなければならない。 このレースは、鳥取県出身の山下佐知子選手が、バルセロナオリンピッ クで4位入賞したことをたたえて開催されている大会で、ことしで9回目。 当初は女子ハーフマラソンだったのが、昨年からは男子の部も新設され、 大会関係者の熱意を感じる大会である。 前回走ったとき(第6回大会に参加)は女子ばっかりだったので参加人 数も少なく、レースの早い段階でぽつんとひとりになってしまい、当然暑 さとの戦いで、かなりの孤独感だった。ところが今年は男子選手と混じっ て走れるおかげで、湖畔の風の強いところでは風除けにさせてもらったり、 ペースメーカーになってもらったり、とかなりの走りやすさ。給水所の水 にも氷が浮かんでいたりしてとても冷たく、スポンジに含まれた水も心地 よかった。 前半かなり余裕を持って男の人を風除けにしたりしてのんびり10キロ まで走ると、43分半もかかっていた。けれどもこのペースだったのに、 先行した女子選手の背中が次々見えてきて、ちょっとペースを上げて湖畔 のカーブをこなしていく。ひとりまたひとりと追い抜くたびに、みんなが みんな、かなり暑そうで、暑さのために集中力を欠いている感じ。わたし にとってもたしかに暑かったけれども、湿度がそんなに高くなかったよう で、ばてることなく十分普段の感覚で走りつづける。 最後の15キロからは予定通りスピード全開、のつもりが、向かい風 (言い訳かな・・)にもやられて、もがいているだけの状態だ。トラック に帰ってきて、1周と4分の1分を周回。これもまた、しんどかったけれ ども気分は本格派競技的。フィニッシュして全身からこんなに汗がしたた り落ちるのはこの夏初めて。新品のナイキのシューズもびっしょり汗に濡 れてしまった 。 大阪では熱帯夜が35日間も続いたという今年の猛暑だったが、いよい よ9月に入りレースシーズン開幕だ。例年のようにどのレースでも全力で 走るのではなく、うまく調整にレースを使って、狙ったレースに体調を合 わせられるよう、ひとレースごとに課題をもって走りたいものだ。 |
9.15 | 玉造松江毎日マラソン |
(20キロ) 1時間18分12秒(20キロの自己ベスト) | |
今年の玉造は、酷暑マラソンとのうたい文句とはうって変わって、気象 条件(9時現在で21度、湿度92%)に恵まれ、シーズンの序盤戦とし てはいい力試しのステージとなった。トータルで`4分を切っていくこと、 けれども守りのレースはしたくない、これが第一目標だ。号砲一発、最初 のくだりを利用してリズムを作り、飛び出していく作戦。どこまで持つか が勝負の分かれ道。 レースに向かうまで、さすがに緊張して、動きがなんだか硬い。前日の 開会式でも、前年度優勝とのことで招待選手席が用意され、主催者から紹 介されたりした。名前を呼ばれたら、ただ単に起立して、頭を下げるだけ なのにとても硬くなってしまった。自分がこんなところに座っているのが おこがましい、という気持ちが大きい。 レース当日の早朝はものすごい風雨で目覚める。あわててテレビをつけ ると、島根県に暴風・波浪警報が出ているという。しかし伝統ある玉造松 江毎日マラソンがこんなことで中止になるとは思えない。雨が降っても風 が吹いても自分の走りをするだけ、と気を取り直していると、宿を出てス タート地点に向かうころには、ほとんど雨もあがってきた。 結果から見ると、順位的には2位だったが、わたしとしては狙っていた とおりのタイムが出たので、ディフェンディングチャンピオンながら、大 満足のレースだといえる。 優勝した20歳台のランナーとは、本来の走力の差が歴然。にもかかわ らず、思惑通り最初からとばして、5キロの通過が18分31秒、10キロの 途中経過でベスト(37分42秒)がでたこと、なんども競り合いながら 17キロまでトップを走れたこと、最後は力の差がでたが、何とかまとめ ることが出来、これからの秋のフルマラソンにつながっていってほしいレー スだった。 |
9.23 | 第15回吹田中ノ島5時間走 |
