2000年 7月〜12月の記録 |
7. 2 | 第51回奈良県民体育祭(走り幅跳び) |
3m76 | |
究極の選択を迫られてしまった、奈良県民体育祭。 「走り幅跳び」にでるか、「砲丸投げ」をするか? 両種目とも、中学時代以来の取り組み。しかも、私は ドンくさいときている。決してなんでも器用にできる ほうではないのだ。 「砲丸投げ」かあ。奈良マスターズで仲良くしてもらっ ている、田淵千鶴子さん、砲丸投げの年代別日本記録 保持者だ。 さきに田淵さん自身を知り、後で記録保持者であるこ とを発見してびっくり。あの年代の人にすれば大柄で どう見てもやさしそうな、肝っ玉母さんだ。よく、仲 間の面倒も見てくださる。 しかし、私にはとてもあんな重たいもの、投げられそ うにない。もし誤って、あらぬ方向に飛んでいったら 人様の大迷惑だ。飛んでいったらまだ良い、自分の足 の上に落ちてしまうことだってある。こんなことになっ たら大怪我だ。黄金(?)の大根足に傷がついては一 大事。 「走り幅跳び」かあ。あれって、中学時代の体力測 定とは違って、踏み切り板に足を合わせなくてはなら ないのだ。体力測定のときは、踏み切ったところから 測ってくれるので、まだましだったが、今となっては どちらの足が踏み切り足かもわからない。 あ、そうか、どちらが踏み切りあしかわからないとい うことは、どちらで踏み切っても大差ないということ かもしれない。おそらく走り幅跳びのピットはホーム ストレート側なので、たくさん跳んだ人と、ぼてんと 落ちてしまう人の差は歴然だ。まあ、ここで見栄を張っ てもしかたない、専門外ということで許してもらおう。 と言うわけで、とうとう当日まで、練習の機会もな く、よってどちらが踏み切り足かも見極めることもで きずに、出場することになってしまった。 前置きが長くなってしまったが、そうして迎えた当 日。この夏一番の夏日(気温34度)となり、フィール ド内もHOT! 走り幅跳びの公開練習で、30mからの助走で踏み切っ てみるが、たったの30mのダッシュが疲れてしまって、 スピードに乗り切れない。思いきって、5mほども前進、 25mの助走で跳んでみる。 試技の1回目。踏み切り晩の位置が気になって、直前で 助走のストライドが落ち、小またでパタパタ走ってし まったものの、何とかファウルにならずに記録は3m 30。 とりあえず、記録が残ったので、着外順位とならずに すむので、ほっとする。 試技の2回目。少し思いきって、踏み切ってみる。審 判員の先生に「まだまだ手前で踏み切ってるよ。」と 言われたものの、3m48まで、飛距離は伸びる。 少し気をよくして、次こそ、思い切り走って、思い切 り踏み切ってみる。 試技の最終回。まだまだ跳んだ&浮いた、という感じ はなかったが、3m76まで記録は伸びた。スパイク も、脚も砂に埋まった。 めったとない機会に走り幅跳びをやってみて、専門外 の気楽さもあって、結構リラックスして楽しめた。し かも、私のクラスは参加選手も少なくて、1等になっ てしまった。奈良市女子の部団体優勝に貢献できたの で、ほっと一安心。 マスターズの先輩がたからは、「女子の幅跳びは、せ めて4mぐらいは跳んでほしいなぁ。男子なら5mは 超えてほしいなぁ。」と言われてしまったが、まあ、 今回はラッキーでしたし、よしとしよう。 たしかに隣のピットでは、年代の違うクラスだが、4 m50ほどもとんでいて、見ていても「跳んだー!」 と言う感じで気持ちいいくらい。 それでも、私は、今日の走り幅跳びは楽しかった。 なんといっても、どんどん記録が伸びていくのがいい。 いっぽう、今の私のランの記録は、低迷状態もはなは だしい。練習内容や生活態度あたりに難があるらしい ことは自覚できている。 何とか悪循環を好転させなければ・・・。 おまけに、奈良県民体育祭(4×100mリレー) 補欠に名前だけは入れてもらっていたものの、まさか 自分が走ることになるとは思わなかった。 正選手4名は、ちゃんと当日来られていたし、それぞ れが個人種目の100mを走ってから、本日の最終種目 であるリレーを走ることになっていた。 ところが、そのうちの1人が、100mのレース中に まさかの事故。 トップで80mを過ぎたときに突然走れなくなってし まった。足首がぶらぶらしてしまっていた状況から、 アキレス件の断裂?(救急車で運ばれていってしまっ て、大変心配だ。) 私はのん気にも、既にシャワーを済ませして、 夕方からの大阪城七夕駅伝に備えて 帰る準備をすすめていたのだが、突然の大抜擢となっ てしまった。 焦るったのは、いうまでもない。レース開始までわず か20分。シャワーまで浴びてしまった体を、走れる 状態にしなくてはならない。しかも100mダッシュ だ! 私のアキレス腱まで危ない!?! うろうろとろとろ、長距離レース用のウオーミングアッ プをし、バトンを渡す手をきゅうきょ教わって、第1 走者としてレーンに入った。号砲一発、走るしかない! もたつく脚はいつものこと、それにしてもトロイ。 2区の奈良教育大の女子大生でうまくつないでくれて、 3区の京谷こまえ姉さん(今日の100m個人種目も、 断然優勝)で順位を上げ、アンカーで再び奈良教育大 の女子大生、さすが、速い!ぐんぐん1位を追走。 私がもう少しましに走れていたら、もっと楽なレース だったに違いない。 一緒に走ってくださったリレーチームの皆さん、飛び 入りでごめんなさい。でも、一緒に走れて、とても楽 しかったです、ありがとう。 |
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7. 2 | 大阪城七夕駅伝(1区間3Km×4名) |
44分05秒(チーム2位) | |
第1走者 10分28秒 ・ 第2走者 11分18秒 第3走者 11分10秒 ・ 第4走者 11分07秒 |
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淀川ランナーズ織姫チーム(女子だけのチーム)で初参 加私にとってはまさにホームグランドでの大会なので、 常々参加したいと思っていた大会。 淀川ランナーズで申し込んだものの、きゅうきょのメ ンバー変更があって、快走クラブの若い女の子をチーム に迎えての出走となった。 各区間3Kmを、順調にたすきをつなぎ、メンバー全員 が力を出し切ってのレースとなった。 第4走者にたすきが渡った時点では、2位に約10秒差 のトップだったが、何せ相手チーム「長居マー軍団」の アンカーは、黒崎しのぶさん。たすきを奪い取るように してかっとんでいかれた。 と言うわけで、我がチームは2位となったのだが、みん なの力を結集して、それぞれがい い走りができたように思う。 私としては、レース後にもらえる冷たいビールでみんな で乾杯したかったのだが、主婦ランナーの我が妹は「夕 食の支度が・・・」とか行って帰ってしまうし、若い女 の子は彼氏が迎えにきていて、これもまた帰ってしまっ た。しかたないので、彼女らの分のビールも私がいただ いてしまった。ご馳走様です。 |
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7. 9 | 第10回浜坂駅伝(全4区間Km) |
51分17秒(チーム4位) (第1区4.47Km) 17分00秒 |
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2年ぶりに吹田ヘルスにジョイントさせてもらって、 浜坂駅伝に参加。 例年は6月の第4日曜に開催の大会だが、今年は衆議院 選挙の影響で、7月にずれ込んでの開催となっている。 おかげで梅雨の影響もなく、今日は晴天に恵まれた。 それにしても、兵庫県の日本海側、車で出かけたのだが 遠い遠い、大阪の我が家から4時間半の行程だった。 なんといってもこの大会の特徴は、参加賞・賞品がすべ て現物支給ということ。今年の場合、参加賞はみかん箱 いっぱいの炭(アウトドア用)・じゃがいも・10回記 念のTシャツ、完走の副賞として玉ねぎ相当数・人参・ キャベツ・きゅうりに竹輪。 駅伝で上位入賞すると、岩かき。区間賞に甘えび、ビン ゴゲームの賞品もサザエなどの海産物。それらがみな、 保冷パックに氷入りではいっていて、重たくってかさば るのだが、家族には喜んでもらえる賞品だ。 レースには吹田ヘルスから男女とも4チームエントリ ーしていて、人数が多くて盛り上がる。 私はいまだ故障中ということもあって、女子のBチーム にしてもらっていて、気楽に走ることができた。私のあ との走者も、3区・4区が大阪国際女子マラソンに出て いる人たちなので、うまくつないでもらって、4位入賞 吹田ヘルスの若手主体のAチームが優勝したことは言う までもない。 レースのあとも、主催者側のにゅうめんサービスやお にぎりをいただき、持ち込んだクーラーボックスいっぱ いのビールで乾杯。さらに入浴サービスもある。 ゆっくりお風呂に入って、またまた冷たいビールで乾杯 それにしても吹田ヘルスの人たちはよく飲む・・・。 車相乗り7台でやってきたのだが、運転してくださる方 に申し訳ない。 抱えきれないほどの参加賞などを車に満載して、大阪 の我が家に送り届けてもらったのは夜の10時前だった |
7.23 | スポーツ連盟大阪3クラブ交流会 |
スポーツ連盟大阪に加盟の、大阪快走クラブ・泉北ランニング クラブ・河内長野walk&runの3クラブが、毎年1回、持ち回り で交流会を行っている。スポーツ連盟大阪主催の各種ロードレー ス・ランニング大会などでは、人手を出し合ってスタッフとし て協力していることもあり、みんな顔見知りの兄弟クラブであ る。 今年は大阪快走クラブの順番となり、緑の木陰の多い大阪城で のグループ別観光ジョグ(天守閣付近までぐるり一周)、3人一 組45分間のリレー駅伝、そして青空宴会となった。 リレー駅伝では、1周450mのコースを、3人で45分間に 何周走れるかを競う。ただし、週回数は多いもの勝ちではなく、 申告周回数に近いチームから3位までが表彰される。 私(=きん)はうまく仕組んで妹のぎん(=西岡貴子)と一緒 のチームになった。各チーム、快走・泉北・河内長野からひと りずつ参加できるようになっている。きん&ぎんと一緒のチーム になったのは河内長野walk&runの水野さんだ。両手に花(ばば= 婆)、と喜んだのもつかの間、きん&ぎんが全力疾走で1周ずつ 走ってくるものだから、水野さんも真剣に走らざるを得ない。 申告周回数を少なめに見積もって楽に走っている他チームも多 い中、我がチームは申告21周に対して、実走24周だった。 もちろん申告周回賞は逃したが、最多周回25周のチームに迫 る力走である。 ちなみに今日は、吹き矢の練習もした。 15キロの山道を走ってきたあとの吹き矢的当てが、8月の飯道山大会 での課題だ。つまり、450mインターバルに近い今日の練習で は、息が上がっているところで吹き矢の練習ができるのでもって こいだ。ところが、やはり7m離れて30cmの的に当てるなん て至難の業。大阪城の並木に向かってプッププップ吹いても、1 0回に1回ぐらい木の根元にあたるだけ。「小川さん、吹き矢の練 習なんて止めて、走力を鍛える練習をしたほうがよっぽどいいよ」 と、飯道山経験者からは言われてしまった。納得。 ランの後の今日の私の一考は、2メートルくらいの水道ホースを 持参したこと。公園の蛇口につないで、簡易シャワーを浴びた。こ れがまた、気持ち良い!今後夏の大会の必需品になりそうだ。 青空宴会は今の季節たしかに暑いが、そのおかげでビールは進ん だ。あちこちで、クラブを超えた輪ができて、みんなマラソン談 義に夢中。大きな輪になって、自己紹介も始まった。 私は自分のマラソンネームを「きん」、妹のマラソンネームを「ぎん」 といっているが、これは、私たちの冬のベンチコートに由来する。 スキー用のSnow Scandalというブランドのコートなのだが、私たち は色違いでおそろいのベンチコートを着ていて、私の色は金、妹の 色は銀なのだ。それをみたマラソン友達が、「やあ、きんさん&ぎ んさん!」と言い出したのがそもそもの始まり。最初は、「えー、お ばあちゃんにせんといて―。」と嫌がっていたりしたのだが、なんと なく気に入ってきて、今では「仲良しのきん&ぎん姉妹」を自称して いる。もちろん私のメールアドレスもこのkin-ginから来ている。 余談だが、残念ながらきんさんが天寿を全うされたのは、2000 年の1月。私はそのころ、絶不調で、大阪女子マラソンにも出走で きなかった。きんさんのことが自分の身の上に重なって、なんだか とっても悲しかった。 |
