2000年 1月〜6月の記録 |
1. 1 | 第47回王寺町元旦マラソン大会 |
(4.5Km) 18'37" (成年女子の部 3位 ) | |
大阪城で2000のカウントダウンイベントに参加し、素っ裸で堀に飛び込んだ 若者数名の勇姿が脳裏から離れず、寝不足気味で走った元旦マラソン。 どうしても最初からとばしてしまう為後半、下り坂でも大バテ。 |
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1. 8 | 第245回 大阪市民マラソン大会 |
(5Km) 19'47" (女子4位) | |
年末年始をスロージョグだけでつないで、再び5Kmのタイムトライアル。 スタート直後から並走していた先行ランナーにラスト800mぐらいからどん どん離されてしまい、自分の気迫の喪失にがく然とする。(3連戦の初日だし と言い訳する) |
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1. 9 | 第16回2000平城京新春マラソン大会 |
(5Km) 20'41" (女子1位) (10Km) 42'02" (女子1位) | |
今日のこの大会にはランニングを始めた当初からずっと参加している大好き な大会。今年でやっと4年連続。同じ大会に連続参加するのは結構難しい かも。で、レースの方は完全にペース走になってしまったが疲れを残さない ように徹した。 5Kmレース後、まだ走れそうだったので、欲張って10Kmも。少しづつ体調が 上向いているように思う。 |
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1.10 | 第54回吹田市駅伝大会(5区間 11Km) |
(1区 2.2Km)7 '46 "(区間2位) 40' 02"(チーム2位) | |
過去2年連続、雨に降られたが、夜半からの雨も上がり絶好の駅伝日和。 力の差がはっきり出る1区で、昨年の福知山にて堂々サブスリーを達成した 女性ランナーに引っ張られ、久々に短い距離を走りきることができた。 |
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1.16 | 第19 回三郷町マラソン大会 |
(10Km) 41'48" (女子1位) | |
当日申し込める大会で、5Kmではなく10Kmを選ぶことができるくらい 体調が上向いてきたことを喜ぶ。レースでも、好調だったころ('98ごろ)の イメージを追いかけて走ってしまってつぶれる、という昨秋ごろの走りではなく 今の自分の走力を理解してペースをつくれるようになってきた。 走り終わったあとも、故障中のような異常な筋肉の硬直もなく石階段の多い 生駒の宝山寺へお参り。 |
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1.23 | 第24回兵庫市川マラソン全国大会 |
(10Km) 42'11" (女子1位) | |
冷たい雨の降り続く中、ビニールかっぱを着込んで出走。まだ出走しようと いう気持ちになるだけでも体調の上向きを喜ぶ。本当に神経痛がひどければ 雨の中の外出など厳禁だ。 |
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1.30 | 大阪国際女子マラソン |
欠場 |
2.11 | 第34回奈良市民マラソン(5km) |
19分32秒(年代別1位) | |
鴻池陸上競技場発着だが、ならやま大通りに出ると大きな上り下りとなる コース。女子だけでスタートするのでこぢんまりと走りやすい。いかにも 体重の軽そうな高校生たちが飛び出し、市民ランナーが後に続く。 スピードの出ない自分の体を前に運ぶのは大変な労力…。例年ならば 午後から行われる斑鳩の里法隆寺マラソンにWブッキングしているのだが 今年は応援に向かうため奈良県内をバスで移動(45分ほどかかって、 料金は合計1000円近く払った・・ ちょっと高くてびっくり)。 1日2大会はしごの去年までの体力はどこへやら、天候にも恵まれた のどかな法隆寺周辺を応援ジョグしているだけでもへとへと。走友たちも 次々と入賞を果たしトン汁もよばれて満腹。JR王寺駅までの道すがら 畑作業のおばあちゃんから大根と白菜までいただいて、えっちら おっちら歩いて帰りました(約50分の道のり)。 ![]() |
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2.13 | 第52回大阪市長杯駅伝(第5区 3.295Km) |
12分34秒(区間3位) (全5区間 19.3Km) 1時間17分06秒(淀川ランナーズ3位) | |
いつもながら長居での大会は、なぜか緊張してしまう。ランナーがたくさんいて みんな反時計周りの同一方向に走っているので、いかにも練習していますと 言った感じ。私のホームグラウンドとしている大阪城では、周回コースにしても 自由に設定して気ままに走ることができるので、のんびりものの私向き。 そんな私は、過去2回のこの大会では第1区を走らせてもらって、そのままいち 早く着替えて午後から仕事に向かってしまい、チームの行く末も見届けることが できず、わがまま第1走者だった。今年は仕事を整理したため、アンカーまで 応援できたし、その後の新年会にも参加できた。大勢のメンバーが集まっていて また、新会員の人たちをたくさん迎えることができて最高。 自分の仕事の整理によって、どんどんランニングに傾いていく気がする。(もう 充分にはまっていると言う説もある) |
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2. 20 | 第50回大阪府市町村対抗駅伝 |
(第1区 4.3Km) 16分27秒(区間3位) (全4区間
14.2Km) 54分56秒 (東大阪チーム2位) |
