2001年 1月〜6月の記録 |
1.7 | 平城宮跡新春マラソン |
(5キロ) 18分58秒 (10キロ) 39分07秒 | |
この大会はわたしがマラソンをはじめた当初からずっと参加している大好きな 大会。今年でやっと5回目。お正月明けに、平城宮跡でのどかな風景を楽しみな がら走る。 今日はあいにくの雪予報。冬の曇天と冷たい風で、レースのおこなわれた午前 中はかろうじて持ったのだが、お昼過ぎから奈良は初雪となった。大粒の雪が一 面に落ちてきて、夕刻から予定されていた若草山の山焼きは順延となった。 |
1.13 | 第249回大阪市民マラソン |
(5キロ) 18分33秒 | |
引き込んだ風邪が治りきらずに、ぐずぐずし通しで、思うように練習も出来ずに ふさぎこんでいる。もう、こうなったら「気持ちよく走りたい!」 大阪女子マラソンに向けての調整期間ではあるが、予定外の短い距離のレース でタイムを気にせずに走ることにしたら・・・、男女同時スタートのレースでうまく 先行の男子高校生について走り、自分でも上出来のタイムだった。 |
1.28 | 2001. 第20回記念大阪国際女子マラソン(フル) |
2時間57分45秒(48位) | |
<はじめに> ![]() この歳になって(いい歳したおばちゃんのわたし)、こんなに好きになって打ち込めるものに 出会って、本当に喜んでいます。 自分で好きで走っているだけなのに、あんなに大きな大阪の町を交通遮断して大優先で走らせてもらって、 おまけにあちこちで走友とか沿道の人、たくさんに声援もらって、わたしのほうが感激しています。 皆さまがた、すべての方に〜本当にありがとうございました。 |
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<完走記> ![]() 本当にたくさんの声援を受けた。沿道に知った顔の走友が、友人がどんどん続く。併催の20キロ ロードレースとすれ違うところでも、対向のランナーからいち早く見つけてもらい、 名前を呼んで声援をもらった。最後の最後まで声援は続き、わたしの余裕がなくなって、 もはやその声の主を確認できなくなってからも、声援だけは聞こえた。 〜長時間にわたって、移動しながらの声援、本当にありがとうございます。〜 わたしは大きな顔をしているように見えるらしいが、その実、大阪国際女子マラソンは まだ3回目。(大きな顔をしているとお思いの皆さん、本当にごめんなさい、そんなつもりはないのですが・・・。) 長居の周回道路でウオーミングアップ中に、「やっと3回目なんだ。」と感慨も新たにして、 最後まで走りきることを願っていた。 当日は気候的にはかなりいいコンディションだったようだ。スタート直前から通り雨に降られたものの、 30分ほどでやみ、薄日がさす。後半やや風が出たものの、身体を冷やすような寒風ではなかった 。 寒がりの私が、今年は毛糸のタイツまで用意して、タイツの2枚重ねの練習もした。 長袖Tシャツ2枚を重ねて走る練習も済み。練習の段階で、「こんな格好のランナー、見たことない〜。」と 笑われていたが、そんな心配も無用だった。 というと、各種練習が完璧に出来ていたようだが、実際練習したのは重ね着の部分だけ。 世紀末からの風邪が3回もぶり返し、発熱で3回とも寝込んでしまい、予定されていたポイント練習はことごとく消化できなかった こんなわたしのレース前の選択は、 @無難にイーブンペースでサブスリーをめざす、 A前半ハイペースではいり、何とか後半粘って3時間以内で帰ってくる、 B前半ハイペースではいり、後半玉砕し花と散る、の三者択一。 練習が出来ていなかったので、走り始めるまでペースがまったくつかめない。 しかし当日、あの大きな長居競技場の大歓声の中、女性スターターの号砲とともに流れに飲み込まれて しまうのはいつものこと。心に決めた作戦による予定していたハイペースよりも、さらに速いペースで走り始めてしまった。 そしていったん走り始めたペースはなかなか落としがたいものだ。 20キロ地点くらいまでは本当に身体も軽い。というのも、練習が積めていないため、ばねがたまっていただけ。 後半の〜花と散る〜を覚悟して、粘れるところまで粘りたい。 今年は、1キロずつの距離表示のポイントを詳しい地図に落として、完璧に頭の中に入れた。 次はどこそこの交差点で○キロ、次はどこそこ銀行の前で○キロ、次はあのスーパーといった具合。 数日間、風邪で寝込んでいたために、暇で地図を枕もとに置いていたのだ。 1キロなら何とかなる距離感なので、すごろくのように一こまずつ進んでいって、 上がりまでの距離を減らしていこうという作戦。マラソンをすごろく遊びのイメージにしてみたのだ。 過去2回のレースは両方とも後半つぶれてえらい目にあってしまっていたので、30キロ以降の距離感を なくすためにもこの作戦は効いた。確かに最後は脚にきてペースダウンしたものの、「あと1キロ」「あと1キロ」という具合に踏みとどまれた。 なんとかかんとか最後まで、意識朦朧とすることなく、動かないながらもしっかりと自分の脚を動かしているという 感覚だけは持ち続けることが出来たようだ。 中学時代の恩師が35キロの関門員、さらに高校時代の恩師が長居競技場でアナウンサーをされているので、 このことも励みになる。先生方の前を、よれよれの状態では通過したくない。ましてや場内・トラックに入ってからはしっかり走りたいものだ。 今回のわたしのレースは上出来だ。 玉砕まで覚悟していたのだが、何とか3時間以内でまとめることが出来た。 自分に足りないものが、はっきりとわかった。 まずは健康管理。風邪をひかない身体を作り、練習できる身体に持っていく。 そしてマラソンの脚作り。 さあ、もうひとふん張り! |
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<追記> この半年間一緒に練習させてもらっているクラブの仲間が、2時間52分の大幅自己ベスト(約5分短縮)を達成した。 大阪国際9回目出場のキャリアを持つ彼女は、今回マラソン前の練習を完璧にこなせたという。 25キロ地点であっというまに抜き去られたとき、彼女との練習量の差を思い知らされた。 彼女のスパートに脱帽して、声をかけたのは言うまでもない。彼女のすばらしい記録は、私自身も励みになるし、とても嬉しい。 Iさん、自己ベスト、本当におめでとう!! |
2. 4 |
近畿マスターズロードレース |