またまた妹と一緒に出かけました。第11回大会ではわたしは60.2 キロ走破、妹は第12回大会で60.8キロ走破。さて今回の姉妹対決は? けれどもわたしたちは、脚の引っ張り合いをするような姉妹ではなく、 仲良しきんさん&ぎんさんの、姉妹ランナー。 キロ5分で走りつづけることを共通の目標として、1周4キロの周回コー スに飛び出していった。少し心配は、今日の晴天と気温。余りにも雲ひと つない青空で、まだ夏の日差しが残っている。わたしはかなり暑くなって も耐えられるタイプだが、妹は暑さに強くない。朝の9時スタートで、競 技終了は2時、ということは、気温の上昇は十分に考えられるのだ。河川 敷と吹田中ノ島公園を周回するコースで、公園内は生い茂ったみどりのお かげで涼しく感じられるが、いったん河川敷に出ると太陽の照り付けで汗 がじりじり焼け焦げるようだ。おまけに風もある。 この大会には今回、有森裕子選手がゲストランナーでみんなと一緒に走っ てくれている。しかも彼女自身、11月の東京国際女子マラソンに向けて、 今日は練習の一環としているそうだ。大勢の男性ランナーに取り囲まれて いる有森選手にわたしたちもくっついていったが、周回コース2周目で早 くもペースアップした集団についていけず、見送る。 1時間くらい妹と併走して、他愛のないことをしゃべりながら走ってい たが、不謹慎なことにだんだん飽きてきた。風も強いので、1周ずつ、前 に出て引っ張り合いをすることにした。給水もひとつのコップを回し飲み。 ペース管理も二人でお互い時計をチェック。身体が動くようになってきて も速くなりすぎないよう、設定ペースをキロ5分をちょっとだけ切るとこ ろにおいて、走り続ける。妹が一緒だと心強い。一緒に走っているランナー からも、「この二人の対決はどこでどうなるのか楽しみ。」などといわれ、 妹の快走ぶりを頼もしく思う。 妹の脚が鈍ったのは、4時間を過ぎてからだった。ペースを守るのが少 し辛そう。息が上がっているふうでもないのだが、脚が動かなくなってき たようだ。4時間15分を過ぎて、いままでのペースを守りつづけるわた しから、妹は少しずつ遅れ始めた。ボランティアを務めてくれている友人 も、「妹さん、お姉さんについて!ついて!」と励ましてくれている。 「あと少しだから、もうちょっとだけがんばれ!わたしもまだ走るぞ!」 と思いつつ、自分の脚を動かしていた。わたしだってもう、脚にきている 状態だ。しかしこの時点でほぼ、妹とのワンツーフィニッシュが確定して いるので、気分良く走りきることが出来た。 3月の美山マラソンに続いて、ロングのレースで姉妹ワンツーフィニッ シュだ!あの、旭化成の宗兄弟は、ワンツーフィニッシュを4度達成だと いう。わたしたちはこれで2度目、と勘定してもいいかな?お互い元気で、 できるだけ長いこと一緒に走りつづけることができるよう・・・。 ちなみに〜やはりこの大会でも、わたしたち姉妹を取り違えて覚えてい る共通の友人がいることが発覚した。併走しているわたしたちに向かって、 妹の苗字(妹は平成元年に結婚して、姓が変わっている)を呼んで声援し てくれている。「ああ、妹を応援してくれているんだな。」と思っている と、わたしが単独走になっても、わたしに向かって、妹の苗字で声援して くれている。「う〜ん、どうやら間違えて覚えこんでしまっているようだ ・・・でも、声援ありがとう!」 わたしたち姉妹は、雰囲気が似ているようで、小さいころからよく、ご近 所の人にも間違えられた。そしていったん間違えて覚えこんでしまうと、 なかなか修正がきかないようで、しょっちゅう間違えつづけられたりした ・・。ええい、この際だ、今度はお揃いのユニフォームで、さらに廻りの 人をかく乱してしまおうかな・・・? 女子更衣室秘話〜今日もラッキーなことに、更衣室で有森選手とご一緒だっ た。間近で見る有森選手からはさらに輝くものを感じられる。さすがにうっ すらと日焼けしていらっしゃるので、「日焼け対策はどうしておられます か?」と女性特有の会話。すると有森選手、「顔に何かを塗ったりするの は嫌いなので、お化粧も一切していません。」たしかにお化粧しても、汗 で流れてしまうし、皮膚呼吸も出来なくなるので、あまり益はないのだが、 日焼け対策に欠かせない。「え〜〜〜、お化粧もしなくてそんなに綺麗な んですか〜〜〜???」「うふふ、そんなことないですよ。」とにこやか な答え。素顔の有森選手はまさに夏の太陽にぴったり、ひまわりのイメー ジでした。 |
9.24 | 大阪陸協クラブ対抗陸上競技大会 |
(5000m) 18分46秒 (100m) 15秒99 | |