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例年泉州国際マラソンと日程が重なり、東大阪チームの監督さんは選手集めに 苦労なさっている様子。私や妹の西岡貴子(東大阪市在勤)にまでお声が かかり、私たち姉妹にとっては同じチームで走れるというありがたい駅伝。 第1走者として出走させてもらったが、今の私には、区間3位でつなぐのが 精一杯。それでもほかのメンバーの力走のおかげで、東大阪女子チームと しては過去最高の2位入賞。ありがとうございました。 |
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2.27 | ××ハーフマラソン |
1時間27分53秒 | |
久しぶり(4ヶ月ぶり)のハーフに急遽出走を決める。 自分の体調に波があるので、ハーフ以上の距離になると大会予定を立てる のがむつかしく、ついつい短い距離のレースばかりエントリーしてしまっていた。 (練習予定すらたたない状況…)普段はジョグだけでつないでいるので、 どこまで走ることができるか不安でいっぱいだった。まわりの速いペースに つられて流れに乗って15キロあたりまではごまかせたがあとは体中が骨格的に ばらばらになっていくかんじで、ぎくしゃくした動きになって失速。 翌日、さらにその次の日まで骨の髄まで痛みがあった。(これが神経痛という らしい…いろんな人に聞いてみると、みんなそれぞれ故障や痛いところを かかえているようだ。故障のないランナーのほうがまれだと言うこともわかって きた。) |
3.6 有森裕子シンポジウム「あなたもなれる心の金メダリスト」 |
―スポーツNGO Hearts of Gold より |
カンボジアのマラソン大会に招待されたことから始まった有森裕子さんのカンボジアとの 関わり。当初は受け身だったのが、カンボジアの現状を目の当たりにして、何か自分に できることを、と発足させたのがこの「スポーツNGO Hearts of Gold」だったそうです。 今日のシンポジウムでは、君原健二さんの競技人生のお話や高石ともやさんの歌もあっ て、あっという間の2時間あまりでした。 高石ともやさんからは、心を込めて拍手することの大切さを実技とともに教わり、盲人ラン ナーでアトランタパラリンピック金メダリストの柳川さんは、「ボランティアもチャリティもラン ニングも自分のできるところから始めることが大事」と締めくくって下さいました。 また、スポーツ用品メーカーのアシックスは、「1足1ドル運動」として、1足のシューズの 売上げの中から1ドル分を集めて 「Hearts of Gold」に寄付されていますが、このような 運動を大々的に宣伝することのほうが経費がかかるそうです。けれどもあえて協賛メー カーとして名乗りをあげて「スポーツNGO Hearts of Gold」を世間にお知らせすることの 重要性を認識されているようです。わたしもアシックスのシューズを買っていたので、気づ かないうちに、微力ながらもカンボジアの役に立っていたのだと思うとうれしくなってきま した。 今日の会場でも、「Hearts of Gold」のTシャツや帽子が販売されていました。シンポジ ウムが始まる前は無関心でしたが、お話を聞いたり歌を歌ったりしてうんといい気分に なってシンポジウムが終わった後には、思わず黄色のTシャツを買ってしまいました。 このような素敵な体験ができたのもランニングに出会ったおかげだと思うと、ちょっとぐらい 故障があって思うように走れなくっても、じゅうぶん自分は健康でありがたいなあ、これから も長い人生走り続けたいなあ、とまたまた単純に元気になってしまうのでした。 |
3.5 | 第16回明日香ひなまつりマラソン |
(5Km) 18分25秒(女子1位) | |
明日香村の石舞台周辺の名所旧跡がコース上に散らばっていると言うことで、その 景色をとても楽しみにしていた大会。ひなまつり(桃の節句(桃(ピンクのランニング ウエアーで出走。先週のハーフのおかげで5キロが楽に感じて快走できた。 (距離は5キロより少し短いらしい)それにしてもハーフはすごいアップダウンの コース。 クラブ・シャンゼリゼ(東大阪在住の女性ランナーの会)の友達が走っていたので コースを逆走して応援にまわったが、あのタフなコースに挑むには、私には10年 早い。 元旦マラソンの王寺町といい、三郷町といい、法隆寺周辺といい、奈良の大会は 相当なアップダウンを覚悟しなくてはならないようだ。(大好きな平城宮跡は平坦 <--私って軟弱ランナー) |
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3.12 | 第1回高槻クロスカントリー大会 |
(5Km) 20分29秒(女子2位)(3Km) 11分52秒(女子1位) | |
JR摂津富田駅からバスに乗って北へ約20分。摂津峡の山の中で行われたクロス カントリーレースは、全面舗装道路ながらも大変タフなコース。周回コースの前半 3/2は上り、後半3/1が下り。特に下りは斜面を利用したつづら折の急カーブと なっていて、スピードにのるどころか減速しながら急コーナーを曲がるのが精一杯。 このような周回コースを使って3キロレースは1周、5キロは2周、7キロは3周する。 私はスピード練習を兼ねて、3キロと5キロの2種目にエントリーしていたが、上には 上がいるもので、3種目ともエントリーしていて、すべて入賞を果たした男性ラン ナーもいた (かの有名な今長浩一さんでした)。 5キロ女子では、大阪体育大学の学生が多くエントリーしていて、もちろん上位入賞 多数。10位まで表彰対象だったが、いざ表彰式に臨んでみると地元の高校生も 活躍していて、ほとんどが10才代から20才代前半の若手学生だった。私のような おばさんランナーがいなくてすこし恥ずかしかった。 会場は、近年竣工の運動公園内のサッカー場を利用しているので、きれいな観戦 スタンドをはじめ、暖房やシャワー付きの更衣室も利用でき、快適だった。 ただし雨が降った場合の隠れ場所がなく、困りものだろう。 |
大阪国際・京都木津川−−2つの観戦記
女子マラソンが終わって数日後、いつものように大阪城に向かって
jogしていると、森ノ宮あたりで見知らぬおっちゃんにからまれた
おっちゃんは私に向かって叫んでいる−"国際マラソン、出たんかー!