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8. 6 | 夢高原かっとび伊吹2000(チャレンジの部・約6K) |
41分29秒 | |
この、「かっとび伊吹」の大会は、私がランニングを初めて以来、 ずっと参加している大好きな大会。(といっても、今年でやっと連続 4回)今日の伊吹は、太陽かんかん照り。おかげで山の形がはっきり 見えた。 今までは山頂まで登っても、霧がかかっていたり、小雨だったりして なかなか景色を見渡すことができなかったのだ。 この大会は、友人に言わせると、富士登山競争の小型版。最初はアス ファルト舗装の道を行き、その後、オフロードの登山道に入り、最後 の断崖絶壁の後、山頂にたどり着く。 今日の私は、3合目までのコース。「せっかく伊吹山に行くのだから 山頂まで登らないと、意味がないよ。」といわれつつも、山頂コース では、7合目以降の断崖絶壁をよじ登るのが苦手、おまけに自力で 3合目まで下ってくるのがまた怖いので、3合目までを思いっきり 走ることにした。 アスファルト舗装の道から、スキー場のゲレンデ1枚分を登り、登山 道を経て3合目にゴールするコースは、どこまで歩きを入れないか がポイント。どうしてもアスファルト舗装の道でとばしすぎてしま い、ゲレンデの斜面に入ったとたん脚に来て、走っているよりも歩い ているほうがしっかり登れるという状態になってしまう。おまけ に伊吹の南斜面は、太陽光線が頭から照りつける。それでも、少し 前を行く女性ランナーを目標に、何とか彼女から離れないように 山道を登っていく。アスファルト舗装の道で少し離されてしまっ たが、あきらめないで登山道を1歩1歩登っていく。彼女が歩き 出せば、私まで歩き出してしまう。 それでも3合目コースは、ゴール直前の数百メートルが緩やかな 山道になっているので、走ることができる。スキー場のゲレンデ にはいってから、かなり歩きを入れてしまっていたので、ここぞ とばかりラストスパートで気持ちよく走って3合目にゴール。 ゴール手前では、20分も前にスタートした山頂コースに参加 している奥井さんが振り返って私を待ってくださっていた。 (管理者注 20分も前にスタートして3合目で追いつかれる てしまう私も情けない) いつもながら、チームメイトの応援は心強いものだ。 今日は天気もよかったので、3合目で少し休憩して後、山頂を 目指し再び登り始めたが、7合目にたどり着く前に山頂コース にゴールして下山を始めていた友人に出会ってしまい、あえな くUターンしてしまった。 3合目に戻って、山頂コースからの下山ランナーを待っていた ら、女子マラソンなどで知り合った女性陣数名が一塊になって 下りてきた。彼女らの山頂までのゴールタイムはすばらしく、 3合目通過だけでも、私の3合目までのタイムとほとんど変わ らないくらいなのだ。 私の3合目コースなんて、まるでお茶を濁しているようなもの だ。また、本当に元気になって、伊吹の山頂までかっとびたい ものだ。 |
8.13 | 全国バイアスロン飯道山大会(約15K×2人リレー) |
男女ペアの部5位 | |
吹き矢とぱちんこ。なんだか面白そうじゃない?おまけに二人 でリレーだって。 吹き矢とぱちんこでは、的をはずすと、1発につき200メート ルのペナルティーランが課されるという。炎天下に15キロも 走ってきて、へとへとのところで、このペナルティーランとは、 こりゃまた見もの。 男女2人1組で、的をはずしてぼろかすに言ってもヘイチャラな パートナーと出かけることにしまーす。 ・・・という調子で、飯道山を上り下りする大会に行ってきまし た。パートナーは、大阪快走クラブの森哲夫さん。吹き矢もパチン コも作ってくれて、私はぷっぷぷっぷ練習するだけ。でも、なかなか はいらないんですよね、これが。とくに吹き矢は、15キロを走っ てから吹かなくてはならないので、練習でも、大阪城で450mを インターバルする合間に大きな木の幹に向かって吹いてみた。息 も上がっているし、ねらいも定まらない。「小川さん、吹き矢なんて 練習するよりも、しっかりインターバルして、走力をつけたほうが よっぽどいいよ。」といわれてしまった。同感。 当日もまさにそのとおりだった。中国地方に接近してきた台風の 影響で、結構風が強い。パチンコも吹き矢も、風の影響を受け、み んな大苦戦。私もパートナーの森さんも、パチンコを1つ命中さ せただけで、1800メートルものペナルティランだ。パチンコは、 よく入っても3つくらい。平均で1〜2個というところ。吹き矢 にいたっては、最初から全く捨てている人もいて、命中するほう がごくわずかそんな中で、5つとも命中させた人もいたらしい。 森さんは、その人の玉を見せてもらって、なにやら研究していた ようだ。(こういう工作系が得意らしい。) ランは、パチンコでのペナルティランを終えてから本コースに出て 行くので、ばらばらの状態。トップクラスは、1発はずすごとに2 00メートルのペナルティがかなり影響するようで、壮絶なトップ 争いとなっていたようだ。私は第2走者だったので、ほぼ1時間半 の待ち時間。かなりだれてしまった。コースに出ても、遥か向こう に2名ほど、走者が見えるだけで、戦意喪失。それでも、前が見え ているので大きな目標となり、飯道山へののぼりは何人か追い抜い てがんばることができた。ところがくだりとなると、だらだらと長 い山道、または砂利道。いいかげん、足首(私は右足首にジョイン トマウスという骨のかけらがあって、これが動き始めると関節が腫 れてどうしようもない。)も痛くなってくるし、足の裏も痛い!全く 前が見えなくなってしまい、気力を無くす。ただ、ふんだんに設置 された給水所のボランティアの人たちが大声援を送ってくださるの で、何とか気を取り直すことができた。暑い中、大勢の係の人たち ありがとうございます。 それはそうと、先週のかっとびいぶきチャレンジの部で総合優勝し 今日もまた、総合優勝されていた吉田章さん。表彰式にのぞむ装束 は、淀川ランナーズの若草色のユニフォーム。私もまだ、このユニ フォームを持っていない(もうじき新着予定)ので、「いいユニ フォームを着ていらっしゃいますね。」なんて話し掛けると、「いや あ・・・。」と笑っておられた。 お兄さんの吉田福蔵さんも、このユニフォームで大会を走ってい らっしゃるのを見かけたことがある。こうなればミーハ―の私と しては、自分も早く淀川ランナーズの若草色のユニフォームを着 たくなってくるのだ。とはいえ、ミーハ―だけでなく、誇りを持っ てこのユニフォームを着ることができますように。 |
8.20 | 第9回千種高原全国大会(10マイル) |
1時間11分32秒 | |
連日熱帯夜が続く大阪とはうって変わって、高原は清涼そのもの。 天気予報どおり時折小雨も降る絶好のコンディション(気温22 度)となった。 行きは下りのみ、帰りはのぼりのみで、誰もが「きついよー、あ のコース。」といって初参加の私を脅す。逆にライバルは、「下 りの5キロの途中経過タイムで、5キロの自己ベストが出るよ。 17分台なんて、らくらく!自己ベストを狙おう!」と私を挑発 する。 下りが大好きな私は、ここでノリノリになってはあとが持たない と珍しく自制心を働かせ、「楽に、楽に、力を温存・・・」と自 分に言い聞かせながら走り始めたが、やはり5キロの通過は17 分17秒と、今までにないスピード感。太もももかなり張ってき て、やばし!6キロを過ぎて下りもややゆるくなるととたんに足 が重くなり、ラップが40秒以上落ちてしまう。同じように手足 を動かしているつもりなのに下りの引力とはものすごいものだ。 ちょうど中間点を30分弱で折り返したあとは、まず2キロほどは 緩やかなのぼりとなる。これからは登るだけとわかっているので、 ペースをつかむことに勤めた。さらに残り5キロを過ぎてからは かなりののぼりとなる。足が重くてよろよろと運ぶのみ。本当に あと5キロもこんな坂を耐えられるのか、自分の足が固まってき ている。ところが、ここで前方にいつも大阪城でいっしょに練習 している仲間2名を発見。まさか、背中が見えるとは思えない2 人だったが、前半がオーバーペースだったのか上り坂に苦戦され ている様子。私も苦戦していたが、こんなときに前に目標ができ ると、そこだけを見つめてせっせと脚を動かすことができる。 目標物はなかなか近づいてこないのだが、じりじりと差を詰め、 ひとり、またひとり、と追いつき追い越せ作戦だ。 後半の上り坂の中でも、ゴールの手前にはやや緩やかなところが わずかばかりあって、「やっと走れる!」と体中が喜んで、ラス トスパートにも力が入る。 私は本当に登りに弱いので、登りとなるととたんに走る体勢では なくなってしまう。 自分の「走り」の幅の狭さに情けなくなるのである。 さて、同行者の中には5〜10キロのレースに参加した人もいる ので、個々のレースのあとは、高原センターでのお風呂、そして 宴会が始まった。あいにくの小雨模様だったが、主催者側で用意 してくださった大きなテントの一角をお借りして、総勢11名で 盛り上がる。 いつもながら大勢で野外で囲む食事はおいしい。そしてそれらを 前日仕込で分担して用意してくださる仲間には本当に感謝。 (今日の私の分担は、食後のホットコーヒー2.5リットルのみ。 保温ポット2本分だが楽をさせていただいた。) |
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8.27 | 第15回琵琶湖ジョギングコンサート(10K) |
39分43秒 | |