(5キロロードレース)
20分28秒 同上 駅伝(全8区42キロ)(第1区5キロ) 19分14秒 |
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先週の大阪国際女子マラソンからわずか1週間。「疲れも残って いるだろうから、ロードレースだけ出走するようにしたら。」と 奈良県チームの監督さんからのアドバイスがあったので、午前中に 楽に5キロを走って、午後からは駅伝の応援に廻るつもりで、会場 の万博記念陸上競技場でウォーミングアップをしていた。 4月の本番、全日本マスターズ駅伝に備えて、奈良県チームの皆 さんと顔を合わせておくことが大切だからだ。勤務地のご縁により、 奈良マスターズに登録させていただいて2年目。本当に嬉しいこと に、全日本大会のメンバーに名前を入れてもらえそうなのだ。 ところがしかし、この季節、駅伝でメンバー8名、さらに2チーム 出走ともなると、誰かが風邪を引くようだ。補欠に廻っていたわたし も、風邪で欠場した選手の代わりに、第1区を受け持つことになった。 さすがに、5キロを2回走るのは脚にこたえた。午前中の個人レース を楽にこなしたつもりでも、ずしりとした疲れが残っている。先週の フルマラソンの5キロ通過タイムよりも20秒以上も遅いのに、「ああ しんど。これが精一杯。」といった感じ。午後からの駅伝、第1走者で 何とか前について走らなければならないのに、スタート直後のハイペー スについていけずにトラックを出たところではやくも脱落。あとは前 から落ちてくる走者を拾うのみ。駅伝とはいえ、自分のペースを守る ことも大切。 駅伝は流れが大切なので、第1走者の役割はきわめて大きい。とは いえ、マスターズ駅伝では、男女別・年代別に受け持つ区間が決まって いるので、いやがうえにも当てはまる区間を走ることになる。今回の 第1走者は女子35歳以上の部。35歳以上であれば、上限はないの で、やはり若い方が有利か?40歳以上の人でも走力のある人ならば、 第1区に抜擢されることもある。残念ながら人員不足で、自分の年代 よりも若い人に混じってのクラスで走らなければならないときもある。 今日の奈良県チームは、2チーム出走したこともあって、ぎりぎりの 人数。午前中のロードレースを走った人がさらに駅伝まで走るという ケースが多発。残念ながら、8チーム中5位に終わったが、にこやかな チームの皆さんに囲まれて、全日本に向けて、いっそうチームワークが 強化されたようだ。こちらでもお世話になりますが、よろしくお願い いたします。 |
2.11午前 | 第35回奈良市民マラソン |
(5キロ) 18分53秒 |
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2.11午後 | 第30回斑鳩の里法隆寺マラソン |
(10キロ) 38分06秒(大会新) | |
走るのが大好きなわたしに、ある人は「女石松」と名前をつけてく れた。少し前までは、「女石松、ばかは死ななきゃなおらない。」 と ころが、最近は、「ばかは死んでもなおらない。」と、相変わらず、 一日ダブルレースを楽しむのであった。 そういえば、午前中の会場で、会うひとごとに、「小川さん、今日も昼 から法隆寺行くの?」と聞かれた。〜例年の恒例になっているからな あ〜「はい!」と元気よく答え、皆さんの期待を裏切らずによかった、 というものだ。 一日ダブルレースの醍醐味は、なんといっても移動のスリル。午前中 の会場から、次の大会会場に、「さあ、間に合うかな、どうかな。」とわ くわくはらはらしながら、荷物を抱えて移動する。次の会場に何とか間 に合って到着したころには、スタート時刻も迫っていて、大会の雰囲気 は盛り上がっている。例年ならば、奈良市内から法隆寺まで、バスとJR を乗り継いで、最後は歩いて移動するのだが、今年はなんと、奈良マス ターズの女王さま(=京谷こまえ姉さん)が、運転手付のベンツ(なぜか 日本製?)をチャーターしてくださって、らくらく移動させていただい た。〜本当にありがとうございます。 |
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さて、今日の1本目のレースは、奈良市民マラソン。この大会は、わた しがマラソンをはじめた当初から連続参加している大会で、今年で5回 目。奈良市内の、鴻池陸上競技場発着とはいえ、アップダウンの続く コース。 今年の5キロ女子のレースも、例年にたがわず、身体の軽そうな女子 高生3名が飛び出し、その後を年齢別のはっきり明示されたナンバー カードをつけた一般ランナーが追う形。あまりにも速い飛び出しに、競 技場を出てすぐにもう、おばちゃんランナーのわたしは脱落。先行集団 から落ちてくる高校生を拾うことに目標を切り替えて、自分のペースで 走ることに努めた。「あんなに速い飛び出しで、いつかは落ちてくるに 違いない。」と思ったりしていたが、折り返し地点以降の下りでもその 差は開く一方。 くだりの得意なわたしは、下りで離されてしまうともう 、立つ瀬がない。下りで差が開くと、あっさりと白旗を上げてしまう。 もう、先行ランナーに追いつくすべもなくなり、それでもレースを投げ るのはいやなので、懸命に走る。 何とか気持ちを持たせてレースを継続して、競技場に帰ってきた。ラスト 200mに差し掛かったときに、先頭ランナーが18分そこそこでゴール 「がんばれば19分を切れるかもしれない。」と、明るい光明が見えて、 もうひとふんばり。最後まで走って、あきらめたようなレースにしなくて よかった。 |