出たんかっちゅーとるんじゃー。" よりによって私なんかに尋ねて
ほしくなかった。走れる状態ならば、出走しているからだ。
故障が治りきらず、思い切った練習もできないでぐずぐずしている
私は1月下旬の大阪国際マラソン。2月上旬の京都木津川マラソンと
2つのフルマラソン大会を沿道で声援していた。
女子マラソンの日は、地下鉄の1日乗車券まで買って、あちこちで
とび廻っての応援ツアーに初参加。沿道を走り、地下鉄の乗り換えで
も走り、小雨降る中、もちろんカサもささずに、くたくたのずぶ濡れ
今まで沿道からエールを送ってくれた人たちに本当に頭が下がりまし
た。
しかし、冷たい雨の中、それぞれの思いで果敢にスタートを切り、
一途に走り抜く姿には、多くの人の心を揺さぶるものがある。オリン
ピックランナーの勇姿を間近にして、目のまわりがうるんできたりも
した。エリートランナーだけではない、普段気さくに話しかけてくれ
る幾人もの市民ランナーが、そして我が妹が、力強い走りで目の前を
通過していく。(しかし自分はスタートラインにすら立つことができ
ない状態。。。。)名前を知っている人には、できるだけ大声で声を
かけ続けた。
そして1週間後の京都木津川マラソン。この日こそどしゃ降りの冷
たい雨だった。寒い冬の日に屋外でシャワーを浴びる人などいない。
けれどもあの雨の中、フルマラソンに挑もうとする人のなんと大勢の
ことか。一見、普通にみえる人たちが、自分の強い意志でフルマラソ
ンを走り抜く。沿道の私は声援をおくることしかできない。
ナイター照明がともるまで雨は一度も小降りにならず、最終ランナー
を迎えたとき、6時間59分になっていた。何故こんなに走り続ける
ことができるのだろう。私は彼の姿に茫然となり、次には自分の首に
巻いていたタオルマフラーを思わず彼の首にかけてあげてしまった。
(彼の迷惑も考えず、使い古しのものなんかで本当に申し訳ない)
そしてフルマラソンに挑むことすら出来ずにいる自分が情けなくて、
本来の持ち場(ボランティアでゴミひろいをやっていた)にそそくさ
と戻って、うつむいてせっせとゴミを集めた。
私は自分自身が走っている状態がとても好きだ。家の近所(ゴチャ
ゴチャした庶民の町)を自転車をよけながら走っていても、街の景色
が流れていくのを感じて、ちょっぴり風になった気分。手や足をサッ
サッと動かすと、街ゆく人たちが後ろに流れていくのは、なんだか不
思議。
しかし、これが42.195Kmとなると、今まで何度か走ったこ
とのある距離なのに、とてつもなく恐ろしい距離に思えてしまう。
自分の故障の根源が神経痛であろうことが判ってきて、半ば持て余
し気味ですらいる。こんな状態ではいつになったら元気に走れるのか
いや、おそらくは完治できないであろうと覚悟を決めても、走ること
だけはあきらめずにいたいので、これからもよろしくお願いします。
女子マラソンが終わって数日後、いつものように大阪城に向かって
jogしていると、森ノ宮あたりで見知らぬおっちゃんにからまれた
おっちゃんは私に向かって叫んでいる−"国際マラソン、出たんかー!
出たんかっちゅーとるんじゃー。" よりによって私なんかに尋ねて
ほしくなかった。走れる状態ならば、出走しているからだ。
故障が治りきらず、思い切った練習もできないでぐずぐずしている
私は1月下旬の大阪国際マラソン。2月上旬の京都木津川マラソンと
2つのフルマラソン大会を沿道で声援していた。
女子マラソンの日は、地下鉄の1日乗車券まで買って、あちこちで
とび廻っての応援ツアーに初参加。沿道を走り、地下鉄の乗り換えで
も走り、小雨降る中、もちろんカサもささずに、くたくたのずぶ濡れ
今まで沿道からエールを送ってくれた人たちに本当に頭が下がりまし
た。
しかし、冷たい雨の中、それぞれの思いで果敢にスタートを切り、
一途に走り抜く姿には、多くの人の心を揺さぶるものがある。オリン
ピックランナーの勇姿を間近にして、目のまわりがうるんできたりも
した。エリートランナーだけではない、普段気さくに話しかけてくれ
る幾人もの市民ランナーが、そして我が妹が、力強い走りで目の前を
通過していく。(しかし自分はスタートラインにすら立つことができ
ない状態。。。。)名前を知っている人には、できるだけ大声で声を
かけ続けた。
そして1週間後の京都木津川マラソン。この日こそどしゃ降りの冷
たい雨だった。寒い冬の日に屋外でシャワーを浴びる人などいない。
けれどもあの雨の中、フルマラソンに挑もうとする人のなんと大勢の
ことか。一見、普通にみえる人たちが、自分の強い意志でフルマラソ
ンを走り抜く。沿道の私は声援をおくることしかできない。
ナイター照明がともるまで雨は一度も小降りにならず、最終ランナー
を迎えたとき、6時間59分になっていた。何故こんなに走り続ける
ことができるのだろう。私は彼の姿に茫然となり、次には自分の首に
巻いていたタオルマフラーを思わず彼の首にかけてあげてしまった。
(彼の迷惑も考えず、使い古しのものなんかで本当に申し訳ない)
そしてフルマラソンに挑むことすら出来ずにいる自分が情けなくて、
本来の持ち場(ボランティアでゴミひろいをやっていた)にそそくさ
と戻って、うつむいてせっせとゴミを集めた。
私は自分自身が走っている状態がとても好きだ。家の近所(ゴチャ
ゴチャした庶民の町)を自転車をよけながら走っていても、街の景色
が流れていくのを感じて、ちょっぴり風になった気分。手や足をサッ
サッと動かすと、街ゆく人たちが後ろに流れていくのは、なんだか不
思議。
しかし、これが42.195Kmとなると、今まで何度か走ったこ
とのある距離なのに、とてつもなく恐ろしい距離に思えてしまう。
自分の故障の根源が神経痛であろうことが判ってきて、半ば持て余
し気味ですらいる。こんな状態ではいつになったら元気に走れるのか
いや、おそらくは完治できないであろうと覚悟を決めても、走ること
だけはあきらめずにいたいので、これからもよろしくお願いします。
3. 19 | 第16回摂津淀川月例マラソン大会(10Km) |
39分50秒 | |