15周年記念大会となったこの日、連続参加者の中からも「これ までで一番暑い!」との声が聞かれるほどの猛暑となった。 (同日行われた北海道マラソンですら、気温30度を記録して いる。) 1週間前のちくさ高原10マイルの疲れがはっきり残っている わたしは、無理をしないようにだけ心がけて自分のペースを守って 走る。 スタート直後に招待選手の浅井えり子さん に並んで、「今日はどれくらいで行くのですか?」などと生意気な 質問。「ゆっくり行きますよ。」とおっしゃったものの、徐々にスピード は上がり、見えなくなってしまった。 猛暑の中だったが、わたしは暑さが苦にならないタイプ。だから 暑さで後半ばてることもなく、前半からの流れに乗って、走りきる ことが出来た。 レースのあとのお楽しみは、高石ともやさんのコンサート。3月の 有森裕子さんのシンポジウムで高石さんにお会いして、いっぺんに ファンになってしまったわたし。独特の語り口調と歌で、今日もまた 彼の世界に引き込まれていった。 15周年記念ということでゲストの浅井えり子さんから特別賞でナイ キのシューズをプレゼントしてもらった。浅井えり子さんとは、昨年、 ナイキランニングクリニックでお会いして、これまたファンになった のだ。遠い世界の元オリンピックランナーであっても、このように身 近に触れることが出来るので、ランニング大会は楽しい。 また、表彰式では男子の優勝者インタビューがあって、彼のひと ことがすばらしい。「この暑い中で10キロを走ってがんばったのは、 このステージに上がっている僕も皆さんも同じです。」 こんなひと ことをすっとマイクに向かってしゃべれるなんて、とても大きな気持ち の人。会場からも拍手喝采だった。 |
8.28 〜29 |
富士登山バスツアーに参加 〜満天の星空と山頂からのご来光。 晴天に恵まれて、最高の富士登山でした! |
一度は登ってみたい山、日本一のやま富士山。![]() とりあえずお気楽に行こうと、1泊2日のバスツアーを選択。5合目 までバスで連れて行ってくれて、夕食&山頂での朝食つき、専門の ガイド付き、8合目の山小屋内寝袋での仮眠付きの至れり尽せり ツアー。 しかし、マラソン仲間と一緒に行ったのではなく、ジャズダンスの 友人と共に女の子ばかり3名で参加。このジャズダンス仲間、という のが曲者で、富士山はパンプスで上れる、などとカン違いしている 女の子たち。一緒に登り始めて何か不都合があって、「助けて―。」と 言ってこられてもわたしだって高い山の上、高山病も怖いしどうなって いるかわからない。頼りないわたしを頼ってもらわないように、事前に 何度もミーティングをして、持ち物チェックや富士山の気象条件が 厳しいことなどを伝授しておく。(今年の富士登山競争が、悪天候の ため、5合目で打ち切りとなったことなどを特に強調。) 朝の7時半に大阪・難波を出発して、バスに乗り込んだのは、ほとん どが若い女の子たち。学生かと思われる彼ら・彼女ら、夏休みの思い 出に富士登山にチャレンジしてきた様子。 準備は大丈夫かなあ、みんなで山頂まで登れることを願う。 交通渋滞などもあって、中央道経由で富士吉田から富士5合目に 到着が夕方5時40分。あたりはもはや薄暗くなっている。 高速道路を下りた所では24度あった気温が、ここでは15度。 標高2000mを実感する。登山服装に着替え、夕食を取る。登山に 不要なものはここで預かってもらえるので、お風呂セットなどの荷物が 減って大助かりだ。 すっかり暗くなった夜の7時に、いよいよ登山開始。わたしたち一行に 付いてくれたガイドは若い男の子(19歳の佐久間君という)で、声も 大きく、登山の指示や高山病の説明も的確。安心してついていける。 気温も思ったほど下がってはいない。見上げる空には星が降っている 絶好の登山日和だ。しかしペースはのんびりゆっくり。30分も 行かないうちに休憩となり、「皆さん、しーっかり深呼吸してください。」 が繰り返される。そうだ、これは一般の人のツアーなのだ、自分の ペースで登ることは許されず、全員登頂を目指してむしろ一番遅い 人に合わせなければならない。 そんな心配をしているのだが、早くも6合目で50歳くらいの太った 男の人が汗だくになってリタイア。それからも高度が上がるにつれ、 不調を訴える人が出てくる。「高山病になってしまったら、高度が 上がるにつれ、良くなる、ということは望めません。今の段階で早い目 のリタイアを強くお勧めします。」とのガイドの声かけにより、各リタイア ポイントで複数名ずつのリタイアが出た。おまけに私の友人まで、 高山病で3回ももどしてしまう。しかし持ち前 の負けん気で吐き気・頭痛をものともせずに登頂を果たした。拍手! 実はわたしが一番怖かったのがこの高山病。3年程前に、酸素を運ん でくれる赤血球の絶対数不足から心不全までおこしているわたしが、 酸素の薄い富士山で持ちこたえられるかどうか!? しかし、先導ガイドのゆっくりペースでみんなと一緒に進んで、徐々に 体を慣らしていったのが良かったのか、ずっと元気でいられた。 ちなみにペースは、5合目から8合目まで4時間のとぼとぼ歩き。 2時間ほど山小屋の寝袋のなかで仮眠(どこでも寝ることの出来る わたしは熟睡)して、また山頂まで4時間弱ののろのろ歩き。おかげで 天の川を渡る流れ星をいくつも見ることが出来た。 山頂の自由行動の時間(わずか40分間)には、ここぞとばかりに 火口の周りをぐるっと1周、走ってきた。お鉢めぐりのコースといって、 徒歩1時間くらいのルートをまわったのだが、高度3776mで走って いると思うと爽快だ。体も動く。ウインドブレーカーを着ていたのだ が、汗が出てきて、一枚脱ぎ捨てる。体も軽くなって、本当に気持ち 良い。(そういえば高橋尚子選手は、3500mの高地でシドニーに 向けてトレーニングを積んでいるという。想像を絶する練習だろう。 だが、日本国内でそんな練習場所はない。) たどり着いた、白い球状の測候所の傍らから見るご来光は最高! 気温も思ったほど寒くなく、カイロもフリースのジャケットも不要。これ らのものが要らなくって良かった。寒がりのわたしにとって、一番の 心配は氷点下の気温だったのだ。さすがにじっと座り込んでご来光を 見ていた私の友人たちは、「寒い〜。」を連発していたが、走っていた おかげで私はぽかぽか。寒さを感じないうちに下山だ。 わざと少しスタートを遅らせて下山道に入る。みんなに追いつくふりを して走ってやろうという魂胆。ざくざくした斜面を気持ちよく走っていると 上から男の人が吹っ飛んで来て「おれについて来い!」。 砂埃を上げて落ちるようにして走っていくので、わたしも思わず「は い!」と返事して、出来る限りついて走り、その走り方をしっかり真似 させていただく。 ふと止まったところで、「いい足してるよ、登山向きだな。」と誉めても らったのが嬉しくって、「登山競争が目標です。」などと大見栄を 切ってしまった。「鍛えてやるからまた来い。」と言った彼は、 日に焼けたベテランのガイド山本さんだった。 そこからはツアーのメンバーに合流して、またとぼとぼ歩きで下山。 しかし山本さんに出会って、いつかはチャレンジしてみたい富士 登山競争に向けて、気合だけは入ってきた。 |
10.22 | 第19回蒜山高原マラソン全国大会(ハーフ) |
1時間24分23秒 | |
ラン仲間のご好意により、車で一緒に遠出させていただくことに。 前日の泊まりは、吹田ヘルスの石井ご夫妻の別荘「石佳山荘」。 大阪から蒜山高原までわずか3時間弱の快適ドライブ、別天地の 蒜山高原は、天候にも恵まれて、すすきの穂がきらきらと輝いて、 まさに秋景色たけなわ。地元の方々は、「紅葉にはまだちょっと早い けれど。」とおっしゃっていたが、少しだけ始まっている紅葉を見つ けるものまた、楽しみというもの。 石佳山荘には、わたしの参加させていただいているグループ以外に も、本家の吹田ヘルスの人たちが大勢いらっしゃって、みんなでわ いわい大賑わい。近くの温泉に入り、日本シリーズの開幕戦(始球式 に登場した高橋尚子選手を一目見ようとテレビにかじりつき!)を 見ながら夕食、石佳山荘に帰ってきてからも宴会は続くつづく・・。 明くるレース当日は、早朝には朝もやがかかっていて、まるで雲海 の上にいるような中でのんびり散歩。その後はどんどん晴れていって まさに秋一番の晴天に恵まれる。 前日に車で、コース下見がてら走ってもらっていて、「アップダウン が長短織り交ぜて続くかなりタフなコース、」との覚悟は決めておい たので、気分を紛らわせるためにもこの秋一番の蒜山高原の景色を楽 しみながら走ることに。ただ、ラスト2キロ地点に放牧の牛たちがいて のん気そうに「もぉ〜」と鳴いている。後2キロ、という正念場で、この 「もぉ〜」を聞くと、がくっとちからが抜けそうだな、とちょっと心配 ではあるのだが・・・。 レースではまるでこの蒜山の爽快な景色に後押しされるようにぐん ぐん脚が進んで、細かなアップダウンをさほど気にせずに、むしろ楽 しく乗り越えて走っていった。 行きはおおむね登り、帰りは下りの設定を頭に入れておいたおかげで、 折り返してからの帰りのコースの中のくだりみちを気持ちよく飛ばす ことができた。ちょうど、同じくらいのペースの男性ランナー数人が わたしの前後に出たりはいったり・・・、というのは、登りの苦手な わたしはのぼりであっというまに離されてしまい、下りであわてて追 いつくといった寸法。脚もかなり筋疲労が来ていたが、下りのコースの 勢いに乗ってものすごいスピード感だった。緩やかな下りと平坦な部分 であるラスト5キロを18分台でカバーしたのには、自分でも驚き。ラ スト2キロ地点の放牧の牛たちの「もぉ〜」の大合唱もわたしの耳には 声援となってくれた。 高低差は全体で118mとのことだが、素晴らしい太陽と景色のおか げで、ほとんど苦にならなかった。 蒜山に来るまでは、調子がいいとはいえない状態だったが、走ってみ て思わぬ記録が出て自分でも驚いている。出走前の目標は1時間27分 くらい、折り返してから途中までは、1時間27分を切れるかどうか ・・・?、だんだんペースが上がってきて、もしかすると1時間25分 台・・・?、わずかのところで1時間26分台だったらいやなので(欲 が出てきた)、がんばろう、とおもって走っていると、またまたペース が上がって、そのまま最後の平坦を走りきってゴール。まさかの84分 台だった。 一緒に参加した久宝寺RCのメンバーも、男子ハーフ山根光雄さん・女 子ハーフ吉岡真紀ちゃん、吹田ヘルスの小原音恵さんも女子10キロで それぞれ入賞と、気分は盛り上がった。 大会会場から歩いて石佳山荘に戻ってくると、もうすでに打ち上げ宴会 が始まっている。参加賞のおこわご飯がおいしく、鉄板焼きでは地鶏をい ただき、畑から掘りたてのサツマイモもほくほくしていて、冷たいビール とともにどんどん胃袋に納まっていった。 石佳山荘のオーナーは言わずと知れた吹田ヘルスの石井ご夫妻で ある。吹田ヘルスさんとは2回ほど、駅伝(浜坂駅伝)を一緒に走らせ ていただいたので、チームの皆さんとも顔見知り。とはいえ、わたしの お付き合いはお見掛けしたら挨拶をする程度で、とても別荘に呼んで もらうほどのものではないのに、今回は一緒に参加した久宝寺RC 伊藤コーチのご縁により、特別参加させていただいた。 淀川ランナーズの先輩方の中には、わたしなどよりもずっと、石井ご 夫妻と親しくされているメンバーがいるのに、わたしが一番に「別荘ライ フ」を体験させていただくことになってしまった。先輩方よりも先んじて しまいましたが・・・とてもとても快適な別荘でした。 このレースで入賞したおかげで、「人見絹江杯山陽女子ロードレース」 への招待が決まった。 え?あの「山陽女子ロード」?有森裕子選手も 走ったことのあるあの大会に招待? とんでもない、市民ランナーの出 る幕ではない・・・。とは思いつつ、自分からは決して進んでエントリー するような大会ではないので、これをいい機会として、走らせていただ こうかどうか、かなり迷っている・・・。 |
10.29 | 第7回神崎川耐久4時間走 |
走破距離50Km(3時間58分39秒) | |