前日の5時間走より一夜明けて、今日はトラックレース。さすがに61. 4キロを走破した疲れは、身体中に残っていて、背中もバリバリ、脚もパ ンパン。このような状態が予測されるのに、普通は翌日にレースなんてエ ントリーしないだろうに・・・・。 疲れついでに、家から陸上競技場まで、45分ほどの道のりをママチャ リで出かける。走るのとはまた違った筋肉を使ってみようとの試み。天気 もいいので、朝の空いた道路をとばして行くのはすがすがしい。 さてレースに臨もうにも、ウォーミングアップもままならない状態。ジョ グをしていても身体がぎこちない。 流し(=少しスピードをあげて気持ちよく走る)をしようにも身体が動 かない。これでトラックレースなんて走れるのだろうか??? と思いきや、号砲一発、金縛りにあったようだった身体はすっと力が抜 けて、脚が動き始めた。不思議なこともあるものだ、歩くのもよちよち歩 きだったのに・・・?とにかく楽に走ることだけが今日の目標。無理をせず に、飛ばし過ぎないように。結局完全なイーブンペースで400mのトラッ クを12周半し、動かなかった身体は少し楽になった。結構な荒療法もあっ たものだ。 荒療法ついでにエントリーしていたのは、個人女子100m。イメージは 故ジョイナーさながらに、ローズピンクのレーシングワンピースを新調。 ところが参加人数が少なく、わたしだけのレースとなってしまった。まあ いいか、ドンくささが比べようない、と思っていたら、かえってロケット スタートが目立ってしまった。わたしの感覚では鋭く前方ダッシュの弾丸 スタートのつもりだったが、ギャラリーの評によると、天に向かってぴょ こんと飛び上がった(=立ち上がってしまった)という文字通りの垂直発 進のロケットスタートだったそうだ。にわかスプリンターは、前途多難で ある。7月に引き続き2度目の100mレースは自己ワースト記録を更新だ。 コスチュームにこってみたおかげでかろうじて15秒台にとどまったと 言えるだろう。(無理もない、マラソン練習中なのだから・・・と言い訳。) なぜわたしが100mレースに出てみたいのかというと〜〜〜中学・高 校のとき、脚が遅い陸上部員だったので、試合で短距離など出る幕はなかっ た。やっぱり人間、一直線をダッシュしてみたいし・ |
10.7 | 御岳マラソン |
(フル) 3時間44分 | |
相変わらず懲りずに標高差1200メートルの陸連公認コースでのフルマラソンレースに挑む。 何度走ってもこのコースはペース管理が難しく、最後まで歩かないようにするのが、最大の目 標。「御嶽の嶽は、地獄の獄に山かんむり」というが、そのイメージそのままのマラソンレース。 昨年の教訓を生かして、スタート時には暖かいめでも、標高1200メートルを登ると単純計 算でも気温が7度以上下がることを考慮に入れ、今年はロングスリーブとロングタイツでの出 走。山の天気は変わりやすいし、寒がりのわたしにとってこの服装で間違いはないはず! 前月から走りこみの量が増えているせいか、脚が重いままでのスタート。過去2回のレース では、10キロまでを45分で走るのが、「かなり押さえ気味」のペースだったのに、今年はその ペースで走れない。予定のペースをはるかにオーバーして10キロを通過してしまった。こうなれ ば、「完走」を手堅く考えないと、リタイアもありうる?!?とにかく歩かないように、歩かないよ うに。 途中、20キロを過ぎて、ポツリとひとりになったとき、「あれ、このペースってまるで夏のLS D?!?」と思うくらいのジョグになってくると、後ろから女性ランナーに迫ってこられたりして、 やっと走るペースを取り戻したり・・・。 25キロを過ぎてからの約10キロは下りが多い区間で、ここでいつも飛ばしすぎて最後に脚に 来ることも教訓だったので、しっかり自重して走る。しかし、自重しているのか、ほんとうに脚が 動かないのか微妙なところ、ペースはかつてこのレースで経験したことのないくらいの遅いめ。 ついに残り7キロの登り区間だ。ここで実に標高差370mをあがるのに必要なのは、「歩き たくない!」という昨年のレースからの課題。この区間への思い入れは強い。が、たしかに歩 きはしなかったし、歩いている人を多数追い抜いたが、走りモードで身体を動かしていただけ で、実際は早歩きの人よりも遅いくらいのペースだったに違いない。 ゴールでランナーを迎えてくれるのは、見事な紅葉。数日前からの冷え込みで、山の所々に 鮮やかな色が散りばめられている。楽しみにしていた標高1800メートルでの露天風呂は、湯 温不良のため1風呂だけ営業、ということは混浴になっていたので、残念ながら世間の迷惑を 鑑みて、わたしが遠慮することにした。 今回は3連休とあって、レースのあとも地元の湯屋温泉に連泊した。宿の心づくしの料理をい ただき、温泉三昧、マラソン旅行はいつのまにか温泉旅行に早変わりしていた。 |