1年ぶり以上で摂津淀川月例記録会に参加。今日はいつもの淀川 べりの風もなく走りやすかった。 コースは、スタート地点から2.5Km下流に走って折り返し、再び スタート地点を通過して(ここで5Km)、こんどは2.5Km上流 に走って折り返し戻ってきて10Kmという、まったく平坦なコー ス。スタート地点から1Kmのところに距離表示もあるので、ペー スはつかみやすい。 ハーフランナーは、最初に1.0975Kmの調整コースを走ってから、 この10Kmのコースを2往復する。ハーフの部は9時15分スタート 10Kの部は10時05分スタート。このスタート時刻はうまく考えたも ので、1時間30分で走るハーフランナーと、40分で走る10Kのラン ナーが、同時にゴールすることになる。つまり後からスタートする 10Kのランナーは、前を行くハーフランナーを大きな目標にすること ができるのだ。 今日の私も、いつも一緒に練習している仲間がハーフを走っていた ので、何とか彼にプレッシャーを与えてやろうと張り切ってスタート したが、とんでもない大差で逃げ切られてしまった。(こんなとき、 ‘生意気言うのは10年早い’と、あとでボロカスに言われる) 種目が違ってもこのような形で楽しめるので、やっぱりこの摂津淀川 の大会は大好きな大会。 7・8月を除く毎月第3日曜に必ず開催されるので、時によっては参加 者が少なくぽつりポツリとばらけて走らなくてはならないときもある そしてそんな時ほど強風に吹かれたり、と 悪条件が重なったりするが、毎月このコースでハーフを走っていると 力がつくと思う。(とはいいつつ精神的に弱い私は、まだ1回しかこ のコースでハーフを走ったことがない) |
3.20 長谷寺から額井岳・針方面マラニック(総勢12名) |
故障のため、長距離走がまったくできなかったので、マラニックに 出かけるのも久しぶり。 今日の行程は、22〜23キロ、額井岳も標高が800メートルほどなので 私でもみんなに迷惑をかけずになんとかなるか、と考えて出かけて いった。いつもながら下見をしてくれたり、地図を用意してくれたり する世話人の人には頭が下がる。 さて、集合場所の近鉄長谷寺駅には数組のハイカーのグループ。 偶然に、京都木津川マラソンの実行委員長の人にも出会って、ランナー のいでたちの私たちに話し掛けてこられた。なんでも、木津川から嵐山 を往復するコースで100キロマラソンを計画しておられるらしい。 近くでウルトラ100キロのレースはないので、ぜひ実現してほしいもの だ。 今日のコースは、額井岳への急な上り約30分と、倒木が道をふさいで 道無き道になっている下りがいちばんの難所。それ以外はゆるやかな 上りと下りの繰り返しで、のんびり走ることができる。大きな初瀬ダ ムの周辺をわざと遠回りをして景色を楽しみ、とんがり山の額井岳は 360度の大パノラマだ。 道行くハイカーの人たちには、「走っているんですか、お元気ですね え」とよく声をかけられるが、これは暗に「変わり者ですねえ」といわ れているようだ。 走っているおかげで、普通のハイカーの一日の行程よりもかなり多く の距離を稼ぐことができるのだから、気にしない、気にしない。 とはいっても、ハイカーでも上級者になるとかなりのスピードで歩き 続けることができるし、100キロウオークなる大会も各地で催されて いるらしい。そんな大会ばかりを渡り歩いているマニアに近い人たち もいて、どこの世界でもはまってしまうとはまり込んでしまうようだ。 そしてマラニックの最後の楽しみはやっぱり温泉。今日も針フィット ネスバードという新しい温泉施設での入浴?打ち上げとなった。心地 よく疲れた身体に「ビ」のつく飲み物がおいしく、帰りはほろ酔い気分 だった。 「ビのつく飲み物」とはもちろんビールのことなのだが、本日同行の 若い男の人で、まったくアルコール類を飲まない人がいて、その彼が 走り終わったときに「あー、アイスクリームが食べたい!」と叫んで いた。 そのとなりで私が「あー、ビールが飲みたい!」と叫ぶのは、 あまりにもおばさんの酒飲みのようではばかられたので、少し恥じら いを見せて「私はビのつく物がいいな」とちょっとかわいらしく(?) 言ってみた。 すると彼は、「うぅぅん・・・」と考えた末に「枇杷(ビワ)?」 などと言っていた。 その後、食堂でビールを注文しようとしたときに 大ジョッキにするか中ジョッキに押さえておくかさんざん迷ったが、 「枇杷(ビワ)?」の彼が隣にいたので中ジョッキにしておいた。 その彼は、アイスクリームを2個食べていた。 |
3.26 | 第2回池田猪名川マラソン大会 |
(5Km)19分28秒 (10Km) 39分35秒 | |
今回のマラソン大会は、池田スポーツフェスティバルとして2日間 にわたって行われたイベントの中の一つ。 前日には谷川真理さんの講演会も行われて、日清食品の実井選手や ジュリアス・ギタヒ選手も登場して、全国から選抜招待の小学生の 駅伝チームと交流していた。 谷川さんは、「走るのが嫌になったときはどうするんですか?」と いう小学生の質問に、「本当に苦しくてしんどいのは、最後の数分間 だけで、それは1日24時間の中のほんのわずかな時間なのだと自分に 言い聞かせてがんばる」と答えておられた。 私が以前、谷川さんの記事を読んだときにも、「自己ベストを狙える のは今しかない、と思ってがんばった時期もある」と書かれていて、 私までもがその気になって張り切っていたこともあった。(自己ベス トを連発していた98年のころ) レース当日は、陽射しこそ強くなっていたものの、寒の戻りと強風 で吹き飛ばされそうないきおい。ウイークディはジョグだけでつない でいるので、スピード練習のつもりでまず5K。 前日に大阪市内から池田まで走っていったりしているので(谷川真理 さんの講演会に参加)、どうも足が重い。 そう言えば私の友達の一人は、京都シティハーフの前日受付に、大阪 から京都まで延々走っていって、次の日のハーフマラソンで自己ベス トを出した人がいる。 私もその彼女にあやかってか、今日の5Kの記録は今シーズンのシー ズンベスト。30分ほどのインターバルで出走した10Kも同じくシー ズンベスト。5Kだけ走った1本目と、2本目の10Kでの5K通過 のタイムがほとんど変わらないのも不思議。スピードがないという ことだろう。 レース後は、お土産引き換え券をもらっていたので、皆さんぞろ ぞろと引き換え指定場所の日清食品インスタントラーメン発明記念 館に向かう。百福さんという有り難い名前のインスタントラーメン ならびにカップヌードルの発明者の銅像を拝見したり、ラーメンの 歴史展示を見たりして、これが結構面白かった。お土産にもらった チキンラーメンをすぐに食べたくなるのは、いかにも私らしい。 チキンラーメンは油で揚げてあるし塩分も多いので、食べ過ぎると、 体にはあまりよくないと思われるけれど、日清食品の実井選手や ギタヒ選手は食べているのかなあ。 |