蟻ぎりすという走友会兼キタ(=大阪梅田の繁華街)の飲み屋さん チームが主催のこの大会は、参加人数を100名と限定していることも あって、こじんまりとしてみんな和気あいあい。1週5キロの折り返し ありの周回コースを設定していることもあって、何度も対面ランナーとすれ違う。 4時間も走るのだから、本当に何度もすれ違い、自然と親し みが湧いてくるというもの。ただ、残念なことに、秋のフルマラソンレー スと時期が近いこともあってか、時間途中で競技を打ち切ってしまう人も 多く、走路からはどんどん人が少なくなっていった。 競技終了後、ランチにいただいたのは、お寿司のパック。巻き寿司や いなりだけでなく、握り寿司まではいっていて、おすまし&ビールまで つけてくれたので、嬉しい。寒がりのわたしは、レース前半小雨〜その 後も曇り空で気温あがらず、の今日も身体が冷えて手足がしびれるほど だったが、感覚のない指先でしっかり缶ビールを握り締め、ごくごくと 飲み干してしまった。 レースの結果を見てみると、記録的にはここまでで精一杯だった。 ランナーズ社主催の「月間走り込み大会」のノルマ達成&帳尻合わせの ためにも、50キロを目標にしていたので、そのラインを超えると1歩 も走れない状態に。 脚が、股関節や付け根からギクシャクしてしまい、自分の意図とおり動 いてくれないのだ。 3週間前の、御岳マラソンの再現だ。ただ、今回は平地だったので、脚 が歩いてしまうということはなかったのが幸いか? 1週間後に吉野川ハーフ、3週間後に東京女子マラソンを控えていて、 疲れを残さないように走りきることが目標だったのに、脚や体全体への ダメージは大きい。 今回のこの大会はわたしにとっては久しぶりの時間走だった。ランニ ングを始めた当初(97年の秋頃)は、自分のペースを設定して走る練 習をするためによく時間走を利用したものだ。ところが、それからはフ ルマラソン完走に一生懸命になってしまい「自分のペースを自分で設 定する。」という初心を忘れてしまっていた。 それにしても、長い距離(ハーフ以上)への不安が残るレースであった。 3週間後のフルマラソンでの苦戦が予想される・・・。 |
今月のトピックス! | |
?女優ひろこ・2日連続でテレビ出演! | |
10月8日放送の「あるある大辞典」〜テーマは痴呆症。 番組の冒頭の部分にいきなりのドアップ!アルツハイマーを 発病している我が父親の紹介をしました。取材では、東京か らカメラマンさんとインタビューの女の人の2人が我が家に やってきて、1時間半にわたってビデオ録画していかれまし た。でも、番組でのわたしの顔出しはほんの数秒間。テレビ 番組作成の難しさを知りました。わたしの目指している「明 るい介護」が伝えられなかったのは残念。(父の介護と私の ホームヘルパー体験記については、近日中にHP公開予定 です。) しかし、テレビを見てみるとそれどころじゃない・・・自分 のアップを直視できずに、あわててエステサロンに走りまし た。トホホ・・・。 10月9日放送の「神戸健康フェスティバル」〜ワイン城女子駅伝。 第1区走者だったおかげで、フォームのチェックができるくら い前後左右からよくうつしていただきました。上り坂でずる ずると後退していく様子までばっちり・・・情けないですねえ。 |
9.10 | 妙見山岳マラソン |
(10キロ) 41分02秒 | |
会場入りするのに、電車を乗り継いでいくと、長―いケーブ ルに乗って、最後は登行リフトで山の上まで上がる。そのリフ ト沿いのコスモスが、今年はとっても背丈発達して、リフトの 椅子に腰掛けた足元までふさふさ伸びていた。ひと夏の猛暑の おかげで紫陽花はすっかり枯れ木となってしまっていたけれど 今年はこの10年間で2番目に暑かったというけれど、今日 も暑かった。 8月にのぼりのきついマラソン大会ばかり行っていたので、 「大阪で1番しんどい」というコピー付きの妙見のコースも気 にならない。たしかにわたしはのぼりが全く登れない、のぼり 坂になると急に足が止まってしまう。ただし、下りは大好き。 足腰への負担は大きいが、下り坂を走ると、平地では体験でき ないスピード感が味わえる。が、下りをいい気になって飛ばし すぎると、あとののぼりでつぶれてしまうので、今日も余裕を もってスタート直後の下りを走り始めた。 太陽の直射日光を浴びるとじりじりとまだ真夏の日差しだが、 木立が建ち並ぶ中にマラソンコースがあるので、日陰はとても しのぎやすい。そんなコース設定も手伝ってか、気分だけは楽 に10キロを走りきることができ、9月にはいって秋一番の レースとしてはいい感じ。 淀川ランナーズのグリーンのユニフォームもあちこちで見ら れた。招待選手になっておられる吉田福蔵さんはじめ、吉田章 さん、若手の中川一希くん、そしてみんなのおとうさん役 (ちょっと失礼な言い方かも・・・)の義籐さん。女性では、 平田さん。ほかにあまりない色なので、けっこう目立つように 思う。 わたしは特にこのユニフォームに思い入れが強く、今日も私 の手元にはあるのだが、次の公認レースの玉造毎日から初めて 着用することにしている。 アフターランのお楽しみは、ラン仲間が阪急沿線に緑の芝生 の庭付きの大邸宅を新築、―昨年末にはそこで大餅つき大会で 盛り上がったが、今のシーズンはBBQ!奥さま、またまたお 邪魔させていただきましてありがとうございます。 (実はこのお宅でビールをよばれすぎたようで、帰りのJR環 状線を乗り過ごし、「お客さん、終点ですよ。」の声で飛び起 きたはいいけれど、あみだなにリュックを丸ごと忘れてきてし まった。まあ、洗濯物とシューズが入っているだけだったので 無事、忘れ物センターに届けられていて、後日、はんこをもっ て取りに行くという失策をしてしまった。飲みすぎには気をつ けましょう・・・トホホ・・・。) |
9.15 | 玉造毎日マラソン |
(20キロの部) 1時間23分50秒 | |
![]() 我が淀川ランナーズの小林明子さんが、前年度優勝者、とい うことで、今年は招待選手となっておられる。その小林さんに 誘ってもらったので、遠出をしてみようかな、とエントリーを きめる。 レース前のわたしが考えたことといえば、この公認レースで 1時間25分以内(=女子マラソン参加標準記録)で走ることがで きると、秋からのレースに向けて心理的負担がぐっと軽減され る、ということだ。まる1年以上、フル・ハーフとも、公認レー スに出ていない私は、女子マラソンへの参加資格期間があと半 年ほどなのだ。秋のレースがまさに休場明けの角番。 玉造マラソンは耐暑マラソンとして有名だ、その暑さの中で 1キロ4分15秒のスピードを維持して1時間25分以内で走ることが できるだろうか。 ここで潰れて秋からのレースをフイにしてしまうか、うまく乗 り切って秋のレースに向けて勢いをつけるか・・・・勝負の分 かれ道だ。 これからの秋のレースにつなげる意味でも、かなり気合を入 れて玉造に向かった。 結果は、20キロ1時間23分50秒。実業団選手や強豪選 手が来ていなかったこともあって、優勝のおまけつき。 大きくつぶれたとしたらともかく、今年春からの練習内容とレー スを振り返ってみて、無難に20キロを走って目標としていた 1時間25分を切るのがこんなにしんどいとは思わなかった。 5キロ通過を19分51秒、スタート直後の40mほどのくだ りを考えれば決して早過ぎないペース。「暑さが苦にならない タイプ」と自称していたのだが、その後は蒸し暑さにやられた のか、体全体が動かなくなってどんどんペースは落ちて、ラス ト2キロで目標タイムまで9分30秒残っていなかった。ここ からは緩やかな上りであることを考えると、余裕はない、ペー スを必死であげていった。 走りきったという印象はなく、ただ、ゴールまでたどり着い た、という感じ。 やはり夏の走りこみ不足で、いろいろな条件に対応できるス タミナが出来ていないようだ。 男子フルマラソンでも、3時間を切った人が12人、124名 出走して完走が48名というレースからも、気象条件としては 厳しかったのだろうが、玉造で公認記録を狙うものにとっては 覚悟の上でのぞまなければならないこと。 今回の玉造では、レースをまとめることはできたが、大きく 疲れが残りすぎ、秋のレースを占う序盤戦としては苦戦だとい える。 そんな玉造マラソンだが、私はこの耐暑レースが好きだ。前 日受付&開会式があって、そこに臨む男子のフルマラソンにエ ントリーしている人たちは、真っ黒に日焼けして、精悍そのも の。暑い夏をこのレースに向けて走りこんできたという、独特 の自信がみなぎっている。 残念ながら女子はフルマラソンにはエントリーできない。わ たしが彼らの仲間にははいりたくても入れない、おんな子供に は門戸を閉ざしている厳しさが伝わってきて、ぞくぞくする。 いつぞやの開会式の主催者挨拶でも、「救急車はちゃんと用意 していますので、かんかんでりが予想される明日の暑さの中を 存分に走ってください。」などというくだりまで有った。 この緊張感がなんともいえない。 淀川ランナーズのメンバーにも、玉造マラソンに、ずっと続 けて参加している人が複数いる。この、一種独特の雰囲気を気 に入っていて、参加せずにはいられないのだろう。夏がどんな に暑くても、それを乗り越えるキーワードになっているに違い ない。 |
9.17 | 第10回記念奈良マスターズ選手権大会 |
(1500m) 5分12秒 (4×100mリレー)交流種目 (800m) 2分36秒 (400m) 70秒97 |
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この時期のトラックレースはまだまだ暑いし、2日前の玉造 の疲れがそっくりそのまま残っていたのだが、今年はトラック を走る機会がなかったし、お世話になっている奈良マスターズ の記念大会なので、朝一番から会場となっている奈良市の鴻池 陸上競技場に出かけていった。 久しぶりに出会う奈良マスターズのメンバーは、みんなニコ ニコして出迎えてくれる。2日前の玉造の優勝の記事を新聞で 見つけてくれている人も多く、「おめでとう!」の言葉をかけ てもらう。 しかし、まだまだマスターズ新参者のわたしは、諸先輩方に混 じって走らせていただく、といった感じ。おまけに2週間後に はスポレクも控えていることだし、「今年もお世話になります スポレク、行かせていただきます。」とご挨拶させていただく ことも大事。 レースでは、さすがに疲れが響いてペース上がらず、凡記録 に終わるが、今日のわたしはこれで精一杯。5000mにエン トリーしていなかったことにほっとする。 その5000mでは、マスターズ年代別の日本新誕生を目の 当たりにする。いわずと知れた奈良マスターズの女王・京谷こ まえ姉さんだ。暑さをものともせず、パワフルなストライドで 周回を刻み、後半もペースが落ちずにうまくまとめて18分5 1秒!わたしが一緒にスタートしていたら、周回遅れに違いな い・・・。 「こまえ御姉上様、恐れ入りました・・・。50歳代というに はまったく失礼です・・・。本気で勝負してもついていけませ ん・・・。」(としっぽを丸める・・・。) |
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9.23 | 京都スポーツ祭典陸上競技大会 |
(1500m) 4分59秒03 | |