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そして午後からは、法隆寺マラソン。今年は30回記念なので、どう しても参加したかった。コースは世界遺産の法隆寺周辺を走るので、 古都・奈良の雰囲気は最高。道が細かったり、カーブが多かったりし て、決して走りやすいとはいえないが、それを補って余りある観光名 所のコースだ。 12時にスタートしたハーフの部を見送って、わたしは10キロの部に 参加。今年は年代が上がって、40歳以上の部。出走前にプログラムを ちらっと見ると、40歳以上女子の部の大会記録が、わたしでも届きそ うな記録。あ〜あ、ここでまた、欲を出してしまって、当初は楽に10 キロ走るつもりだったのが、「何とか大会記録を!」に目標転換。「こ んなことをしていては、身体に悪い。」とも思うのだが、やはり「女石 松、頭も悪い?で、ノリやすい?」、スタート直後の下りからどんどん 飛ばしていった。 ちょうど競り合う感じで男子選手3〜4名と集団になって走り、「男子 選手は、最後になってばてる人も多いから、いつかは前に出よう。」な どとえらそうに思っていた。途中の細かなアップダウンの、のぼりでお いて行かれて、下りで追いつく、の繰り返し。そして最後の1キロはの ぼり。ここでばてて、おいていかれたのは、ごめんなさい、えらそうに 男子選手にくっついていたわたしでした。 それでもこの集団について走ったのがよかったのか、10キロ=38分 06秒は、わたしの自己ベストである。もちろん、未公認のロードレー スは、距離が不正確なこともあって、あまり信用できない計測ではある が、大会新記録にもなったし、わたしとしては大満足の記録である |
2.12 | 第53回大阪市長杯駅伝 |
(1区6.1キロ) 23分06秒 (全5区間) 1時間15分48秒 | |
明けて翌日は、淀川ランナーズのメンバーと参加する市長杯駅伝。 ここ半年間、一緒に練習させてもらっている久宝寺RCの、格好の対抗 馬のようだ。昨年度、男子1部は淀川ランナーズ優勝、男子2部は久宝 寺RC優勝。女子は久宝寺RCの後塵を拝している。 今年もどうやら、女子は久宝寺RCにおいていかれそうだ。いつも一緒 に走らせてもらっているので、その力はよくわかっている。わたしから 第1走者を志願したが、この区間で、久宝寺RCの第1走者から20〜 30秒以内の差も覚悟している。スタートして、長居公園周回道路を 1周目は何とかついていけたが、2周目に入り、じりじりと差は開く 一方。しっかり前を見据えて走るのだが、力の差も歴然。たすきを渡 したときの、26秒差もわたしの力では精一杯だ。その後も女子Aチー ム、懸命にたすきをつないで3位に入った。もちろんBチームも、男性 陣も大健闘した。 駅伝のあとは遅い目の新年会をかねての打ち上げ。みんな一生懸命 走って、大勢で集まることが出来て、仲間とは本当にありがたいもの だ。「来年の駅伝もまた、このメンバーで集まることが出来ますよう に。」とのひとこともありがたかった。 |
2.18 | 尼崎市民マラソン |
(10キロ) 39分37秒 | |
とりあえず、日曜日は何かのレースに「いっちょかみ」しておきたい わたし。今日は泉州マラソンの応援に廻ることも考えて、近場&スター ト時刻が早い、を2大ポイントとして、尼崎市民マラソンにエントリー。 市民マラソンと銘打っているように、たしかにご近所さんが多く参加さ れているし、参加料無料の大会、とあって、武庫川沿いはファミリーで 賑わい、和気藹々といった雰囲気。 記録会のような気分で、とことこ走り始めたものの、広い武庫川河川敷 を利用した1往復のコース、土道であることもあって、どうも走りづら い。景色も変わりない河川敷で、ほうほうのていで10キロを走り終え た。ウ、この余裕のなさで、40分をやっと切ったタイム。これは、春 先のハーフマラソンの目標タイムを、下方修正しなければならないだろ う・・・。 と、しょげているのもつかの間、大急ぎで、次の会場(泉州マラソン)へ、 移動だ〜!!! |
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泉州国際市民マラソン(沿道で応援) 「いつもご声援をいただいているので、この日は私が大声援をいたします 参加されるすべてのランナーの皆さん、いいレースをなさってください。」 そんな気持ちで、南海電車に乗り込んで、大急ぎでマラソンコースの終盤 ポイントに移動。南海に乗っている間から、電車と並行して走っている、 国道26号線のマラソンコースにいるランナーの姿が気になってしょうが ない。わくわくして、まるで小学生のように、電車のシートにひざを立て て、窓から外を見晴らしていた。〜ちょっとちょっと、くつを脱がないと 周りの人の迷惑になりますよ・・・〜(電車はけっこう空いていたので、 幸い。) 移動の際にやや道を間違えかけたりして、予定していたポイント にはたどり着けず、大慌てでゴールから逆走して、41キロ地点にまで 来て、最初のランナーから、4時間過ぎのランナーまで、大声援した。 (本当は最後まで声援したかったのだが、同行していた人もお腹をすか していたので・・・) 途中で、うまい具合に、泉北RCの記録会を終えたわが妹(ぎんちゃん、こと、 N岡T子)にもばったり出会って、二人して、並んで声援だ。大目に 見てくださっているような、コース審判員の先生方のおかげで、道路 の中央分離帯に陣取って、本当にコースに身を乗り出さんばかりにして 声援した。あまりにも興奮しすぎて、沿道でいただいた、読売新聞の 小旗を3本、ぶっちぎってしまった(=振りすぎて、旗が破れちぎれて しまった・・・。) 名前を知っている人には、その姿を発見したら出来るだけ大きな声で 遠くから声援し、また、ユニフォームのネームを呼んだりした。ラス ト1キロ地点での声援、本当にランナーの力になってくれたのだろう か?フルマラソンを走りきってきたランナーたちに興奮して、盛り上 がっていたのはわたしだけだろうか?!? わたしのように、道路の中央分離帯にまで上がって、応援していた人も 多々いた。しかし、一緒に並んで「がんばってください。」と一様に 声援している中で、いきなり知り合いの人を見つけて、さらに大声で 叫び始めるなんて、周りの人はさぞ、騒がしくて迷惑だっただろう。 それにしても、わたしにとってマラソン大会は、応援だけに出かけて も、盛り上がるものだ。 |
2.25 | 2001大阪シティハーフマラソン |
1゜22’54” 女子総合8位 年代別 1位 | |