4. 9 | 第5回桃山町桃源郷マラソン大会(20Km) |
1時間23分27秒 | |
あたり一面ピンク色の桃の花と黄色の菜の花のコントラストが とてもきれいなこの時期の桃山町。桜も満開で2種類のお花見を楽し みに、中本倶楽部の仲間たちとピクニック気分で出かけた。今年は 3月が少し寒かったので、桃の花は5分咲きといったところ。桃色の 発色は少し薄め。 20キロレースでは、天気に恵まれたおかげで汗ばむくらいだったが、 さわやかな風と私の好きなピンクだらけの景観に救われて無事完走する ことができた。コースはまさに桃畑の中、前半は平坦だが、10キロ手前 から上り勾配になり13.2キロの折り返しの後はおおむね下りで、最後 の3キロほどがまた平坦。 走りがいのあるコースといえばコースだろうし、登りがまったくだめで 下りなら得意の私にとって、後半の肉体的ダメージを「私の好きな下り 坂だ、下りなら何とか走ってやろう」と自分で自分に言い聞かせて走る ことができる。 参加者もそう多くないので混乱なくレースはスタート。桃山町の桃色 に合わせて今日もピンクのランニングウェアーで出走する。周りの様子 を見ながら走り始めたものの、平常の練習内容がなんと言っても乏しい (5〜10キロのジョグだけ)ので、今日の20キロレース、いつつぶれ るか自分でも自分のペースがつかめない。 街中から桃の木に囲まれた路地をとおったり、あちこちで青空宴会の輪 ができている紀ノ川の土手沿いを走ったり、と10キロまでがなかなか遠 く感じてしまった。その後もだんだん上っているコースで、いつも一緒 に走っている同じチームの男性ランナーには離されていくし、からだも えらくなってきて頭もぼーっとしてしまって集中力を欠いていたが、後 ろからものすごい勢いで女性ランナーに追い上げられ、はっと我に返っ た。いったんは並ばれたものの折り返しまで後わずかのところ、折り返 せば下りということがわかっていたので、気合を入れてスパート、あと はかなりがんばって走ることができた。 レースの後は、おにぎりとうどんのサービス、さらに入浴券までつい ていてお風呂までシャトルバスで送ってくれるという大変親切な大会。 私たち一行はその後紀ノ川沿いに場所を移し、持参した食材とカセット コンロでお好み焼きパーティー。ちょうど今日が誕生日の仲間がいたの で、ケーキとろうそく・クラッカーまで飛び出して“ハッピーバース デイ”の大合唱。 暖かくなってきたこれからはまさに青空宴会の季節。ランニング大会 の楽しみが倍増というものだ。 |
4.16 | 第14回武庫川駅伝 |
(第3区 3Km)11分31秒 (全6区間 26Km 1時間39分58秒(チーム2位) |
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大阪快走クラブのクラブ行事になっている武庫川駅伝。参加チームは ちょっと少なくて全20チーム、日和も場所もよく、それぞれのチームが 終了後は河川敷で打ち上げ会をやっていた。 快走クラブからも計3チーム参加し、終了後は河川敷で交流会となった 私にとって、年1回の快走クラブのユニフォームを着て走ることので きるチャンスの日。 無理を言って友人からユニフォームを借りることができて、水曜練習会 でお世話になっている快走の皆さんに感謝の意をこめて、みんなとお揃 いで走って、なんだかとても嬉しかった。 大切なユニフォームを貸してくれ美香ちゃん、ほんとうにありがとう。 |
4.23 | 全日本マスターズサブイベント5キロロードレース |
(5Km) 19分45秒 | |
この5Kmレースはサブイベント(主催者から送られてきた大会要項に も、「サブイベント」と記載されている。 ということは、24時間リレ ーマラソンのときのサブイベントの「靴飛ばし大会」とおなじ??? でも、一生懸命はしりました。) レースでは、コースが、行きは緩やかなのぼり+折り返して帰りは 下り、というのを甘く見て、「後半は自分の好きな下りなのだから、 行きののぼりをがんばっておこう」と作戦を立てたのが大きな間違い。 前半が明らかにオーバーペースとなってしまい、折り返して下りに なったはずなのに脚がまったく前に出ないという状態に。 ゴール地点のある競技場に入る手前のほんの短い芝生ののぼりで完全 に足が止まってしまい、最後のトラック半周ほどが歩きのような脚運 びに。 5キロレースでのペース配分の大切さを感じました。 といいつつも、メイン競技の都道府県対抗マスターズ駅伝・エルダー マスターズ駅伝の応援がきょうの大目的。 さすがに、全国都道府県対抗、と銘打っているだけあって、北は北海道 南は沖縄と各県からマスターズ選りすぐりの代表選手たちが走る駅伝大 会は迫力がありました。 マスターズの部6区(4キロ・女子40歳以上)でぶっちぎり区間賞を とった楠谷さゆりさん、すらりと伸びた長身で、ものすごく速かったで す。 エルダーマスターズの部1区(4キロ・女子50歳以上)で、後続に 300メートル以上の差をつけてたすきを渡した奈良の京谷こまえ姉さ ん、故障を隠し持っていたとは思えないほどほんとうにパワフルでリズ ミカル、我が奈良チームの女王様です。(いやいや、全国的にも女王様で すね。) |
4.29 | 奈良街道マラニック |