10.14 | 大阪スポーツ祭典 |
(5000m) 18分37秒 | |
本年最後の長距離トラックレース。気合をいれてローズピンクのハイレグレーシングワン ピースで臨む、が、そのコスチュームがやや派手だったようで、応援の人はひいてしまい、声援 が乏しかった・・・・とホホ・・・・ |
10.28 | ユリカモメマラソン |
(フル) 3時間14分8秒 | |
10月の強化月間の総まとめとして、ペース管理をして臨む42キロのレース。2日前のタイム トライアル10キロを、37分32秒の自分でも思いがけない自己ベストで走っていたので、筋肉 がびっくりしたようで、脚はことのほか重い。目標は1キロ4分30秒のイーブンペースだが、この ペースで走り始めることすら、おぼつかない。 スタート直後から、押さえ気味に走るわたしを見て、走友たちが「あれ、ペース走?」と声をか けてくれる。毎回いつもレースでは飛び出していたイメージが狂ってきているようだ。気にしない 気にしない、自分のペースで走ることを心がける。 ひとり前に軽快に飛ばす女性ランナーがいる。背も高く、細身で色も白く、若い彼女はまるで モーニング娘。 最後はさすがにきつそうだったが、安定したペースで走りきっていた。モーニング娘みたいなの に、あんなに頑張れるなんてすごいな〜。きっとまたどこかのレースで会えるに違いない、「モー ニング娘、ファイト!」といって声援しよう! わたしも何とか、単調な河川敷5キロの折り返しコースの中で、気を紛らわせながら走りきっ た。ペースが上がらないので30キロでやめようとも思ったが、今日のこの42キロ走が11月の フルマラソン前の最後のちょっと頑張らなければならない練習。いままでやってきたことを無駄 にしたくない、との一心で、走りつづけることが出来た。 とうとうここまで来たのだ。練習はいよいよ最終調整段階だ。 |
11. 4 | 吉野川ハーフマラソン |
(ハーフ) 1時間23分40秒 | |
今日も好天に恵まれた吉野川ハーフマラソン。風は冷たくなっているが、日差しはまだまだ強い。 陸連公認レースとあって、国際女子マラソンの参加資格を狙う女性ランナーたちで緊張感は高まっ ている。 2週間後のフルマラソンを見据えてのこのハーフのレースでは、わたしの課題は1キロ4分のペー スでどこまで余裕をもって走ることが出来るか。このペースでいっぱいいっぱいなのか、ゴールして もまだなお余裕があるのかを見極めるべく、最初から徹底してキロ4分のペースを守っていく。 とはいえ、吉野川のコースは、小刻みなアップダウンあり、カーブあり、道幅の狭い部分あり、とわ たしにとってけっして走りやすいコースではない。おまけに密度の濃い10月の練習でついに持病と も言える坐骨神経痛が出て、直前の1周間はほとんど歩きのようなジョギングが精一杯。当然この ハーフでは、追い込んだレースにして疲れを残すべきではない。 しかし、わたしにとって1キロ4分のペースはけっして楽なペースではない。「ややきつい」と感じ、 しっかりと前を見据えて走らなければ維持できないペースだ。小刻みなアップダウンの中で、1キロ ごとの距離表示に惑わされることなく、ペース感を頼りに走る。「1キロ4分のペースは、楽ではない が余裕もあるはず。」と自分で思い込ませるように、「楽に、楽に。」と念じ自己暗示にかけているよ うだ。 吉野川に掛かる橋を目印に折り返し、10キロを過ぎてコースはやや下りぎみとなる。わたしの脚 は早くも神経痛の痛みが出てきた。ほぼ目標どおりのペースだが、かなり息は上がっている。「こ のペースでほんとうにフルマラソンを走りきれるのか?!?」〜自分の身体と相談するうち、直線が 続き下り気味のコースであったことも手伝って少しペースが上がってきた。「ペースが上がるという ことは、まだ余裕があるのか?」〜しかしここでのペースアップは予定外である。終盤にまた小刻み なアップダウンが待っている。自分にとって楽であるように念じつづけて走ることにした。 自分にとってのレースなので、勝ち負けも関係ない。肝心なのは脚がちゃんと動くかどうか。身体 のバランスは保たれているか。終盤の登りを苦なくこなすことができるか。このレースで息が上がり つづけるようでは、到底フルマラソンは走りきれない。