スタート時の気温6.5度、晴、春一番もまだ吹かず、コンディションに恵まれ、 走りやすいと好評の大阪シティハーフのコース、多くの仲間が自己ベストを更新、 または自分の走りを堪能したようだ。 わたしもご多分に漏れず、晴天に恵まれれば、それだけで気分が明るくなるタイプ。 自宅を出てから30分で到着することができる、スタート地点会場の大阪・中ノ島公園 にて、多くのランナーが集まってきているだけでわくわくしてしまう。ウオーミングアップ 中にも多くの走友に出会って、さらに気分は上々で、自然とにこにこ顔。 ちょうど4週間前に大阪国際女子マラソンを走り終えて、その後のんびり過ごしすぎて 練習も不行き届きならば、体重も少しオーバー気味。それでも気分だけはよくて、「自 己ベスト、狙いたいな。」などとの思惑があって、スタートラインで待機しているときに 走友に出会っても、「きょうは最初から突っ込んでいきます。」宣言をしてしまう。 早い目のナンバーカードをいただいていたこともあって、前から3列目からスタート。 走り出してすぐに、大阪・中央公会堂を回避するためにコースは右に折れたり左に カーブしたり・・・。その雑踏を避けるべく、最初からダッシュ!かなり飛び出したようで 招待選手の浅井えり子選手に追い抜かれたのは、御堂筋から土佐堀通に入ってか ら(約2分ちかくたってから?)だった。いくらなんでも、飛ばしすぎ、との懸念もあった が、ハーフのレースでは最初の5キロで流れに乗ることが大切、と思い、そのまま、 オーバーペース覚悟で走り続けた。 1キロのチェックポイントがあるはずだが、見逃す。おそらくとんでもないスピードで ぶっ飛ばしていたのだろう。5キロの通過を見てびっくり、2週間前の5キロだけのレー スよりも速い(18分51秒)。あ〜これは、突っ込みすぎた、と思いつつ、「このままいけ るところまで行こう!」と元気だけはいっちょ前!10キロ通過も、1週間前の10キロ だけのレースよりも1分以上速い(38分21秒)。しかしだんだんとジリ貧のペースは 自分がいちばんよくわかる。呼吸よりも、身体が、脚が動かない。ゴール地点のある 長居公園に近づいても、ペースは上がらず、「あと2キロ」地点で、ちらりと腕時計に目 をやると、とても自己ベストを狙うには程遠い通過タイム。・・・う〜ん、切れてしまった ・・・。 ラストスパートも気力なく、長居陸上競技場に飛び込んでも、消化試合をこなしている ような足取りで、ゴールに向かう・・・。競技場の電光掲示板に大きく「ゴール!」と映し 出されていて、「たくさんのランナーを迎えてくれているんだ。」と嬉しかったけれども、 それと自分のラストスパートとは別。危うく(1時間)22分台も逃すかのごとき最後の 走りとなってしまった。 それでもやっぱり大阪の街を走るのは気持ち良い。自分の目いっぱいで飛ばしてい ると、見える景色も普段とまったく違う。とりわけ春を迎えようとしているこの陽射しの 中で走るのは、気分が良い。 残念ながら、今回は自己ベストを狙えるほどの力を蓄えていなかった、ということだ が、後半苦しかったレースにせよ、なんと気分のよいレースだったろう。 走友の多くが自己ベスト更新、または気持ちよく完走。秋から冬のシーズンをずっと 走りつづけてきて、いよいよこれからは季節がめぐって春。少しばかり疲れもたまっ ていよう。まだまだこれからがんばるランナーもいるだろう。季節の移ろいをより大きく 深呼吸するように感じることができるのも、ランニングのおかげである。 |
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<追記> このレースでわたしはおもいがけず8位に入賞した。同日の夕方、中継録画でテレビ 放映されたレース模様の最後で、「入賞者一覧」のなかに、ほんの数秒間、名前が映 し出された。ごくわずかな間だったが、何人かの友人が見ていてくれて、すぐさまメー ルをいただいた〜「入賞おめでとう!」と。 決して同じ市町村在住でもなければ、同じ趣味(=ランニング)を持っているわけでも ない。普段は、顔を合わす機会もなく、メールとインターネットでお互いの消息を知らせ あっている友人。そのような友人と、つながりを感じることができるのはまさに情報時代 のおかげ?!? |
3.10 | 高岡寿成選手(カネボウ)のジョギング教室に参加 |
〜 京都シティハーフマラソン前日イベント |
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週の後半に降った雪がまだ少し道端に残る京都・桂川沿いで行われた高岡寿成選手の ジョギング教室に、朝から出かけてきた。この教室は、京都シティハーフマラソンの併催イ ベント。わたしは実は、その大会には申し込んでいなかったので、もぐり参加だが、定員に 余裕があったため、受付してもらうことが出来た。 高岡選手は言わずと知れたシドニーオリンピック10000mで7位入賞(27'40"44・日本 歴代2位)、3000m(7'41"89)と5000m(13'13"40)の日本記録保持者でもある。テレビ 観戦していたシドニー10000m決勝でもひときわ目立つ186センチの長身選手。ブラウ ン管の中にいた高岡選手の表情は険しく真剣そのものだったが、今日の高岡選手はにこ やかでとっても優しそうなお兄さん、といった感じ。だからわたしの目はまたまたハート型 になる。 参加者は、市民ランナーから小学生も多かったので、軽く休憩をはさんで3キロほどジョ ギングしたあとで、質問コーナーが設けられた。トラックで世界と勝負している選手だけに、 やはり、「マラソンは走らないのですか?」という質問が出た。「来年の2月以降、国内か、 海外マラソン走ります。」と明言。更にアテネ(オリンピック)もマラソンで狙うとのこと。あの 長身で、スピードを生かしてマラソンを颯爽と走る姿を見てみたいと思うのは、わたしだけ ではないはず。 わたしも日ごろ常々疑問に思っていることを質問することにした。それは、冬場の練習で、 長袖長タイツで走っているもの(=わたし)が、レースだからといって、ランパンランシャツに なったほうがいいのだろうか、というもの。まず、高岡選手自身の練習時の服装について 尋ねてみた。高岡選手は冬場でもインターバルとか、追い込む練習をするときはランパン ランシャツを着用しているそうだ。ならば、レースでもその服装(=ランパンランシャツ)は 納得。市民ランナーに置き換えてみるとき、高岡選手のアドバイスは次のようだった〜「日 ごろから長袖長タイツで走っている市民ランナーの方だったら、寒い日は無理しないでそ の服装とおりでレースを楽しんでくださったらいいとおもいます。」 高岡選手のアドバイスを得て、わたしのレース時の服装の選択が間違いではなかったこ とに確信をもって、ほっとしているのである。 最後に高岡選手は、「僕たちがいるのは競技のほんの狭い小さな世界です、今日、こう やって皆さんと一緒に走れたことで、更に大きな世界を感じることが出来ました。皆さんと いっしょに走ることを楽しんでいきたいと思います。」とまとめてくださった。 わたしが思っていたのは、世界レベルで堂々勝負しているほどの大きな世界にいる高岡 選手が、わたしたち市民ランナーのなかにちょっと脚を止めてくださった、ように思っていた のだ。おとぎ話のかぐや姫が、ほんのしばらくおじいさんおばあさんと一緒に過ごして、最後 は月に帰っていったように。でも、高岡選手はかぐや姫ではなくて、わたしたちと触れる機 会を本当に楽しんでくださったようだった。 翌日には、再びテレビのブラウン管の中で、京都シティハーフマラソンのゲスト出演。かぐ や姫のように、遠くに帰ってしまわれたかにも感じるが、きっとまたどこかで応援できるし、 お目にかかれる機会もあるかも・・ ・。 高岡選手、がんばってくださいね。楽しみにしています。 |