大阪市中央区の難波宮跡から、奈良市の東大寺まで、35キロの行程。 当初は2DAYトライウォーク・イベントのウォーカーに混じって、終始歩いて 平城宮跡を目指すつもりだった。なぜなら、距離的に走れるかどうか不安 だった。 けれども、同行者(大阪快走クラブ・森哲夫さん)の提案で、同じ道(奈良街 道)をマラニックで行くことにした。 公共の道だもの、走って行こうが歩いていこうが各自のペースで自由に楽し めるはず。 天気にも恵まれ、午前7時45分に難波宮跡をスタートし、新深江(昔のすげ 傘売りの町)〜東大阪産業道路〜枚岡公園〜暗峠〜南生駒〜平城宮跡(午 後1時ごろ)〜奈良公園(午後1時40分ごろ)と順調にたどることができた。 ウォーク・イベントのひとたちのために、随所に若草色の旗印が立ててあって 私たちはそのチェックポイントを先回りする形となったので、道を間違える心配 も無かった。 やはり、歩いていくのと、ゆっくりながらも走っていくのでは、所要時間が倍ほ ども違う。 私たちが午後1時前に平城宮跡に到着したときには、まだ、ウォーク・イベ ントの人たちのためのゴールテントが、組み立ての真っ最中だった。 平城宮跡朱雀門の下で、真っ赤なプチトマトを食べて、小休止。まだ少し、体 力に余裕があったようなので、この先、鹿のいる奈良公園まで、後5キロを がんばることにした。 連休初日の奈良公園は大勢の人でにぎわっている。まさか、ここにいる人 たちの中で、自分の脚で大阪〜奈良まで走ってきた人はいないだろうな、 なんて思いながらその芝生の上で食べたお弁当は最高においしかった。(ほん とうは芝生の上は鹿の丸まるうんちがいっぱい転がっているので、芝生広場の ベンチに座って食べた。) とは言いつつ、私の友人たちは、100キロマラソンの練習に、大阪・奈良間を 一気に往復しているようだ。そんな人たちのことを思うと、まだまだ私は力が 無いようだ。 人の持って生まれた体力はそれぞれ異なるけれど、私も工夫次第では、もう 少し走ることができるように思う。 |
4.30 | 淀川LSD練習会 |
GW恒例の淀川ランナーズの練習会。メンバーやその友人など20名以上が参加。 コースは、豊里大橋をスタートし、枚方大橋又は寝屋川大橋で折り返し、桜ノ宮公園 までの約30キロ。ゴール地点近くには薬師の湯という天然温泉が待っているし、 荷物はランナーズの役員さんが車で運んでくださるので、身軽な格好で走ることが できる。 快晴に恵まれた淀川河川敷にはたくさんの人たち。一人で走っている人もいるし、 グループになっている人もいる。もちろん球技に昂じている人たちもいて、それらの 野球やサッカーのボールを避けなくてはならないので、一段高いところの堤防の上を 気持ちよく走る。 数日前の朝日新聞の「現役人生」欄に登場していた、村本みのるさんも、いつもの ようにさっそうと堤防を走っていらっしゃった。 そういえば、2DAYトライウォーク・イベントのウオーカーの人たちは、きょうは難波宮 から淀城跡をめざしているはず。途中ですれ違うのを楽しみにしていたら、案の定、 昨日と同じ若草色の旗印を掲げて、歩いている人たちがぞろぞろいた。2日続けて 35キロを踏破するなんて、すごい人たちだ。 わたしは、昨日の疲れから、8時30分のスタート時刻にも遅れ、距離的にもみんな よりはるか手前で折り返しているにもかかわらず、どんどん後から後から抜き去られ、 ゴールの天然温泉にたどり着いたのは、決められた時間のぎりぎりだった。 LSDの後のお楽しみは、淀川ランナーズのメンバー・中川一希シェフのいるインド 料理のレストランでのランチ。 きょうの練習会にも一希くんは、ハーフズボンにウオークマンといういでたちで出走し 枚方大橋往復のコースを誰よりも速く走って、自分のおうちに帰って、シェフに変身。 ナンとカレー料理とスパイシーチキンでわたしたちをもてなしてくれる。 すらりとスリムな体型で、走れば速いし、料理もうまいし、やさしそうだし、色は白いし いうことのない一希君でした。 |
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5. 3 | 第19回石川マラソンに挑戦する会 (20Km) |
1時間37分 | |
ゴールデンウイークを利用して、ランニング大好き旅。 まずは古都金沢の犀川沿いで行われるこの大会。 5キロからフルの距離、最長は50キロまでのコースを、早朝7時の同時スタートでめい めいのペースで走る。 あいにくと冷たい雨に降られたが、10キロの平坦な周回コース上にはランナーが縦長に 並んで走り、みんなそれぞれの目標に向かって懸命の様子。 わたしはうまくキロ5分のグループを見つけ、ペース走のつもりで力まずに走ることに 努めた。目標どおり、20キロを1時間40分以内でゴールした後は、冷えた体を温めたり 着替えたり、散歩をしたりしていると、あっという間にフルマラソンの距離を走ってきた人 たちがゴールし始めた。私がいっしょについて走っていたキロ5分のグループの人たちも 続々3時間30分ぐらいでゴール。うまくペース配分して、堂々の完走だ。 いつ、どの大会でも、フルの距離を走りきった人たちの姿には、なんともいえない感動を 覚える。 ちなみに、本日参加していた女性ランナーで、一番速く20キロ地点を通過したのは 50キロの部に参加していた女の人、続いて30キロの部に参加の女性、そして20キロだ けを走った私、という順番だった。 この、50キロの部の女性ランナーは、完走時間が3時間44分というすばらしいタイム。 どこにでも、速い人がいるものだ。(滋賀県の宇野秀美さんという方でした。) 同じ近畿圏の滋賀のかた、きっとまたどこかでお会いすることでしょう。 小柄ながらも力強い走り、楽しみにしています。 。 |
5. 4 | 三郷アップルマラソン(10Km) |
41分06秒 | |