朝から激しい雨風の悪天候だったが、昼過ぎには何とか雨も やみ、外でウオーミングアップできる状態に。会場の京都太陽 が丘陸上競技場は雨風をふせぐところがないので、雨がやまな いことにはアップもろくに仕上がらない。そのうち風も収まり 14時過ぎの出走には雨上がりの絶好のコンディションとなっ た。 トラックレースのいいところは1周ごとにきちんとペースを チェックできるところ。気負って飛ばしすぎ、後でばてること のない様に、目標ペースを設定して走ることにつとめた。 今日の目標は、400mの1周が80秒ペースを守り、150 0m5分に近づくこと。同時スタートの壮年男子の人をうまく ペースメーカーにして、ほぼイーブンペースを守り、1000 mを超えたところでまだ余裕があったので、ラスト500mを 猛然とスパート。わたしとしては大満足の1500m4分台に 突入。ベストは98年の4分58秒だが、このときは引っ張っ てくれる男の人がいて最初に飛ばしすぎ、最後はかなり苦し かった。スピードのないわたしがトラックレースを走るとなる と、1500mでも自分のペースを守るということが大切なのだ。 この大会でのこの結果のおかげで、11月3日・長居競技場 での全国スポーツ祭典への参加資格が得られた。なんと、長居 の第1競技場で走ることができるのだ。国際グランプリを開催 したりするところだ。ミーハ―なわたしは、さっそくエント リーすることにしている。 |
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9.24 | 神戸ワイン城女子駅伝 |
(3キロ+3キロ+1.8キロ+3キロ) 41分42秒 (淀川ランナーズAチーム・総合5位) |
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今日は、シドニーオリンピック女子マラソンの日!! 女子マラソンのTV放送をリアルタイムで見たいがために、こ の大会にエントリーしていない走友も多数。 そんななか、わたしたちは、恒例のこの大会をはずすわけに も行かなかったが、幸運にも便乗させてもらった車はテレビ付 き!!!早朝からの移動の道中、ドライバーともどもマラソン 中継に夢中になってしまった。 車は予定以上に早く走り、会場近くの駐車場に到着したときは 高橋尚子とシモンのデッドヒートの真っ最中。私たちも出走の 予定があるので、いやがおうにも車から離れざるをえなくなって しまったが、駐車場の管理小屋にテレビ発見!しかしテレビは ついていない〜「おじさん、オリンピックの女子マラソン、見 ないんですか?」とのぶしつけな質問に、「わしらだって見た いけど、勤務中だからなあ。」とのお言葉。あらあら、失礼し ました。 そのあと会場のワイン城到着直後に高橋尚子選手の金メダル 獲得が伝えられる。 自分事ではないのに、その達成感で嬉しくなってしまい、ウオー ミングアップしていても体がはずんでくる。少し気温も上がっ ているようで、すぐに汗だく。 わたしは、ワイン城駅伝3回目にして、初めて1区を走るこ とになる。昼から仕事が入っていたので、ちょうど都合もいい のだが、わたしの最近の気分は1区でもどこでも走ってやろう という心意気。勢いばかりで走り出すと、後半失速してみんな に迷惑をかけることにもなるのだが、スピード不足を自覚する ようになってからは、前半を抑えることにしている。 さて、スタートの号砲とともに、盛り上がっていた仮装ラン ナーは後ろに退き、本格派ランナー(ランパン&ランシャツの ランナー)が前に飛び出す。あれ?長居馬軍団の黒崎しのぶさ んが、落ち着いたペース。彼女の本来の走力ならば、わたした ちごときが相手であればスタート直後からぽんと飛び出し、他 の追随を許さないはず。ところが今日は、中学生も含めた3〜 4名の集団となっている。最初のアップダウンをこなし、平坦 な直線だ。葡萄畑の中を渡ってくる風がいかにも気持ちいい。 黒崎さんを含めて、女子ばかりのトップ集団。おまけに前方に は、先導車とテレビカメラ車。なんだかテレビ中継を見ている ようだ。 (この駅伝の模様は、後に本当にテレビ放映されたらしい。第 1区のトップ集団にいたわたしまで、テレビに映ったらしい・ ・・でも、みそこねた・・・。) 自分もそんな集団の中に入っていることにうっとりしている のもつかの間、また大きなのぼりであっという間に黒崎さんと 中学生に離されてしまう。本当にのぼりが登れない。情けない が、その後の下りでなんとか追いつく。が、わたしの力はここ まで。3度目ののぼりでついに大きく離れていってしまい、区 間2位でたすきリレーとなった。 わずか3キロだったが、快晴のワイン城を走るのは本当に気 持ちよかった。たすきはその後も順調につながれ、淀川ラン ナーとしては連続入賞を果たした。 午後からの仕事のために、チームのゴールだけを見届けて 早々にワイン城を引き上げざるを得なかったのは残念。毎年、 バーベキューとワイン飲み放題で盛り上がるのに・・・。 (ワイン城ではこの時期しか飲めないワインの原酒が振舞われて いるのだ。これが本当に口当たりよく美味。美味。美味。) |
9.30 | 大阪府勤労者ジョギング大会 |
(5キロ) 18分54秒 | |
長居で開催されるこのロードレースは、陸上競技場発着でス タート直後トラックを4周してから周回道路へと出て行くので、 最初のペース配分をチェックしやすい。 今日のわたしのペース目標は、400m1周90秒ペースではいって そのあとちょっとペースが落ちるとして5キロゴールを19分。 ただし、明日からのスポレク石川が備えているので、オールア ウトではなく、余裕を残すこと。 いまのわたしには厳しいかもしれないが、先週の奈良マス ターズ大会での京谷こまえ姉さんの5000mが18分51秒。400m 1周90秒ペースで刻んでいくパワフルな走りを目の当たりにし て、こりゃ、若い者も負けて入られないな、と。あとで聞くと ころによると、このこまえ姉さんの記録は、マスターズ50歳 代女子の日本新記録だそうだ。偉大な記録を達成されるその現 場に居合わせて、目の前で応援できたことを嬉しく思う。 さて、わたしのレースではうまくことが運び、朝方からの雨 もやむ。今日もまた周回道路にでてから先行の男性ランナーに ついて走り、ゴールタイムは久々の18分台。少し中だるみし た走りになっていたので、まさか19分を切れるとは思ってい なかったが、今日の涼しい気候が味方になってくれたようだ。 このあとは昼過ぎのサンダーバードに乗って、石川県金沢に 移動。スポレク石川にて明日から開催されるマスターズ陸上競 技に参加だ。 |
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10.1〜3 | スポレク石川2000 |
初日 (1500m) 4分59秒91(W35・2位) (8×100mリレー・第7走者) 1分55秒81(総合5位) 第2日目 (5000m)18分19秒39(W35・1位) (スエーデンリレー・第3走者) 2分41秒50(総合10位) 第3日目 (4×100mリレー・第4走者) 63秒---(総合4位) |
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嬉しいことに、今年も奈良県チームとして参加させていただ いた。 奈良マスターズの人たちには、ほんとうに良くしていただいて いる。みんなで新調したチームユニフォームにも「なら」の文 字が入っている。私自身、仕事先が奈良、ということもあって とても親しみやすいので、奈良県内の大会にもよく参加してい るのだ。 今年は、短距離パートの人員不足のため、4×100リレー や、スエーデンリレーまでメンバーに入れてもらって、5種目 のフルエントリーだ。 スポレクはあくまでも交流が中心、都道府県対抗はないのだ だから、私でもリレーメンバーに入れてもらえるのかな? 実は、足が遅くて陸上部の落ちこぼれだった中学・高校時代 4×100リレーなんていうと、憧れの的だった。今でもやっ ぱり、100mや走り高跳び、というと永遠の憧れー自分には できない種目だからに違いない。(私の落ちこぼれの思い出は また、おりをみて後述予定。) しかし、競技2日目まで個人種目を終えてからのリレー参戦 競技開始時刻が迫っていて、コール時間も配慮してもらわない といけないくらい。バトンパスの練習も全くできないままのリ レーとなってしまった。8×100mリレーでは、わたしの担 当は曲走路。足が絡まるようでスムーズに回転しない。自分の ドンくささを暴露してしまった。スエーデンリレーでは、第3 走者で300mを走る。スプリンターにはない持久力を発揮す るのはここしかない!誰にも抜かれずに、むしろごぼう抜きし て次の走者へバトンパスできて、ほっとする。 チームで走るリレーの醍醐味はバトンパスにある。これがう まくいくと、走りはじめからスムーズで脚もうまく回転すると いうもの。最終日は、リレーだけだったので、付け焼刃ながら バトンパスの練習をした。 スポレクのリレーは、年代によって走順が決まっている。わ たしはアンカーだ。最後の直線を受け持つにはあまりにも場違 いなマラソンランナーだが、与えられた順番なのでしかたない 考え様によっては、バトンを受けるだけで渡すことはないので 気楽かもしれない。 バトンパスは、前の走者から受け継ぐとき、いかに二人の トップスピード状態でパスをするかが決めてだ。数メートル手 前に印を置いておき、前の走者が走ってきて、その印のところ を通過するやいなや、自分も前方に向かってスタートする。前 走者の「はい!」という掛け声で、右手を大きく後ろに伸ばし て差し出すと、その手のひらの中にバトンが渡される。 もちろん振り向くことなどしない。「バシッ!!」とバトンが 降ってきたときは、その勢いだけでスタートダッシュにはずみ がつく。前の走者から力をもらうのだ。 本番では吹っ飛んできた第3走者(=奈良県記録保持者の山 田嘉子さん)からのバトンパスが見事に決まり、力いっぱい走 り出す・・・ものの・・・悲しいかな、長距離ランナーがにわ かスプリンターとなったところで、勝負は明白だ。2位でバト ンを受けたと思ったのに、ゴール直前に抜かれて3着だった。 しかし、タイムレース決勝で総合4位となったのには驚き& ほっと胸をなでおろしている。 個人種目の1500mでは、今期2度目の4分台。喜んでみ るものの、よく考えると今期になってから1500mでスパイ クを使用するようになったので、これに助けられている部分が 大きい。特にトラックのコーナーを廻るとき、スパイクを使用 しているといないでは全く違う。コーナーでのロスが少ないの だ。むしろ加速できるほどかもしれない。 また5000mでも、自己2番目の記録が出た。夏の走りこ みもスピード練習も満足にこなせていない中で、本人もきょと んとしている。 ただ、自己ベストを連発していた2年前は、最初から飛ばし ていくという走りしかできず、後半の失速にどこまで耐えられ るかのレースが多かった。今シーズンは走り方が変化し、最初 からほとんどイーブンペースで押していく作戦。レース前の作 戦でペース設定が難しいところだが、自分の体の弱いところが 認識できてきたので、無理からぬペースを設定することができ ているようだ。 |
10.8 | 第36回御嶽マラソン |
(フル) 3時間38分26秒 | |