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<追記> わたしの拙いレポートを、こちらのHPに掲載するにあたって、高岡選手に失礼の無いよう、 レポートの内容確認とジョギング教室の御礼を兼ねて、メールを差し上げたところ、その日 のうちに返信くださいました。お忙しいとは思うのに、とても嬉しかったです。 わたしも時々、HPをご覧いただいた方からメールをいただきます・・・とっても嬉しいことで す。時間がかかってもお返事を差し上げたいと思いますので、よろしくお願いいたします。 |
3.10 | 藤村信子さんのランニングクリニックに参加 |
〜京都シティハーフマラソン前日イベント | |
さらに同日、場所を京都の町中、みやこメッセに移して、午後からは藤村信子さんのラン ニングクリニック。 藤村さんとは昨年末にもお目にかかり、大学にて研究中とのこと、「ニュー藤村目指して、 頑張っています。」との明るい表情を見せていただいているだけに、市民ランナー対象の クリニックの内容にも期待大。 今日のクリニックも実技中心。≪疲れがたまりやすい肩、腰、ヒザ、足首を柔らげる≫と 題して、インナーマッスルを意識した動きを教わった。インナーマッスル(深在筋群)とは、関 節の周辺に存在する小さな筋肉。 普段動くときに太ももやお尻などの大きな筋肉を意識して動かすが、これらの大きな筋肉は 「アウターマッスル」(浅在筋群)と呼ばれ、‘筋肉の上着’ともいえるもので、直線的な身体の 動きを担当する。これに対して、「インナーマッスル」は、‘筋肉の下着’といえるもの。まず外 からはわからないが、ねじり(回旋)の動作を担当していて、アウターマッスルとは逆の動き をすることによって関節の安定性を生み出すという。アウターマッスルだけに頼ってしまうと かなり無理な動きになり、故障を生じやすいことがわかっているらしい。この2つの筋肉が 連携プレーをすることによって、自然な動きを生み出すという。また、ここを意識して動かし ていくと疲労が抜けやすくなり、今まで痛みを感じていたところも少しずつなくなり、身体が 軽くなった、そんな感覚だと藤村さんはおっしゃる。 私自身、インナーマッスルについては、本などで読んだことがあったが、実際にマットの上 に寝そべりながら教わると、よく理解できる。「百聞は一見にしかず。」とはまさにこのこと。 出来れば実生活に少しずつでも取り入れたい。 講習が終わって最後に藤村さんに尋ねてみたことがある。「わたしはよく、3日間も続けて、 ランニングを完全休養してしまうことがあるのだが、このことの是非は?」というものだ。3日 連続で走らないことなんて、ざらにあるし、1週間のうち、3日は完全休養を決め込んでいる わたし・・・。そんなわたしに藤村さんは次のようにアドバイスくださった。 「特にマラソン練習に入っているとき、どんなに疲れていても毎日走ったほうがいい。女子選 手の場合、筋肉が緩んでしまうことになるから。休んで疲れは取れたように思っても、それは 表面的な疲れだけで、背中の疲れまでは取れていない。」「5キロや10キロのレース前なら ば、休んでリフレッシュすることもあるが、マラソンの場合は、休むと30キロ以降が脚にきて 走れなくなります。」 藤村さんはあの小さな目(失礼!)でしっかりわたしの目を見て、言い聞かせてくださった。 わたしが好きな真剣な瞳だ。藤村さんのアドバイスを真摯に受け止めたわたしは、マラソン 練習中は毎日走ることを決心した。(・・・・のだが、藤村さんの声がまだ耳にこだましている 矢先の1週間後、またまた不慮の発熱で、2日間寝込んでしまったのである・・・・。) |
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<追記> わたしが初めて、東京国際女子マラソンニ出走しようとしていた98年の秋のころ。東京のコース を覚えようと繰り返し見たビデオは、その前年97年のビデオではなく、96年藤村選手が優 勝したときのビデオだった。 36キロ以降ののぼり坂で、先行するポルトガルのマシャド選手を追走する藤村選手。 サングラスをはずしたその小さな眼はしっかりマシャド選手を見据えていた。 あの、ひたむきな目が好きになって、なんども坂のシーンを見たものだ。しっかり走れば、 のぼり坂は先行ランナーを捕らえる絶好の機会・・・そんなふうにわたしの中にインプットされた。 |
3.11 | 紀の国美山マラソン |
(フル) 3時間5分3秒 | |
今日は、ちょっこっとだけ、自慢させてください〜。 ひとつ違いのわが妹ぎんちゃん(=N岡T子)と一緒に参加できたフルマラソン。 年代別があるので、40歳になった記念に。妹は39歳以下の部で頑張ってくれた らいいな、と思っていたら、本当にそのとおりになって、姉妹で年代別を独占し、お まけに総合でもワンツーフィニッシュとなった。ひとつ違いのわたしたちにとって、 一生に一度のチャンスだったのだ。 もちろん同日、名古屋国際女子マラソンや京都シティハーフマラソンなどが開催 されていて、有力選手のいないまに、穴場ねらいではあったけれども・・・。 とはいえ、楽勝してきたのではない、前半折り返しまで、同年代の有力女性ラン ナーと抜きつぬかれつを繰り返し、特にわたしの得意とするはずの下りで抜かれた りして、内心、非常に危機を感じていた。折り返し手前でなんとか前に出て、折り返 しで後続の様子を確認すると、なんと、わが妹が2番手を走っているではないか! これにはもう、嬉しくなって舞い上がってしまい、自然とわたしの顔もほころび、にこ にこしながら走っていた。 顔がゆるんでいるのが自分でもおかしなくらい、にこにこしていた・・・。