昨日の金沢より、お昼過ぎに北陸線富山経由糸魚川回りで移動して、白馬で 一泊。 今日は長野県安曇野で行われるマラソン大会。 まだまだ北アルプス山麓のスキー場には雪があるのに、ゴールデンウイークの この時期にこの土地に行くのにスキー用具を持っていかないなんて、元スキーヤー の風上にも置けない私。スキーに熱中していた頃は、必ずゴールデンウイークにも 連休中ずっと、滑っていたものだ。 さて、大会会場では、まさか、こんなに遠く長野県では、誰にも知り合いの人には 会わないだろうと思っていたら、なんと同じ淀川ランナーズの朝日夫妻に出会う。 朝日御主人はハーフの部に参加、それを見送って、5分遅れでわたしの参加している 10キロの部がスタートした。 あたり一面の林檎園は、4月の冷え込みでまだりんごの花はちらほら咲き。きょうは 好天に恵まれて、北アルプスのふもと、安曇野の景色を眺めながら走る。けっして サボっていたわけではないのだが、楽な気分で5キロの折り返し地点にさしかかると、 なんと5分前にスタートしたハーフ部門の朝日御主人が、折り返しコーンのところで 立ち止まってわたしに声援を送ってくださっている。 「小川さん、もうじき来ると思って待っとった、がんばってー!」 こうやって、名前を呼んで応援していただくと、俄然張り切らなくては。 折り返した後には、同じ10キロの部に参加されている朝日奥様にも声援していた だき、またまた元気百倍。前半を楽に走っていたおかげで、後半、スパートすることが でき、いつもの先手必勝??後半ばてばての走りとはちょっと違った走り方ができた。 また、この大会はコースが走りやすいことから、たくさんの盲人ランナーが伴走者 とともに参加していた。福知山マラソンでおなじみの、京都の鈴木親娘もおそろいの ランニングウエアーで出走。ウオーミングアップのときにお見かけしたので、思わず 声をかけてしまう。なぜなら、鈴木親娘の福知山マラソン挑戦の記事が新聞に載って いた(97年秋ごろ・読売新聞)ことがきっかけとなって、わたしは盲人ランナーの存在 を知ったのだった。 あの新聞記事がなかったら、私自身、盲人ランナーの伴走(練習パートナー)を かってでることはなかったように思う。あの記事の後、ほどなくして、大阪城で走って いる盲人ランナーに出会い、家も近かったことから定期的に一緒に走るようになり わたしの世界も大きく広がった。(この盲人ランナーの向地憲志さんのことは、また おりを見て後述予定) この後、ゴールデンウイークの期間中、白馬に滞在し、スキーをするでもなく、大阪 よりも約1ヶ月遅れの信州の桜や5月の新緑を眺めながら、普通の生活をしたりジョグ をしたりしていた。長野オリンピックの白馬ジャンプ台にも上ってみた。 こんなに高いところから飛び降りるなんて、すごい。ランディングバーンですら、なんと 言う傾斜だ。「何を考えて飛ぶことができるだろう。」と訝る私に、普通の人(とはいって もSAJスキー学校のスキー指導員で、地元に住み、長野五輪の際の裏方を勤めた) である友人は、「何を考えて42キロも走れるんだ。」と、逆に切り返してきた。 「普通の人でも、42キロは走ることができるけれど、ラージヒルのジャンプ台から 飛び降りることはできないよお。」と、訴える私でした。 |
5.13 | 大阪グランプリ陸上観戦 | |
初めて見る長居競技場でのグランプリ陸上。 M・グリーンやM・ジョーンズたちがこの目で見れるなんて感激。 なぜなら、彼ら・彼女らのセビリア世界陸上での走りをTV中継で見ていて、ミーハー の私はなにをカン違いしたのか、トラックレース用のスパイクシューズを衝動買いして しまったのだ。 スパイクを履くだけで、世界のマリオンになれる訳が無いのだが、せめて気分だけ でもその気になりたかったのだ。 (・・・ほんとうに、なにをカン違いしているんだか・・・) おまけに今日は、弘山晴美選手や川上優子選手が走る5000mもあって、これは 見逃せない!!! その5000mでは、ほかにアン・ワムチ選手や、志水選手・藤永選手・市川良子選手 も走っていて、大変な勝負のレース。藤永が積極的に引っ張りつつ、集団内の順位は めまぐるしく入れ替わり、最後の周回までその集団で突入し、ラスト100mのスパート で見せた弘山のスピードには大感激。おしくも胸の差で2位だったが、あそこまで気 合が入るものなのだ。 弘山選手は最後(ラスト)は泣き顔になるな、という人が多いけれど、私は健気ささえ 感じるあのひたむきさが大好きだ。夫婦2人3脚で、しっかりした愛情をかもし出して いるし、だんな様の勉さん、涙もろいところもあって、そこがまたいい感じ。 ぜひ、シドニーでも力いっぱい走ってほしいものだ。 男子の5000mでも、サイモン・マイナ選手が後半独走の今季世界最高記録。しな やかに伸びた脚が気持ちいいほどによく動いて、見ている者をうっとりさせる。 そしてさらに、ハンマー投げの室伏選手。日本記録のラインを大きく超えた一投には まさに会場がどよめいた。緑の芝生に引かれたラインはほんとうに観客にとって 見やすい。電光掲示板にもすぐさま「おめでとう!日本新記録」と映し出され、会場の みんながその瞬間に酔いしれた。 テレビや新聞記事だけでは味わうことのできない感動が、まさにライブなのだ、と 実感した。 家に帰って、「今日、日本新記録、出たよ。出たよ。」と、何度も家族に伝えるのだが いまいちぴんとこない様子。まあ、仕方ないか、と納得しつつ、私はやっぱりTrack& Fieldが大好きなのだ、とかえって嬉しくなってしまったりした。 |
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5.14 | 第13回市島三塚マラソン(10Km) | |
38分51秒 | ||