苦しんだ1年半ぶりのフルマラソン。 おまけに完<走>できなかった。 36キロ以降の坂を、<歩いてしまった>のだ。歩いてはいけ ないと自分に激を入れるが、足が数歩の距離を歩いてしまう。 「だめだ、だめだ、走らなくては。」と、すぐに走り出すの だが、これがほんとのとぼとぼ走り。ごく短い距離を移動した だけで、また勝手に足が歩いてしまう。 ゴールの標高1708.4mに近づいて、前も後ろもランナー はいない。走路員もいない。 「あんたが歩いても誰も見ていないよ。」と自分の中で弱い自 分がそそのかす。その誘惑に負けて、勝手に足が歩いてしまう。 ふと、前から車が走ってくる。「こんなところで歩いていたら かっこ悪い。」と見栄が出て走り出す。走っていても歩いてい てもあんまり速度は変わらないのに。 この御嶽マラソンは、標高差が1200m近いこともあって ペース配分が難しい。 スピードがなくスロースターターのわたしは、10キロ地点ま でのほぼ緩やかな平坦部分でいかにして飛ばしすぎないで体力 を温存するかが第1のポイント。ところが予想外の複数の女子 選手の飛び出しですっかりあおられ、平地だけのレースに近い スピードで追走してしまう。それがオーバーペースと気づいた のは、5キロのチェックポイントに来てから。 自分自身も余裕がなかったし、ペースを落とそうと意識しなく ても自然とペースは落ちていった。 10キロを通過して、次の5キロは250mののぼり。さら に次の5キロで350m登る。このようにこれからぐんとのぼ りがきつくなるというのに、もはや両足の裏とお尻の筋肉がし びれ始める。本当に後32キロも走れるのだろうか??? しかしのぼりがきつくなり始めてからのち10キロほど(= 20キロ地点まで)は、15キロロードレースの後方のランナー に追いつき追い越せで走ることができるので、目標物もでき、 気分もまぎれる。 参加人数の少ないフルマラソンで、いよいよランナーがバラ けて前後に誰もいなくなるのは20キロを過ぎてから。木立の 間を通るしカーブも多いので見通しが利かず、前を行くランナー を見つけるのはなかなかだ。が、いったん前に目標物ができる と、それは意外に近い距離なのだ。一人一人をじっくりひろっ ていく。このあたりは、スロースターターで後方から追い上げ るものの特権だ。 唯一このマラソンコースで、下りのあるのは25〜35キロ の間。細かなアップダウンはあるが、全体で80mほども下る (標高差)ことになるこの区間は、御嶽パノラマラインとも重 なり、絶好の見晴らしだ。眼下はるか下のほうに川が流れてい て、自分の走っている地点があまりにも高く谷が急なので、吸 い込まれていきそうだ。 いままで登りの筋肉ばかりを使っていたので、くだりの体勢 になることが新鮮で、こうなったらもう、思いっきり飛ばすし かない。ジェットコースターのような勢いでどんどん飛ばし、 前に見えた先行ランナーには悪いけれど次々と抜いていった。 抜き去り際に「ものすごい勢いだなあ。」と声をかけられるが 「この区間だけが走れるところなので。」などと生意気を抜か してしまう。 この、25〜35キロの間をもうすこし抑えておいたら、最 後迄走りきれたかもしれない 。 そんな欲目もあるが、この区間を思いっきり飛ばすことも私に とってはこのコースの好きなところだといえる。そして最後の 36キロ以降の坂で、全く足が動かなくなってしまうのだ。 10キロ地点の42位から、ほぼ20人以上を抜き去る一方 だったが、ラスト3キロくらいで大きな掛け声とともに駆け上 がってきた男性ランナーに抜き返された。ペース配分を間違え たわたしには、ついていく力は残っていない。 最後は、自分の脚が股関節や膝関節から外れていってしまう のではないか(=アニメのなかのおんぼろ車ががたがた道を走っ ているうち、ミラーが外れ、ドアが外れ、とうとう車輪まで外 れてしまうように・・・)というくらい体中がばらばらになる 思いでフィニッシュ地点を迎えた。ただ、ラスト1キロ足らず だが、ほぼ平坦なところだけは何とか走るという気分は出たく らいか。 ちなみにわたしの足が動かなくなるのは、筋肉痛ではなく神 経痛だ。足が疲れて冷えてくると、動きがギクシャクしてしま う。おまけに今日は、ゴール地点の気温11度というのもこた えた。標高523mのスタート地点にいたころから、「なんだ か冷えているな、夏のレースとは違うな。」という予感はあっ たが、朝の8時半スタートでゴール予定が12時を廻るレース なのだから、気温も上がることはあっても下がっていくとは思 いつかなかった。自分の考える気温予想で標高差1186mを 甘く見た。念のため用意していた長袖と長タイツは、かばんの 中にしまったままだった。 手のひらもジーンとしびれてしまい、ゴール後は冷え切った 身体を少しでもはやく温めたかった。楽しみにしていた露天 風呂まであしを伸ばすなんてとんでもなかった。 マラソン選手は真冬でもランパン&ランシャツで走るという 見栄を捨てようと思う。自分は超のつく寒がりで寒さに弱いタ イプ。気温が10度を割り込むと、筋肉が冷えて固まり、神経 も伝達されていないのではないかと疑いたくなる。わたしが何 とか寒さを感じずに走ることができるのは、おおむね15度以 上だろうか。風の影響もあるだろうし、自分のベストパフォー マンスのためにも、ウェアーを考えなければならない。 それにしても、久々のフルマラソンは、大苦戦に終わった。 前回の玉造同様、秋のレースを占う重要レースと自分の中で 位置付けていただけに、この疲労感は大きい。 |
10.15 | 大阪スポーツ祭典陸上競技 |
(5000m) 18分04秒8 壮年(35歳以上)の部・大会新記録 |
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あんなに疲れて帰ってきた御岳マラソンから1週間。筋肉痛 はなかったが、フルマラソンの翌日とその次の日は、歩く気さ え起こらなかった。こんな身体のばらばら状態で、いつになっ たら走れるのだろう、再起不能?と思う一方。 3日後にいつも の仲間と練習会があるのでようやくジョグを再開。 ゆっくりペースだ。 が、走ってみると走れるものだ。完全休養していたのはわずか 2日間だったのに、まるで1ヶ月も走っていなかったかのよう に感じられた。そのあともジョグでつないで調整して、「今日 のトラック5000mは、20分くらいで上出来」 とおもって臨んだのに、全く予期せぬ自己ベスト!一緒に走っ たメンバーも天候も、すべてわたしの力となってくれた。曇り 空の涼しい目、湿度も高くなく、メンバーも少数だが豪華。 ![]() 最近のわたしの傾向として、スタートラインに立つときにほ とんど緊張していない。たしかにこんなにレース数が多ければ いちいち緊張などしていられないのだが、どんなメンバーと走 ろうと、どんなコースを走ろうと、走るのは私自身なのだから 私自身以上の走りはできない。開き直っているようにも聞こえ るが、自分の今の調子を把握して、いまの力を最大限に発揮で きるようにペースを作っていくこと。こういうことが大切なの だと思うようになってきた。「ちょっとがんばりたいな。」と 思うレースの時には気合が入る。ウォーミングアップのときに 言葉数少なくなってくる、しかし力みにはならないようだ。 人との勝ち負けなどもともと眼中にない。他者と勝負して いるのではなく、自分が好きで走っているレースなのだから、 気持ちよく走りたい。 今日もそんなレースだった。走りはじめから私は3番手。 トップを引くのはフルマラソンを2時間52分台で走る豊中 グリーンクラブの佐藤光子さん。真新しいユニフォームは身 体にぴったりしたセパレーツ型でスリムな体型によく似合っ ている。 その次に久宝寺RCの森田加奈子さん。このかたは 練習の3キロタイムトライアルでも10分ちょっとで走って しまうけた違いのスピードを持っている。そんな2人にくっ ついてトップ集団を形成している様子が場内アナウンスでも 伝えられる。こんな人たちと走れるなんて嬉しいな、とかな んとか感激しているうちにどんどん周回を重ねていく。 1000mを超えたところで集団の形が少し変わり、30 00mを超えたところで独走体勢になりかけていた加奈子さ んがコンタクトレンズのトラブルでまさかの途中棄権。彼女 とはじりじりと差が開き始め、走力の違いを感じていた矢先 のことだったが、ここからいきなりわたしが先頭になってし まう。「あと2000mも残っていないのだから・・・。」 とうまくペースにはまった自分自身を奮い立たせながら、涼 しい気候にも助けられてそのままゴール。 「もしかすると自己ベストが出るかもしれない!」と自覚 したのがラスト200mのときだったので、本当に驚いたし 嬉しかった。 40歳を目前(あと半月)にしてのトラック5000m自 己ベスト。30歳台最後だから出たのか?40歳になると出 ないのか? ここしばらく自己ベストなんて考えたこともなく、今日の ように気持ちよく走れるだけで大満足だ。すばらしいメンバー にくっついていって、自分の力以上の力が出たようだ。 |
高橋尚子効果を実感(00' 10) |
シドニー五輪が終わってちょうど1ヶ月、わたしはいつもの ように大阪城でジョグをしていた。最近、走っている人が目立 つのか、よく道行く人から話し掛けられる。今日も周回道路で 後ろから来た自転車のおっちゃんに声を掛けられた。 おっちゃん:「やあ、がんばってんなあ。どこまでいくんや〜。」 わ た し :「大阪城をぐるぐる廻っているだけです。」 おっちゃん:「家から走ってきたんか〜。」 わ た し :「もちろんです。」 おっちゃん:「何で走ってんねんや〜。」 わ た し :「走るのが好きだからです。」 おっちゃん:「そうか、好きやからか、わかりやすいな、金メ ダル取った子とおんなじやな。ほな、がんばりや〜。」 おっちゃんは非常に納得して自転車でちりりん〜と去っていっ た。これが、「高橋尚子」以前であれば、きっとこんなふうだ。 おっちゃん:「何で走ってんねんや〜。」 わ た し :「好きだからです。」 おっちゃん:「そんなもん、しんどいだけやないか、変わりもんや なあ。ええかっこして、ダイエットかなんかか?」 という具合に、絡まれた感じになることが多く、わたしだって気分 が悪い。にこにこ笑顔で金メダルゴールを果たした高橋尚子選手の おかげで、「好きだから走る」ということが市民権を得 た感がある。 高橋選手、ありがとう! |
11.3 | 全国スポーツ祭典陸上競技大会 |
(1500m) 5分05秒 (5000m)18分37秒 | |
今日の大会はあんなに楽しみにしていた、大阪長居陸上競技場の メイントラックで走る日。 ところがなんということだろう・・・、きょうの3日は祝日の金曜 日。金曜日といえば、最近始めたホームヘルパーの仕事が入ってい る日。ヘルパーの仕事に祝日は関係なかったのだ。 仕事は自宅近くで11時30分から1時まで。 内容的に、1時間半もかからないヘルプなので、うまくしたもので JR長居から往復しても、行けてしまう。時間的に無理ならば、断 わっても、と思っていたのだが・・・。 それにベット上で寝たきりのおばあちゃんが待ってくれていると思 うと、そう簡単にもキャンセルできない・・・。 陸上競技大会の楽しみは、自分の走るレースだけでなく、自分には できないような種目を見るのも大好き。スタートの号砲一発、タイ ミングよくスターティングブロックから飛び出す100mの選手た ち。とんでもない高さをふわりとクリアする走り高跳びの選手たち 力強くトラックを周回する男子長距離の選手たち。 自分のレースの合間にスタンドから声援を送るのも、わくわくして しまう。 今回は大慌ての2種目出場となってしまったが、無理をしてヘル パーの仕事をこなすことができてよかったと思う。おばあちゃんと 家族の人たちの笑顔にも出会えたからだ。 ![]() ▲2人目の黒いユニフォームがわたし。 先行は3000mの元日本記録保持者。 |