少し風は 肌寒かったものの、晴天に恵まれ、景色も最高。なんどもまわりの風景に目をやり、 「あ〜、きれいだな〜。」と実感できて幸せだった。 アップダウンの有名なこのコースで、最後はさすがに下り坂にやられて足の裏が ジンジンくる、くだりでもブレーキを掛けるような走りになってしまった。ゴール近くま で戻ってきて女性アナウンサーの声が響いてきていよいよフィニッシュ!フルマラ ソン初優勝だ。(穴場でもなんでも、女性ランナーいちばんで帰ってくることが出来 ると、やっぱり嬉しい。) フィニッシュ付近で、ポカリスエットを1杯飲み干しただけで、もう妹が帰ってきた。 妹は今シーズン最後のフルマラソン、3時間7分5秒は立派なタイム。二人して手 を取り合って、ぴょんぴょん跳び上がって喜んだ。 姉妹二人で走っているおかげで、喜び倍倍増だ。 こんなわたしたちを暖かく見守ってくださっているまわりの方々、本当にありがと うございます。 |
3・25 | 日本海マラソン |
(フル) 3時間4分5秒 | |
このころの鳥取地方は、雪が舞ったり、または28度まで気温が上がったり、 とまったく気候が予想できないが、今年の日本海マラソンは一日中、雨だった。 幸いにして、気温はあまり低くない。風もそんなに気にならない。今年に入って はじめて、ランパン&Tシャツ(肩が冷えないように)で出走することにした。とは いえ、10日前から、花粉症かと思っていたら風邪を引き込み不慮の発熱、2日 寝込み、4日走らずに休養したものの、いまだ微熱が続いている。 雨の日に、微熱があるのに、お外で遊ぶ人なんていないだろうなあ・・・〜と思いつつ、 〜雨だから、花粉の飛散量は少ないから助かる〜と思い直し、出走することに。 最近のレースでは、脈拍(セイコーパルスグラフ)でペースを管理している。 今日の目標も、脈拍170を超えないように走ること。体への負担を考えて、気合 一発だけの女石松にならないように・・・。70m位ののぼりが2ヶ所あるので、の ぼりではさすがに脈拍も上がり気味。ペースを落として、なるべく無理をしないよ うに。逆に下りで楽をしていると、脈拍は160以下になってしまう。目安として16 0〜170の脈拍を刻みながら走りきれるように、目は心拍計を追ってしまう。最 後35キロを超えてからは脈拍も170にのりっぱなし。体調万全ではないためか、 と言い訳しながら、とことこと競技場内トラックを1周あまり走ってゴール。さすが に疲れた。フルマラソン走行中の平均脈拍は168だった。 更衣室に戻って、靴を脱ごうとしてびっくり。右かかとの部分が赤く染まっている。 そういえば25キロ過ぎから、靴ずれ感があって、なんだか痛いなあ、とは思って いた。雨に濡れて、しけってすれ易くなっていたのだろう、ちょっと位痛いのはあ たりまえと、気を紛らわせているうちに、脚全体が疲労感で重くなってきて、靴ず れどころではない状態に。痛みも麻痺していたようだ。靴下にも大穴があいてし まった。血染めのシューズは初めての経験だった。 この日本海マラソンは、公認コースでもあるし、陸上競技場発着、スペシャルド リンクも7箇所に設置可、エントリー人数も未登録者を入れても800名くらいで、 とても競技性が高い感じがする。ややアップダウンがあるものの、それをうまく 利用して好記録を出す人もいる。大阪からだと車で3時間程度(わたしは高速 バスを利用)と、交通の便も良い。わたしはお気に入りの大会のひとつである。 |
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00‘〜01’マラソンシーズンを振り返って | |
最後のさいごに坐骨神経痛が再発。マラソンシーズンの最終ともいうべき時期に 行われる4月のフルマラソンを回避することになってしまった。 実はわたしがマラソンをはじめて以来、春先にはオーバーワークでことごとくつぶ れて、シーズンを中途半端に終えてしまっている。97年にはまさかの長期入院、 次の年は大風邪と大捻挫、99年には坐骨神経痛などでついに脚が動かなくなり、 2000年はその故障を引きずったまま。 今年こそ体調管理をして、マラソンシーズン最後まできちんと走りたい。その目標 として長野マラソン(4月15日開催)を視野に入れていたはずが・・・。何のために3 月に2本も42キロを走っていたのだろう。結局のところ、ペース設定を自己判断し て間違えて、身体に無理をしていたということなのだ。 もし、わたしに、監督さんが100人いたとしたら、100人ともが同じことを言うだ ろう、「ちょっとはオレの言うことをきけ!」1000人のコーチがいるとしたら、全員が 「だからいわんこっちゃない!」まったくその通りで、わたしは走り出したらとまらな いようだ。 「無理をしないで頑張ってね。」〜これはよく掛けていただく言葉だが、今回は、 無理をしないように、体調の悪いときのフルマラソンを回避することにした。しかし、 わたしは、ある人から激励していただいたときの言葉が好きで、いつも頭の中で 繰り返している。それは、〜「スタートラインに立つあなたに向かって、無理をする な、とは言いません。いけるだけいってください。」〜でも、それで身体を壊してい たら、何にもならない。 パワーもスタミナもないわたしは、リズムとバランスで走るタイプ。バランスが崩れ ると、身体のあちこちに故障が生じ、いったん負のリズムに転じてしまうとそれは 悪循環となってしまう。2年前に、今回と同様以上のオーバーワークで完全に脚が 止まってしまって、そこから何とか事態を好転させるのに1年半もかかっている。 思い返せば故障明けの今シーズン、最初の公認レース(9月の玉造20キロ)か ら、なんとか自分のリズムを取り戻し、それでも「故障明け」とは明言できず、だまし だましの状態。1年半ぶりのフルマラソン(10月の御岳)を歩いてしまい、大ショッ ク。ところが思わぬところで、1週間後のトラックレースで5000mの自己新記録 (18分04秒)が出て、これにはびっくり。大きな目標の11月の東京国際女子マラ ソンではなんとか2時間台で走ることができ、ほっとする間もなく、翌週からレース の連続。12月、2000年最後で、思い入れの深い三田マスターズでは、優勝候補 たちの相次ぐ欠場で、わたしにラッキーが転がり込んできた。おまけにハーフマラソ ンの自己新だったのだ。 これくらいで十分疲れはたまっているようで、このあとは風邪との戦い。