身体の動きを確認しつつ、ごちゃごちゃ考え ているうちに逆ギレしてきた。脚が動くのである、まだまだ余裕があるように感じられた、自然とペー スは上がっている。普通、後半にペースアップしてくるようなレースであれば気分よくゴールできる のだろうが、今日のわたしとしては、2週間後にフルマラソンを控えているので、「あ〜しまった、こん なところで予定以上のペースで走ってしまった・・・・」 気分を取り直してレース後のお楽しみは青空宴会。一緒に参加していた仲間2名とも、女子マラ ソンの資格を取得したし、自己ベストを大幅に更新した人もいて、グループは明るいムード。狂牛病 騒ぎの渦中なのでBBQは自粛して、お弁当の持ち寄り。あれ、どこからかデコレーションケーキが やってきた砂糖菓子のプレートには、「小川さん、お誕生日おめでとう!」とかかれている。そうなの です、11月冒頭生まれのわたしは早くも○○歳になりました!(クイズ⇒○○のなかに適当=バッ チグーな数字を入れて回答してきてね!大当たりの人には、素敵なプレゼントが、ある、かも?? ?) 所属先から離れてこちらのランニングクラブの練習会にお世話になり始めて1年余り、最初は借り てきた猫みたいに小さくなっていたが、最近ではすっかり皆さんに仲良くしてもらっている。お誕生 日にケーキまで出していただいて感激〜〜〜!!!うれピー〜〜〜! |
11.18 | 東京国際女子マラソン |
寒さが苦手で春先には花粉症になるわたしが、いちばん体調を合わせやすいのがこの時期のフル マラソン。35キロ以降ののぼりが待っている東京のコースだが、過去2回走り、今回は3度目、私自身の ベストタイム(2時間54分53秒・98年)もセカンドベスト(2時間56分40秒・00年)も東京でのものな のである。 昨シーズンの後半、脚が動くのをいいことにたてつづけに気分よくフルマラソンを走っていると、持病 とも言える坐骨神経痛が再発し、大きな故障の前兆段階で練習もレースも中断。シーズンを中途半端 に終えてしまっていた。レースを練習代わりにしていたつもりでも、レースとなると明らかにペース感が 変わってくることに気付かなかったのだ。そしてまた、夏が巡ってくる。秋のフルマラソンに調子を合わ せるためには、夏の暑いころから、準備を始めなくてはならない。 夏の山岳系ともいえるレース(=オフロードあり、山道ののぼりあり、急激なくだりあり)大好きなわた しだが、今年はじっくり練習に取り組むために、ひと夏のレース数をぐっと押さえた。その代わりに、ラン ニングクラブのメンバーと遠出して、山の中のダム湖周辺などを走る。 LSDを走り始めてわたしははたと気がついた。自分の走りの幅があまりにも狭いことに。1キロを7分 で走り続けることが出来ないのだ。このペースでは足首をうまく使えず、腰の位置も下がってしまうから だ。まずはここから取り組むことにした。ゆっくり走る中でも、楽に走りつづけることの出来るフォームを 探すのである。平地だけでなく、緩やかな坂道もコースに取り入れてみることにより、さまざまな身体バ ランスを試すことが出来る。以前は時間的な制約で通勤ランを取り入れていたのだが、リュックを背負っ て走ることで、わたしは身体のバランスを崩してしまっていた。それほど走りのバランスが悪かったのだ と思う。 夏の間ずっとゆっくり長い時間走らせて貰ったおかげで、秋風の吹くころからこなしていくべき練習にも 確信を持って取り組んでいくことが出来た。ちょこちょこレースに出まくるわたしの体調を案じつつ、ときに は大きな声で叱咤激励を飛ばしてくださった久宝寺RCのコーチの練習メニューを一生懸命自分のものに しようと思っていた。ここ一番のときにいつも引っ張ってもらい、今回ほど、充実した気分で練習に取り組 めたことはない。 10月に40キロ走を3回も出来たこと、これも初めてのことである。 ところが常にいっぱいいっぱいの状態で練習に取り組んでいると、気付かぬうちに疲れをためこんでい たようで、最後の仕上げ段階になってふたたび坐骨神経痛が再発。レース直前の3週間は調整に苦しん だ。この期間はのんびりとすごすつもりが、最後まで脚の芯に疲れが残ったような感じである。 もうこうなると不安が増す一方。どこまでこの身体が持つのだろうか、また脚がパタッと動かなくなるの ではないか、完走もおぼつかないのではないか???以前の1年半にわたる故障は、「30キロまでしか 持たない。」といわれていた脚で大阪国際女子マラソンを完走してしまったことから始まった。