11. 5 | 吉野川ハーフマラソン |
(ハーフ) 1時間24分20秒(吉野川での自己ベスト) | |
天候もよく、スタート前から汗ばむほどのコンディションは大い に私向き。 きょうの吉野川は、寒がりのわたしにとってはちょうどそんな日 だった。1週間前の長距離走の疲れが残っているのか、走り始め直 後からの脈拍は170を超え、180に近い。予定では170前後 で走るつもりだったのだが、ここでがんばらなければ、という気持 ちのほうが強く、特に後半の5キロは男子選手に引っ張ってもらう 形で走った。 最初から1キロを4分で、どこまでいけるかが課題だったが、ほぼ イーブンペースで、吉野川での自己ベストとなり、自分でも驚くく らいの出来だった。となると、2週間後のフルマラソンは・・・? 30キロ以降、脚がどこまでもつか自分では全く判断できず、神経 痛が出て全く動かなくなってしまうこともありえるし、そうなった ときの残りの距離に対する恐怖感といったら・・・。ペース設定に 迷うところである。 しかし、この吉野川を走ったおかげで、気持ち的には落ち着いてフ ルマラソンを向かえることが出来るようだ。神経痛が残ってはいる ものの、よくここまでこれたなあ、という感じ。 昨年の今ごろの落ち込みようといったら、ほんとうに気分が晴れな かった。この段階で、苦しんではいたけれど、ひとまず1時間24 分台で走ることができて、「今のわたしの力ではこれが精一杯。」と 肩の力を抜いている。 けっして、楽なレースではなかったのに、気分は上々で・・・ これから先、東京国際女子まで、<大きなミス>がなければ、スター トラインにたつことができる・・・。 |
11.11 | 大阪市民マラソン |
(5km) 18分48秒 | |
気分転換に長居での短いレースを走る。風は冷たいが、日差しはほ のかに暖かい。 きょうもまた所用のため、大急ぎで帰宅せねばならず、 14時30分出走の5キロをできるだけ速く走って、15時前にはJR の長居駅に到着。運悪くちょうど電車が行ってしまったところで待ち 時間10分。クールダウンをしていなかったので、「長居駅は長いな あ。」などととぼけたことをつぶやきながら、駅のホームの上をぐる ぐる周回してしまう。ホームの端から端までジョグして折り返すと、 1分以上かかるので、ちょうどいいダウンになだろうか。 用事がなければ通常、周回コースを廻ってあとからスタートしてい る10キロレースの皆さんの応援をするのだが・・・。 どうも、最近何かとあわただしい。 |
11.12 | 大阪リバーサイドマラソン |
(10km) 40分00秒 | |
この大会には、立命館大学陸上部OB大阪部会の有志の皆さん方が 例年ファミリー&会社ぐるみで参加される。淀川ランナーズのメン バーの山本敏さんが立命館陸上部の出身で、少しの間だけだったが 陸上部のマネージャーとして席を置いていたわたしを、陸上部OB大 阪部会の皆さんに引き会わせてくださった。 ほんの半年足らずだったが、1回生のころに陸上部に入部していたわ たしを覚えてくださっていて、「いま、すごくがんばっているね。」と いってくださる。当時女子部員が1人だけだったこともあって、いろ いろ親切にしていただいたのに、自分の居場所を見つけられずに退部 してしまった。もう、二度とお目にかかる機会もないだろうと思って いた陸上部の先輩方に、再びアスリートとして出会うことが出来て本 当に嬉しく思う。 レースでは全く予定通り40分で走る。最後の1キロを3分43秒 で仕上げることが出来たので、上出来。 一緒に参加したメンバーも、50歳代女子5キロで初優勝を果たす。 「女50歳になって、嬉々として喜んでいられるのもランニングの おかげ。」と、ほんとうに嬉しそうだった。 ランニングにはかけがえのない出会いと楽しみが多い。 |
11.19 | 東京国際女子マラソン |
(フル) 2時間56分40秒(45位) | |
長引く故障を抱えながら、まる1シーズン公認レースに出ていな いわたしは、この秋のレースがまさに角番。夏から練習の新天地 を久宝寺RCに求め、より良い練習環境となり、本番では自分では 思ってもみなかった頑張りができたようだ。 秋の入り口からのレースで、思わぬところで優勝したり、トラック レースで自己ベストが出たりして、自分の思うところとは別のところ で、走友からは「いよいよ復活だね。」と声をかけてもらっていた。 けれども、体調万全だったころに比べると、走った後に必ず残る 下肢の鈍い痛みは、どうしても心の中のブレーキになってしまう。 「こんなに走って、また、脚が壊れてしまったら、突然に全く走れ なくなるに違いない・・・。」 そんなふうに長い距離を走るとどうしても神経痛が出てしまうので、 圧倒的に長い距離の走り込みが不足しているのは承知の上、10月に 山岳のフルマラソンと50キロ走を各1回ずつ走っただけで、今回の東 京を迎えた。ただ、久宝寺の練習会に参加するようになってから気力 的に充実してきていたので、心おだやかに落ち着いて東京のレースに 臨むことができただろうか。 前日受付で国立競技場へ行ったとき、大きなトラックのホームスト レートに立ってみて、「ああ、ここに戻ってこれたんだ。」(98年初出 場、昨年故障で欠場して、やっと2回目)と、とても嬉しかった。翌日 のレースが楽しみで、スタートラインに早く立ちたい一心だった。 そのときはただ、気分よく完走したいと思っていたのだ。 ところが、宿(今年は奮発して赤プリ)に戻って、配布されたナン バーカードをユニフォ―ムにつけるとき、今回のわたしのナンバー カードは80番。東京女子では持ちタイムの速い順に一般選手には51 番から割り振っていくので、二桁ゼッケンというのは当然2時間台で 走る選手ということになる。しかもある程度余裕を持っての2時間 台でないと、二桁から外れてしまう。このとき急に欲が出てきて、 「なんとか来年も2桁ゼッケンをもらいたい!」と思うようになった。 直前1週間、かなり脚が重かったのが気がかりだったが、レースでは 設定したペースで押していこう、と強く思った。 レース当日は、この冬一番の寒波が下りてきているとかで、かなり 風が冷たく感じた。正午の日差しは強かったので散々迷ったあげく、 寒がりのわたしは、長袖&長タイツで出走。近くの人に「どうしたの、 小川さん?」なんて尋ねられたが、「筋肉の状態が悪いので。」とだけ答 えておく。 ウオーミングアップ直前に突然国立競技場に姿を見せてくださった 久宝寺RC伊藤コーチの存在によって、より設定ペースを遵守 しようと気合が入った。伊藤コーチのアドバイスが、その姿ともにカ リスマ的にわたしの中にインプットされたのだ。東京への出発前日に もいっしょに走ってもらっていて、「いってらっしゃい〜。」と送り出 してもらったはずが、ここ、東京で、その姿を見れるとは・・・。 コーチのアドバイス通り「前半特に15kmまでは重いかもしれないが必 ず後半走れる。」と信じ設定ペースぎりぎりで走っていた。しかし、 脚はいつまでたっても重いまま・・・しかし信じるものはなんとやら ばらばらになりかけている自分の身体を何とかつなぎとめて、前を行 く選手からちぎれないよう、逆にたどり寄せていくように、前へ前へ と気持ちだけで走っていたようだ。 最大の難所といわれている35キロ以降の坂を迎えても、気分は「坂よ こい!登ってやる!」 脚はもう疲労困憊だったにもかかわらず、だ らだらとした坂を強気だけで1キロ、また1キロと進んでいった。最後 の坂、40キロポイントまでの1キロほどがもう、どうしようもない・ ・・、脚が止まったかに思えたが、実際脚が止まったのは、平坦に なった40キロ以降だった。「上り坂でもないのに走れない、これでも 走っているのか!」 自分を叱咤激励していたが、どうしても前の ランナーとの差が縮まらない、順位を上げたいわけではないのだが、 前を行くランナーというのは大きな目標になる。 40キロ以上を走ってきて最後のこの瞬間に、お互いにこんなにも一生懸命で、 それは かけがえのない数分間なのだ。それでも、最後の2キロあまりの間 になすすべもなくどんどん抜かれていったといういままでの失敗レー スとはちがって、何とか最後まで気力だけは続いただろうか、国立 競技場のトラック周回でも、自分の足で走っているんだという実感を 持つことができた。(つぶれてしまった失敗レースでは、うつろな 記憶しか残っていない・・・。) 大きな競技場の中を走ることがで きて、本当に良かったと思う。 ふりかえってみると、今現在の自分の力を出し切ったといえるレー スだった。それでこのタイムはどう評価すべきなのか自分ではよく わからなかったのですが、走友の多くから「おめでとう!」「良かった ね!」と声をかけてもらって、改めてたくさんの人に励まされ、支え てもらっている自分を感じている。 ここまで走らせていただいて、ほんとうにありがたいことだ。 走ること自体は孤独な世界なのに、ちからをもらい励ましあい刺 激しあうことの出来る仲間と出会うことができて本当に嬉しく思っ ている。 |
11.23 | 福知山マラソン応援 |
東京女子から中3日で、関西のランナーにとっては最大のイベ ントともいえる福知山マラソン。多くの人が自分の目標に向かって 走っていく様子を応援したくて、今年も沿道に立ってみた。 こんなにも多くの人たちが、1歩1歩、自分のゴールラインに向かっ て走っていく、できるだけ沢山の人たちに声をかけようと、12キロ 過ぎと、30キロ地点で待っていた。名前を知っている人にはできる だけ名前を呼んで声援したい、けれどもランナーの幅が広すぎてわた しの小さな目はパチクリ・・・、逆に走っている人から「小川さん!」 と見つけてもらうことも多かった。レース中なのに「東京女子マラソ ン、よかったね!」と声をかけてもらうことも・・・、きょうはわた しが声援するほうなのに、逆に励ましてもらったりして、本当にマ ラソン仲間ってありがたい。 実は、いつもいっしょに練習している久宝寺RCのマキバノプリマ ドンナちゃんがこのレースに大阪女子マラソンの参加資格をかけて いる。わたしの使命は30キロ地点でスペシャルドリンクを手渡す ことだ。わたしは4日前のフルマラソンの疲れが残っていて、ほう ほうのていでそこまでたどり着く。 女子マラソンの参加資格をかけている大会って、本当に緊張する ものだ。わたしも3年前吉野川ハーフで、ランナーズの小林明子さ んにずっと声をかけてもらって走りきることができた。 あのときのありがたさを思い出しながら、「真紀ちゃん、スマイルだ よ、笑って笑って!」と緊張をほぐすように声援をおくる。その真 紀ちゃんも無事、参加資格取得!いっしょに国際レースを走る仲間 が増えることは自分のことのようにうれしい。 |
11.26 | 上野シティマラソン |
(3km) 10分59秒 | |