2001年に 入って、1月の大阪国際女子マラソンをも2時間台で走り、4週間後のハーフマラソ ンでも今季3度目の1時間22分台。そして3月にフルマラソン2本。NHKの朝の連 続ドラマでも半年は続くのに、わたしのマラソンシーズンもここまで。ぎりぎり半年だっ た。 わたしの走りっぷりを見ている周りの人たちから時々、「君なら(フルマラソンで)2 時間50分くらいはいけそうだな。」などと言ってもらうが、どうだろう?!?目標は 高く持っていたいのだが・・・・。このままの走り馬鹿(!?!)では、到底無理だろ う。 それに反して、2年前の故障のときにわたしの身体を触ってくれた、ある鍼灸師 彼自身も盲人ランナーのエリートで、00’福知山マラソン全盲の部優勝)だけは、 「う〜ん・・・・、サブスリー(=フルマラソンを2時間台で走ること)するほどの強い 身体ではないようだが・・・?」ふたたび坐骨神経痛が再発した今となっては、少し 気弱になってきて、やはり彼の診断のほうが正しい??? せっかく、新天地を求めて、QRCの練習会にお世話になって半年。どこまで続け られるだろうか、と最初は半信半疑だったものの、所属云々に関係なく練習を見て くださるコーチや監督さんに恵まれ、同性の練習仲間にも恵まれて、積み重ねてい くべきマラソン練習の難しさと体調管理の重要さに気づき始めたのに、自分で勝手 に好きなレースに参加していると、この結末である。本当に、始末書ものだ。始末 書ではすまない、自分の身体と、脳みその問題である。 脳みそが軽い(?)のか、勢いだけで走ることに頼らず、これからも堅実な練習を 積み重ねていきたいと思っている。 |
4.22 | 第14回都道府県対抗全日本マスターズ駅伝 |
(第6区4キロ) 15分03秒 : (全8区42.195キロ) チーム27位 | |
奈良県代表チームより、マスターズの部に参加。わたしの担当は女子40歳以 上の区間で4キロ。晴れて正選手となることができ、この日を楽しみにしていた。 ところが、前月からの坐骨神経痛の再発で、なんとか週3回のスロージョグが精 一杯の状態。流しを数本こなす中で、身体のバランスを保つよう心がけて、調整 した。 レースでは第1区、女子35歳以上のエースたちがスタートラインに並んでいる のは圧巻。その華々しい姿を見送り、わたしの6区までたすきが廻ってくるには まだ、間がある。それにしても風が強い。ジョグ程度ではなかなか進んでいかな い。行きは上りで追い風、帰りは下りの向かい風の折り返しコース&陸上競技 場で中継とあって、応援はしやすい。 都道府県のタスキをかけた選手たちの気持ちは熱い。どの選手も中継所にて 倒れこまんばかりの勢いでタスキを渡し、文字通りフィールド内に転がり込む。 タスキを渡された次の走者も、ものすごい勢いで前の走者を追っていく。 わたしもその例外ではない。第6区ともなると、かなり走者はバラけている。 悲しいかな、我がチームは、前から3分の2くらいのところだ。それでも、前を 行く選手、3人くらいは長い直線にて視界に入る。もう、前だけを見張って、最 初のオーバーペースを気遣いつつも追い風に乗って走っていく。すぐ前の選手 を見ているのではない、視界の先、一番前の選手がターゲットだ。 「ものすご い気迫の目だったね、抜いてやる、という目をしていたよ。」と、後で沿道で応 援してくれていた人に言われた。 折り返しまでの上りで、ペースを上げすぎてはいけない。下り始めてから、脚 にきて走れなくなってしまう。昨年の同じコースでのロードレースの苦い経験を 思い出しながら、余力を残すように坂を登っていく。のぼりでは抜いていくひとの 人数を数える余裕があった。しかし、折り返して下りになるともう、一目散だ。前 を行く人を次々目標にしていく。しかし、ラスト1キロからの長い直線、競技場入 り口も見えているのに、急に脚が動かなくなってきた。見えている前の走者との 間が縮まらない。それどころか、抜きさったと思っていた選手に追いつかれ、抜 き返されてしまった。後はその背中からちぎれないように、くらいついていくだけ だ。 「最後は向かい風が強くて、大変だったでしょう。」と言ってもらったが、風は まったく気にならなかった。前の選手の背中だけをみて走っていたからだ。その 背中が近づいてくるとき、向かい風は気にならない。でも、その背中が遠ざかっ ていくときには、向かい風に吹き飛ばされている自分を感じるんだろうな。 駅伝ならではの前半の突っ込みで、3キロまでを10分55秒で走っていたの に、ラスト1キロはほぼ平坦なのに4分7秒もかかってしまった。これでは、抜き 返されてしまうのも当然。速いスピードでの練習も出来ていなかった。 同年代の都道府県の代表選手たちと走ることの出来る駅伝に初参加したこと で、来年もまた、春先の目標が出来た。全国精鋭レベルの大会に参加すること は大きな刺激になる。今年は不本意ながら、ぎりぎりの調整でしかなかったが、 このような大きな風に吹かれるだけで大満足である。〜翌年の開催地・宮崎へ の旅費を、いまから積み立てなければ・・・。 引き続いて行われた、エルダーマスターズ駅伝(全5区間21.0975キロ・男 子60歳以上&女子50歳以上)の第1区では、われらが女王さまの3年連続区 間賞だ。おまけに昨年の記録よりも30秒ほども短縮されたコースレコード。なん というリズミカルな走り。同年代の女性たちとはまったくの別物。脚の運びがまっ たく違う。マスターズ50歳以上の日本記録を塗り替えた走りには、わたしなど、 ついていけない。こちらの女王様も、大きな目標であり、憧れである。 |
4.29 | 堺シティマラソン |
(10キロ) 37分57秒(マスターズの部初優勝) | |