完走すら 目指せないのか? もうこうなれば頼れるものには何でも頼るのが私流、チタンのテーピングもしてもらった。ところが、わた しは腰痛の自覚症状無く坐骨神経痛だと思っていたのだが、トレーナーの人に腰を押さえられて「原因は 腰。よくこれでまともに歩いていますね。」と言われた。不安が募ってきた。せっかく東京まで応援にきて くれるという仲間にも、「翌日ディズニーシーで遊びまくれるような走りはしない!!!」と食って掛かって、 気まずい思いもした。 そしてレース前日、いざ東京へ乗り込んでみると、不安な気持ちから半ば開き直るような感じでいる自 分に驚ろいた。不思議と落ち着いているのだ。わくわくする気持ちもない。人と競走するわけでもなく、自 分のためのレースなのだ。今年の夏は猛暑だったといわれているが、その暑い夏から、充実して練習に 取り組むことが出来たこと、わたしを走らせてくれる原動力といえば、この気持ちだけでじゅうぶんである。 レース当日の気温が低くならないよう、天候がわたしに味方してくれるよう祈っていた。 ついにレースの日。時折日のさす国立競技場でウォーミングアップを始めても身体は重いまま。何でこ んなに重いんだろう・・・普段なら泣きべそになり脚を止めてしまうわたしだが、今日はマラソン本番。アッ プでしっかりと身体をほぐし、気象条件を見極め、ロングタイツで出走するか、ランパンランシャツで走るか を自己決定しなくてはならない。何度もアップ場からフィールドに足を運び、風を感じ空を見上げた。日差し は結構強い、よし、ランパンだ。 大勢の色とりどりのコスチュームのランナーたちに混じって、スタートラインに移動、いよいよスタートだ。 ドキドキもしない、あわてることもない、これから42キロを走るとは思えないくらい、落ち着いていた。前か ら3列目、インコースから2列目だったので、雑踏に紛れることなくスタート、速く走りたい人はどんどんア ウトコースからまわりこんで抜いていってくれる。入りを速すぎないよう、遅いくらいに感じるように、それ でも1キロを4分3秒で通過。ペース走での力み方とはまったく異なる、楽に走れるような気がした。 2キロから3キロの間に、ちょうどいいペースの集団が出来た。4分を少し超えるペースで走るその中に は、各地のレースで見知った顔が揃っている。ついつい気分よく走りたくなってしまうわたしにとって、集 団の力を借りて走ることも、課題のひとつであった。5キロ過ぎまでの下りを速や過ぎないペースで走り、 コースが西向きになるとき、少し風が強いのを感じた。1キロ4分弱〜4分5秒くらいの集団を引っ張る力は わたしにはない、常に2〜3番手という絶好のポジションを確保して走ることにした。 集団を見渡すと、ほとんどがわたしより若いナンバーカードをつけている。東京では持ちタイムの速い 人から若い番号を割り振っていくし、レースで出会えば声を掛け合う彼女たちなので、持っている力もほ ぼわかっている。この彼女らの胸を借りて走ることで、今のわたしの力が最大限に生かされると思えた。 折り返しまでにこの集団は、2人ほど先行ランナーを捕まえ、また集団から前へ抜け出ていった人もい た。常に2〜3番手で走っていたので、集団の後ろに居た人たちがどれくらいこぼれていったのかはわたし にはわからない。身体も軽すぎることはなく、むしろ重い目だったので、練習ではとてもきつかったこのペー スで走っていることがとても新鮮だった。集団に臆することなく、気負うことなく楽に走っていた。この速い ペースを体感できていることが嬉しいくらいであった。さらに、この集団で最後まで生き残るのはわたしだ という強気な気持ちすら持って走っていた ところが、折り返してから24キロ過ぎでついに神経痛が出てきた。お尻から太ももの裏側にかけて、何 かものがへばりついたような、誰かにつかまれているような異和感である。2週間前のハーフのレースでは、 半分を過ぎて早くもこの症状が出てきていた。集団は相変わらず確実なラップを刻んでいる。ここでいった ん遅れ始めると、ズルズルと落ちていくに違いない、ほんとうに脚が動かなくなるまで、ついていくことにし た。コースも大きなビルの陰になり、天からの日差しも翳ってしまいました。ふとビルに取り付けられた気 温の電光表示板が目に止まった、気温なんと13度。見たとたん寒かった脚がさらに凍りついた。 わたしにとって当然タイツをはいていても寒く感じる気温なのだ。