![]() この日曜日は、ぽかぽか陽気の中、上野のマラソン大会に出かけ た。実は、前年度の優勝者ということで、招待を受けてしまった。 とりわけこの大会はお気に入りなので、気分転換に遠足だ。 ところが今年は・・・。主催者手配のバスが遅れ、ほとんどスター ト時刻にやっと会場に到着というハプニング!大阪駅を7時15分 に出発した1台のバスは、途中3箇所に立ち寄りランナーを乗せて くる。しかし運転手の地理不案内と交通渋滞が重なって、わたしの 待っていた最後の立寄駅、JR加茂駅には、1時間近くも延着。同 じ駅で待っていた参加者数名は、係員に詰め寄って「スタート時刻 を遅らせることはできないのか。」と交渉していたが、交通規制の 関係でそれはできないとのこと。私はもう、あきらめて、JR加 茂駅でバスを待っている間に着替えたり軽く走ったりストレッチ したりしていた。残りの数名のランナーもウオーミングアップを 開始していた。 結局、会場到着してバスから降りたとたんにハーフのスタート号砲 が聞こえる。大阪からこのバスで参加の村本みのるさんは、手早く 車中で着替え、バスから降りるときにはランパン&ランシャツ、そ の姿でスタートラインまで大慌てで走っていかれ、遅れてスタート したにもかかわらず、堂々の年代別優勝。さすがに大物は違う・。 わたしの参加した3キロ出発まで、あと4分。運動場の片隅で着替 え、脱いだ衣類をたたむひまもなくスタートラインに駆けつける。 (衣類を脱ぎ捨てるのはいつものことかな。)加茂駅で少しでも体 を動かしておいたおかげで何とか走る体勢になっていたが、やはり 最初からトップスピードで走り始める3キロレースは息が上がる。 後半の失速が待ち構えていた。 さてバスの遅延の件についてわたしは思うのだが・・・。大阪か ら上野へ行くのは、電車だと遠回りで電車賃もかかるのだ。よって 主催者側手配のシャトルバスがもっともらくちん。 バスは交通渋滞が予想され、確実な輸送手段ではないが、安楽なシ ャトルバスを選択した自分にも非があると思い、ただただ、レース に間に合って走れることだけを願っていた。 私の参加した3キロレースには何とか間に合ったけど、ハーフと 10キロの人たちは本当に大変だった。 JR加茂駅からバスは曲がりくねった山道を飛ばしに飛ばしたの で、酔ってしまった人もいた。 なんともいえない上野だったが・・・・私はあの大会はお気に入り のひとつだ。忍者の里伊賀上野、雰囲気もよく観光もできるし、雑 炊などのもてなしもいいし、お風呂券もくれるし、忍者屋敷の招 待券もくれる。(シャトルバスで参加する人のみだが・・・だから よけいに得した気分かな。) 今年は、名物の堅焼きせんべい早食い競争もあって、マラソンが 終わったあと子供たちに混じって参加、1分以内(53秒)でせん べいを食べて合格し、賞品をゲットした。そういえば2年前、友人 はこのマラソンに申し込んでいていけなかったのだが、あとで参加 賞を郵送してくれたそうだ。これを聞いただけでも良心的な大会だ と思う。 今回、シャトルバスの遅延という致命的な汚点を残したが、大会 後、丁寧な詫び状と参加費・バス代が返還され、その対応は迅速で よかったと思う。何とか評判を回復させるべく、がんばってほしい ものだ。そしてシャトルバスも運行を継続してほしい。 |
12.3 | 山陽女子ロードレース |
(ハーフ) 1時間22分59秒 | |
![]() 初めて参加した山陽女子ロードレース、コースは岡山市内を走る 平坦なコースで、途中ののぼりといえば、数箇所の高架橋のみ。沿 道には、人見絹枝女史や、有森裕子さん・山口衛里さんを誇りに思っ ている岡山県人が大勢繰り出して、これからのランナーに声援を送っ てくれている。レース後半のきつくなるころには岡山城や後楽園が 見られ、市街地の賑わいとともに、ランナーの気分を盛り上げてく れる。レース当日は、私が期待したとおり瀬戸内の温暖な気候で、 久しぶりにランパン&ランシャツで走ることにした。 とはいいつつ、スタート10時30分時には、雲がかかっていて、 「このまま気温が上がらないのか?」と不安にもなっていたのだが、 何せハーフエントリー42名、出走は38名だったので、気合が入っ てグリーンの淀川ランナーズのユニフォームを着た。実は、調子が 上がらないとき用に無地のランパン&ランシャツ、寒いときように 長袖&長タイツも用意していて、荷物は今まで以上にふくらんでい た。(=私の大荷物はいつものこと) 招待選手ということで、2列目からスタート、広い道幅の運動公園 内から走り始める。岡山県営の陸上競技場は数年後の国体に向けて 改修工事中なので、今年からこの変則スタート位置になっているそ うだ。 最初の5キロは、19分22秒、無理をするでもなく、流れに沿っ てスタート。10キロまでの区間タイムが19分23秒で、10キロ 通過が38分45秒。このままいってくれれば、という本人の期待も むなしく、じりじりペースは落ちて、次の15キロまでの区間タイムが 19分56秒で、15キロ通過が58分42秒。やばい、これ以上、 落とすわけにはいかない、と気合を入れなおして、最後20キロまで の区間タイムが19分54秒で、通過が1時間18分36秒。もう間 に合わないのではないか、と思いつつ、1時間22分台への一心で、 ゴールが、1時間22分59秒! 私としては、3度目の22分台だったので、うれしかった。(ベスト 1時間22分23秒at三田マスターズin98') 手もとの時計では23分に極めて近かったので、公式発表を待つ間は どきどきもの。22分台と23分では気分的に大違い。 体は相変わらずばらばらになりそうになるのをつなぎとめながら、も がいている感じ。自分には上半身のトレーニングが足りていないので はないかと思い始めた。上半身と下半身のバランスが取れていない? かも?脚筋力もそんなに強いほうではないでしょうけど、上半身はもっ と貧弱。そんなことを思った。 でも、山陽女子ロード、いい大会だった。 一流どころが海外から8選手も招待されていて、シドニーオリンピッ ク選手も4選手。併催の10キロロードには、高校生を筆頭に若手が いっぱい。私は「彼女らの母親の年代。」なんて開き直っていたせい か緊張もせず、楽しんできた。 ひとつさびしかったのは、前日の開会式&レセプション。 これらって、参加選手および関係者(監督&コーチ)ならば誰でも参 加できる。私、ほとんど知り合いがいなくって、小さくなっていた・。 すみのほうから全体を眺めていたのだが、たいへん豪華な開会式&レセ プションだった。開会式では、招待選手の紹介もあって、私までもが 壇上に上がらせていただいた。私は指定大会(=蒜山ハーフ)入賞者 枠での招待だが、国内招待選手がずらっと並んだその一列には、市川 良子選手や野口みづき選手もいて、まったく気後れしてしまった。 だって、壇上から選手席を見下ろすと、そこには市橋有里選手や小幡 佳代子選手がいて、「どう見たって、こんなアングルはありえないな あ。」という感じ。引き続いて行われるレセプションは、参加選手お よび関係者で、250名くらい?だろうか、 外国からの招待選手を中心に行われるのだが、とっても打ち解けた 雰囲気でよかった。まとまってクラブ単位で参加している高校生選 手がどれだけ楽しんでくれたか?疑問だが・・・。 大会の雰囲気といい、選手層といい、本当に今まで経験したこと のない、だけど、いい大会だと断言できる山陽女子ロードだった。 東京国際女子とあいだ2週間だが、自己ベストを狙うなら、この大 会は一押し。 (まだ、「マル秘:女子更衣室からのレポート」もあるのですが、 これは個人的に尋ねてくださった方だけにそっとお知らせします。) |
12.10 | 大阪女子30kmロードレース |
(30キロ) 2時間02分11秒 | |
脚の調子が悪く、スタートして1歩を走り出してみるまで、ペース が見えなかった。 大坂女子マラソンの予選会と位置付けられるこの大会、各選手おの おのが気合入っている。 そんな中でスタート直後は集団に飲み込まれ、もたもたしたが、やは り自分のペースで走りたい、自然と体は前に行っていた。トラック 周回中に1キロをチェックすると、4分を切っている。 このままのペースで、どこまで持つか賭けをするのもよかろう、突き 進んでいくことにした。 20キロまではほぼ、このペースだったが、後半の10キロはじり じりとペースが落ちて、このタイムに落ち着いた。レース中盤に ひとしきり降った雨も冷たく、体は冷え切っている。最後の5キロ ほどは、手もとのパルスグラフでの脈拍測定も210を超え、「これ は体に悪すぎるなあ。」〜「220−年齢」が最大心拍数とすると わたしは10歳の子供? それでも、ラストで競技場が見えかけたときに、後続ランナーに 追いつかれたが、ぐんと切り替えてラストスパートで走りきる ことができたのだけがよかった。後半の力に課題の残る内容だっ たが、今の力はこれで精一杯。大坂国際女子まであと7週間、何が できるか? 長居の周回コースでの大会ということもあって、きょうも大勢の 人に声援をもらった。 〜いつも声をかけていただいてありがとうございます。元気な うちは何とか手を上げたりして、答えようとしますが、必死の形相 ともなると、そんな余裕はありません・・・が、声援だけはしっ かり聞こえています、首を傾けてお顔を確認する余力すらなく、ち いさい目の玉だけを動かして確認&御礼を言っているつもりです。 本当にありがとうございます。 |
12.17 | 第12回三田国際マスターズマラソン |
(ハーフ) 1時間22分13秒 | |
今年はひとつ年代が上がって、40歳代の部。 わたしより少し年上の女性ランナーに、「今年は三田に行くのでよろしく お願いします。」と挨拶したところ、「小川さんとは年代が違うでしょ。」と いわれたが、「わたしも40歳になりました。」・・・歳は毎年、誰でも平等に 取っていくものです。 というわけで、昨年故障と風邪で欠場しただけに、今年は年代別では できるだけ上位を目指してがんばろうと思っていた。 が、まさか総合優勝するとは、自分でも驚いている。ただし、前年度優勝 の京谷こまえ姉さんが直前の故障で欠場。常連の俊足ランナーも今年は エントリーなしということで、チャンスはわたしに転がり込んできたというと ころ。 脚を痛めて奈良を出ることが出来なかったこまえ姉さんからは、お祝いの メールをいただいた〜「おめでとう。雨の中、よく頑張りました。あたしは故 障中。老後をのんびりやってます。疲れをしっかりとって下さい。」 今日、こまえ姉さんの走友の方に出会って、一番にたずねたことは「こまえ 姉さんは?」。ひどい状態だそうで、ゆっくり歩くのがせいぜいとのこと。あ あ、もったいない。 わたしもお礼のメールをお返しする。〜「おかげで鬼のいぬま(?)に走っ て優勝させていただきました。早くよくなってまたあのリズミカルな走り、見 せてください!」 こまえ姉さんの逆襲〜「鬼って、あ、た、し? よし、いつの日か、妖怪に なって蘇ってやる!」 大変失礼、こまえ姉さんのことを「鬼」なんて・・・、新たな妖怪伝説の誕生、 楽しみにしています。 |
12.23 | 奈良マスターズマラソン |
(約6キロ) | |
冬の合間の本当に暖かい一日だった。 昨年のこの大会も風邪で欠場しているだけに、あののどかな平城宮跡を走 ることができるだけで嬉しい。気分よく今年のレースの走り納め。お世話に なっている奈良マスターズの方々にお会いできてよかった。 |
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