人出も多く、曲がり角の多いコースは決して走りやすいとはいえない。おまけに このGWの頃は、急に気温が上がったりして、暑さと脱水症状にも気を使う。しか し、レース後のバーベキューにつられて、出かけることに・・・・。ジュージュー&ごっ くん! ところが今年は、小雨ぱらつく曇り空。湿度は高いようだが、気温は高温では ない。いよいよマスターズの部に参戦とあって、それでも見栄を張ってちょっと派 手なKappaのオレンジのハイビスカス柄のウエアで出走。見栄を張っても、マス ターズの部に走っている人はみんな40歳以上だということ、明白なのだが・・・。 そんな調子で、無理をしないで楽しんで走るつもりだったのに、直前に終了した 一般の部の女子選手のすばらしいタイム(3位までが36分半を切る好タイム)に 刺激され、気合を入れてしまった。 コースが狭い割にはランナーが多いので、男子選手がスタートした5分後に、 女子だけでのスタートとなる。5分あまりで先にスタートした男子の最後尾に追い つき、ここからは先導の自転車の「掻き分け隊」のお世話になる。大きな声で、 「女子のトップが通ります、片側を明けてくださ〜い。」と叫ぶこと、終始。追い越 していく男性の中にはきっと知り合いのランナーもいるだろうが、愛想をする余裕 なく、どんどん身体を前に運ぶのみ。 「おっ、頑張れよ。」と数々の声援をいただき、 時には(=身体のバランスが取れているとき)手を上げてこたえることができる。 距離表示がないのに、何度も時計に目をやってしまい、前半のオーバーペース に気づく。時計が気になるときは、すなわち飛ばしすぎなのだ。動かなくなってい くからだと戦いながら、ほうほうの態で、ゴールにたどり着く。ジョグばかりでつな いだこの1ヶ月、久々の10キロレース、よくぞ走りきれたものだ。 ゴールのあとはBBQが待っている。「出来るだけ速く走って、早くBBQに参加 します!」との言葉通りになって良かった。開始時刻の早いプログラムのファミリー ランや、一般の10キロレースに参加した仲間たちが、ちゃんと準備をしてくれて、 もはや宴は始まっている。そういえば公園内のあちこちでBBQの輪が広がって いて、その匂いはすでにマスターズの部の10キロレース中からプンプン。胃袋の 刺激剤というものだ。 きょうの仲間は、大学時代の先輩の、勤務先のランニングチームのメンバーに 混ぜてもらった。大学時代の先輩とはもちろん、体育会系陸上部の大先輩。その 先輩が、駿河屋の羊羹1本、丸かじりをしながらワインやビールを飲み干してい かれるさまには目を見張った。うわさには聞いていたのだが、超甘党であり、超 左利きでもあるのだ。学生時代には、伊勢駅伝の帰りに「伊勢名物・赤福もち」 の一箱一気食い、という技も振舞われていたそうだ。う〜ん、あっぱれ!! (せんぱ〜い、先輩の特技をHPにて全世界に公開してしまって、ごめんなさ〜 い!) |
5. 3 | 奈良マスターズ記録会 |
(800m) 2分33秒9 (400m) 70秒0 (200m) 31秒6 |
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冬のマラソンシーズンが一段落して、ウルトラマラソンに向かう人も、休養する人 も、のんびり野山を楽しむ人もいるけれど、わたしはトラックレースに参戦。トラック と、そしてまた、フィールドにも進出?!?7月にはまた走り幅跳びに参加するつ もり。わたしは陸上競技が大好きなのである。 さて、きょうのレースの1本目は800m。冬場にまったくインターバルなどをして いないので、スピードが出るわけが無いのだが、前半トラック1周目を73秒出回っ てしまい、明らかにオーバーペース。久々にはいたスパイクの感触がよく、飛ばし すぎた!後半、コーナーからバックストレートでまったく失速。ぐるりと1周する40 0mのトラックが本当に広く感じられた。 そうなのだ、トラックレースの面白いところは、ここにもある。トラック1周は必ず きっちり400mなのだが、調子がよく脚も動いているときはトラックが狭いように 感じる。くるくる周回を重ねるのも、何の苦にもならない。ところが失速して脚が 止まってしまうと、なんと広いトラックに思えることか・・・。残りの周回が果てしな く長く感じられる。周回遅れなんかになると、もう、嫌気が差してきたりする。そう ならないようにちゃんと準備をしなくてはならないのだが・・・・。 次のレースは、すぐに200mが待っている。3月のカール・ルイスさん(=4度 のオリンピックに出場!走り幅跳びと100mの名選手)のTV番組でスターティ ングブロックの使い方を学習したわたしは、きちんと歩測によってブロックをセット する。これだけでもいっちょ前の気分。年代(マスターズなので5歳刻み)の異な る4人の女子選手と一緒のレースだ。短距離専門の方々に混じって胸を借りる つもり。 2度のフライングがあったが、フライングをした選手は「ごめんなさい。」と みなに謝っている。緊張感を持続させるのは大変だからであろうが、わたしにとっ てはスタートのタイミングを計る良い練習になった。スタートして半分も行かない うちにインコースの選手に抜かれた。わたしよりもずっと小柄な選手。ところが ぐんぐん大きなストライド。短距離の走りはこうでなくてはならないのだ。わたしは 200mを走ってもマラソンを走ってもおそらくちょこちょこしたピッチ走法。走り方 を換えるなんて出来ない。さすがに最後だけは粘って、ゴール手前で前を行く選 手に並んだ。あとは胸の差だ!(これは勝負が歴然・・・トホホ・・・) お昼をしっかり休憩して、最後のレースは400m。坐骨神経痛ゆえにお尻の 下あたりが張っているので、何度も腿上げをして、リズムを取り戻すようにウオー ミングアップする。一番のアウトコースからスタート。前を行く目標の選手が見え ない位置なので、ただただ逃げるのみ。「最初のコーナーを飛ばして、次のバッ クストレートでちょっと調子を見て、第3コーナーからはまた加速、最後の直線は もがいてゴールせよ。」とのアドバイスをいただき、何にでも走り方はあるものだ と頭の中にインプット。以前の400mレースでは、最初から全速力で行くのみで、 ラスト100mにかかる前から身体が止まってしまっていた。きょうのこのアドバ イスのおかげで、前半うまく走れたのか、本当に身体が止まってしまったのは、 最後の50mだった。もうそこにゴールが見えているのに、体が動かない、前に 進んでいかない。文字通りもがいているようだ。ゴール横の電光掲示板が刻々 とタイムを刻んでいくのが見える、わたしの目標は70秒を切ることだ。タイムだ けが刻まれて身体は前に進んでいない、残念ながら、またしても69秒台には 届かなかった。 マスターズの大会に参加するようになって、大勢の人生の先輩方と触れ合うこ とが出来る。競技に参加する取り組みもさることながら、きっとこのようなふれ あいが楽しみで、多くの陸上競技愛好家の人々が集まってきているのだと思う。 わたしも末永く幅広く陸上競技を楽しめるようにと願っている。 |
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