マラソンでいうところの絶好の コンディションというのは、わたしには当てはまらない。 そして29キロを過ぎて、わたしは集団についていけなくなった。2番手からずるっと落ちたわたしを、容 赦なく集団の後方にいたランナーが抜いていく。そのころから集団は1列になり、そして後ろから見てい るとその間隔は見る見るうちに開いていった。30キロから走れるように練習してきたのに、わたしの脚は もう止まってしまった、後ろから何かにつかまれているような感覚はもはやしびれるような感覚に変わっ ている。太ももやふくらはぎあたりはまだまだ元気そうなのに、神経系統がやられるとどうしようもない。 身体が芯からばらばらになり始めたら、それでも最後まで完走をめざすのがいいのか、早い目に切り 上げて、身体へのダメージを最小限に食い止めるのがいいのか・・・、ちらりとリタイアも頭に浮かんだが、 充実した気持ちで取り組んできた練習のことを思うと、ここでやめようとは思えなかった。 少しずつ落ちていくラップを1キロごとにチェックして、何とか踏みとどまれるようにもがいている。 最後ののぼりに差し掛かるあたりから、ひとりまたひとりと足取りのしっかりしたランナーに追い抜かれていく。 1キロごとのペースチェックをしているにもかかわらず、頭の中は脳内酸欠のためか計算など出来ないので、 ゴールタイムを予想することが出来ない。ペースチェックは、これ以上落としてはいけない、と自分への 激励なのだ。自分は自己ベストを目指していたんじゃなかったのか、こんなところでペースを落として どうするんだ、脚が動かなくても1秒でも速く走りたいものなのだ。神経痛のせいなんかじゃない、 30キロ以降はだれだって脚に来るもの、自分もそれだけの練習が出来ていなかったということか。 40キロを過ぎて前に3名ほどランナーが散らばっている。わたしを抜いていったランナーたちだ。彼女ら も必死で走っているが、ペースは思うように上がらないようで、わたしとの間隔も開いてはいかない。外 苑の下りを走り、国立競技場内へ飛び込む。すっかり冷え切っていたわたしの身体は、広い競技場がまるでアイス スケートリンクのように感じた。競技場内を1周+4分の1走るので、第1コーナーに差し掛かったとき、先 にゴールしたランナーがわたしの名を呼んで声援してくれた。ずっと一緒の集団で走っていた彼女だ。 彼女とわたしの差は、競技場1周あまり。早く追いつきたいと気持ちが強くなり、トラック1周があっという まだった。 ゴール後は身体中に毛布を巻きつけて、しばらく動けなかった。次々とランナーがゴールしてくる。倒れ こんで担架で運ばれる人もいるが、にこやかにお互いの健闘をたたえあっている人たちも多く見られる。 わたしも近づいていって、言葉を交わしたい、でもベンチから立ち上がることが出来なかった。 レースから1週間たって、いまだ再生の兆しのない身体を、いかにして立て直すことができるのだろう。 やっとマラソン練習への取り組み方の第1歩がわかりかけてきたというのに、その練習に身体がついて いかなくなるとは思いもよらなかった。わたしより年上の別大ランナーと、「40歳を越えて年々、マラソン 後のダメージが強くなるし、回復力が落ちてきた。」と嘆いていたのが身にしみて、寒波と共にわたしの 気持ちをふさいでしまう。 ふたたび走り出したい気持ちまで、凍りつかせてしまわないように・・・・。 |
11.25 | 上野シティマラソン |
(3km) 11分28秒 | |
毎年この時期に恒例参加している、忍者の里伊賀上野で行われるこのマラソン大会。晩秋の時期だが、 わたしが参加し始めてから毎年、小春日和の暖かな日差しに恵まれれている。ハーフマラソンからファミ リー2.5キロまで種目も多く、小学生の学年別の部門もあり、ことのほか家族連れの参加が多い。 ふとレジャーシートを広げた運動場の端で、お隣に三重県の柏原敏郎さん発見!かわいらしい小学生 の女の子を二人、連れておられる。2週間前のスポレク三重の会場で出会った際に、「今度、福岡国際 走るんですよ、僕、46歳で最高齢だって。最高齢というより、最年長といって欲しいですね。」などとにこ やかに話して下さったのが印象的だったので、今日もご挨拶。「子供が走るので、このマラソンに出かけ てきました。」とのこと。優しいおとうさんぶりを発揮されていた。1週間後に迫った福岡国際での激走を 楽しみにしています〜。 さて、わたしはここ3年ほど、ずっと3キロの部に参加している(前週にフルマラソンを走っているため)。 ところが一般の部ではこの時期3キロを走る人が少ないため、上位に入賞するのだが、同時スタートする 小・中学生の部門に参加している女の子たちには負けつづけている。3キロ総合優勝するのはいつも、 わたしの子供とも言えるくらいの年齢の小・中学生たちだ。ほんとうにここ、伊賀上野の小・中学生たち は、忍者の末裔(?)とも言えるのだろうか、足が速くすばしこい。 今年の体調はきわめてすぐれず、それでものんびりムードのこの大会が好きなので気分転換に遠出。 いつもならば前列に近いところからスタートするのだが、今日は7〜8列目といったところ。子供たちと同 時スタートなので、転ばずにちゃんと出発できるかちょっと危なっかしい。案の定、元気な子供たちがわ れ先に飛び出して、あちこちで転んでいる。大きいのやら小さいのやら、子供たちは大小さまざま、そし てペースもまちまち。走り出したはいいが、靴紐を直すのにいきなり止まる子もいて、ほんとうに危ない。 みんな走りたい気分は一緒なので、せめておとなと子供を別の組にしてくれるとか、小学校の学年別に スタートするとか、時差スタートだったらいいのに・・・・。 レース前の1周間をほとんど走っていなかったので、明るい日差しの中を南向きに走っていくのは新鮮 で気持ちいい。雑踏を避けてコースの端を走り、何とか自分のペースに持っていく。例年子供たちに負け つづけていることがちらりと頭をかすめたが、今日は無理をしないで3キロを走れたらいい。だいいち目の 前に散らばっているのはほとんどが子供たち。小学生など、後ろから見ただけではどの子が女の子でど の子が男の子かわかりづらい。別に子供を無理して抜かさなくっても良いや〜。時計も持たずに走ってい るのだから、最後まで気持ちよく・・・。結果、2秒前に女の子がいたようだったが、まったく気付かなかっ た。すばしこいのとその軽そうな体型で。 とはいえ、本日のメインレースはファミリーの部2.5キロ。いつも一緒に練習しているMファミリーの3歳 の末娘ちゃんがマラソンデビューだ。おかあさん手作りのピンクの忍者の衣裳を着て、レース前からにこ にこ。 上野城まわりの公園をぐるりと1周するコースには石段もあるのだが、手をひいてくれるお母さんに抱っこ されることもなく、泣きもせずに走りとおした。最後の500メートルほどはわたしも一緒になって声援しな がら走ったが、「がんばれがんばれ、Aちゃんも頑張る、お母さんも頑張れ。」とニコニコ顔でラストスパー トまで効かせていた。ちょっと上のお兄ちゃんも忍者の格好で刀を振り回しながら気持ちよさそうに走って 帰ってきていた。子供たちが楽しそうに走っているのを見るのは心が和む。 そんな中でぴったりの笑顔を見せてくれるお姉さんがいた。ピンクのTシャツ姿で10キロを走ってくださっ た招待選手の浅利純子選手だ。競技の第一線におられたころの無表情からは雰囲気が変わって、穏や かなムード。顔立ちも少しふっくらして、はにかみながらも写真に収まったりサインに応じたりされている。 もともとたいへん気立て優しく女性らしい人だということが伝えられているが、そのとおりの雰囲気だ。 昨冬の大阪国際女子マラソンのさよならパーティの席上にて、引退記念の花束を受けられ、涙ぐまれてい たのが印象的だ。色白でふっくらされた浅利選手は秋田美人そのもの。「冬の時は色がとても白かった ですね、いまはひと夏が過ぎて、少し日焼けされているようですね。」と話し掛けると、「あの時は白塗り しすぎて・・・」と笑ってくださった。競技人生では山あり谷ありの苦難も多かった浅利選手、これからもまた ぜひ我々の前に元気な姿を現わして欲しいものだ。 追記: 例年事故もなく主催者側手配で運行してきたシャトルバスが、昨年初めて遅延という事態を引き 起こした。今年は行楽シーズンの渋滞を考慮して、大阪・名古屋双方からのバスの運行を取りやめ、参 加者の減少を覚悟したというが、むしろ、参加者は昨年よりも増えて2000名以上とのこと。この大会に 寄せるランナーの思い入れが伝わってくるようで、上野マラソン大好きなわたしとしても嬉しい。 名物の忍者雑炊の振る舞いや、近場の温泉の割引券などを配布してくれるので、走った後大きな温泉 に疲れるのは何より。大阪から出かけるのもちょっとしたドライブだし、最後の紅葉を楽しめる。 |
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