きょうも五月晴れに恵まれて、絶好のマラソン日和。 大阪市内から兵庫県の市島、というのは、100キロぐらいの距離があって、電車 では結構時間がかかるのだが、マラソン仲間の好意によって、車で連れて行って もらい、自宅を出てからマラソン会場まで1時間半以内という気楽さだった。 絶好のマラソン日和は、絶好のドライブ日和でもあるわけだ。 さて、レースでは、まず5キロの部がスタート。会場に残っている人たちのために 今ランナーがどの位置を走っているのか、実況中継の放送があって、応援もしや すい。 5キロで見つけた、友人の森恵利さん(兵庫県三田市在住)、今年の大阪国際を 走った後、モートン病の手術のため、足にメスを入れたと聞いていた。そのために、 4月の富士五湖100キロを断念したはずだったのに、それが悔しくて、35キロの ダイトレでのレースを走ったという(5時間少しで、3位入賞という)。おまけに、来週 の鯖街道80キロも走るという。 私は、手術の後を心配していたのだが、それどころか、数日前に犬にかまれたところ が、化膿して痛いという。膝に大きな白ガーゼを貼り付けての出走だったが、見事 年代別2位の快走。この人の走り好きにも、つける薬が無いんだなあ、と思って しまった。 私の走った女子10キロのレースでは、大阪・和泉市の黒崎しのぶさんが見事な ぶっちぎりレース。一時、不調を伝えられていたが、やはり速い人は速い。ここまで 復活されたことに、人ごとではあるのだが、嬉しく思ってしまう。あれだけ走れた人が 一転して、走ることのできない苦しみは、きっと、私などの比ではなかったはず。 私自身の走りは、相変わらず、お気楽レース。どんどん離されていく先行のラン ナーを、見据えてはいたつもりだが、とても追いつくことのできる力も無い。最後は ペース走のような上がりで走ってしまった。 ちなみに、タイムは39分を切っていたのだが、ラスト4キロからの1キロずつの距離 表示を信用するならば(1キロ毎、ほぼ4分のペースで走っていた)、前半の入りが 速過ぎるので、どうやら10キロの距離が短いように思うのだが・・・。 さて、この大会では、写真撮影サービス、というのがあって、レース中の写真と、 たて看板の前での記念撮影を撮ってくれた。後で送られてくる完走証とともに、レー スの雰囲気を伝えるものとして、嬉しいサービスだった。 |
5.21 | 明日香合同練習会(約19キロ) |
1時間33分35秒 | |
明日香村石舞台古墳前公園を会場に催されるこの合同練習会は、明日香古京 走ろう会主催で、今年は奈良県下の走友会はもとより、広く近畿圏から180名 以上が参加した。 高取山往復のタフなコースもさることながら、アフターランの親睦会がお楽しみ。 お弁当・飲み物(もちろんビールである、お茶も配給される)・抽選会つきで、会費 が1500円というのは、とっても参加しやすい。 昨年のこの会には、快走クラブの有志として、5名だけで参加。ほかのグループは みな、走友会単位の10名以上で参加していて、我々としては少し寂しかった。でも 練習会と親睦会の内容には、大満足。というわけで、今年はクラブ行事として、大々 的に17名で参加できた。 昨年の、時間差スタートの、ペースメーカー付の練習会と違って、今年は、全員が 同時スタート、おまけに1週380メートルの芝生広場を3週してから公道に出て、 後は一気に高取山を目指すという、レース色の強い練習会。おまけにゴール地点 には、大きな電光時計まで設置されていた。 けれども、往復19キロのコースの、どこで折り返してもいいし、あくまでも練習会、 という主催者側の意向を理解して、私は走り始めた。 今日は、大阪から村本みのるさんも参加されていた。身近に一緒に走らせてもら える機会や、話してもらえる機会などめったに無いので、たいそうわくわくして、なる べくついて走れるように近づいていった。 さらに、奈良マスターズのわれらが女王こまえ姉さん(京谷こまえさん)も登場。前を 行く村本さんとこまえ姉さんの走りに見とれながら、まだまだ30歳台の私ががんば らなくては、と気合を入れていた。ほんとうに走りを見ていたら、お二人とも50歳台 というのは失礼な感じ、私なんぞのうんと前を走られているのであった。 下りの急坂で膝に違和感を感じながらも、夢中になってゴールまで走りきって、後の お楽しみは、ビールと親睦会。さあ、お弁当も配られたことだし、お腹もすいて、いざ いただきます。…ところがあと何名かの仲間がなかなか帰ってこない。 うんと心配していたら、袋いっぱいの草いちごを摘んで、数名のグループで帰って きた。何でも、道中の道端で見つけたらしい。 真っ赤な草いちごは、口に含んでもほんとうに甘い。こりゃ、立ち止まって、自主 給食所を開設して、お腹いっぱい食べてしまうはずだ。走っている最中にこんなもの を見つけるなんて、胃袋ともども、ほんとうに走ることを楽しんでいるんだなあ。 おまけに、小さくて可愛らしい白い花もいっぱい摘んできた。ニセアカシア(ハリ エンジュ)という花で、湯がいて甘酢につけるとおいしいという。生駒山中で採れた ものを、すでに調理して持ってきてくださっていて、これは格好のビールのおつまみ になった。 ほんとうに、走ることと、食べることは大きな楽しみだ。 おまけに後の抽選会では、主催者の一人、石崎富士子さんが畑で育てたという えんどう豆をあてていただいて、これまた豆ご飯もよし、卵とじも良しの絶品 だった。 この、明日香古京の合同練習会は、毎年5月第3週に行われる予定だそうだ。 評判がよいため、どんどん参加者が増えていくようだが、レース化せずに、あく までも練習会と して、新緑の明日香石舞台周辺をみんなで楽しんで走る機会としてほしい。 |
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5.28 | 第13回青山町つつじクオーターマラソン(10.55Km) |
44分56秒 | |
私は近鉄沿線に住んでいるので、三重県青山町には電車一本でGO! 乗り換えなしの便利さがいいな、と思ってエントリーしてみた。 ところが前日からの低気圧の接近で、雨も予想されてしまった。 運良く雨だけは上がったけれども、青山高原の上は、視界3メートルの霧の中。 雨は降っていないのだが、深い霧のため、髪の毛からしずくが滴るほど、しけって いる。 高原に咲くつつじと山々の景色を楽しみにしていたのに、どこがどうなっているの かもわから ない。 幸い、レース開始時には霧も少しは晴れて、前を行くランナーの背中ぐらいは追う ことができるようになった。 高原の三角点近くを発着点としているため、コースはまさに尾根沿いのアップダウン の連続。スタート直後からかなり急なのぼり坂で、その時点で足がつったのかもは やリタイアをしている人も数人いた。 もしも霧がスカッと晴れていて、コースの先々が見通すことができていれば、あまり のアップダウンにぞっとしてしまっていたかもしれない。 とにかく上りの苦手な私は、どんなコースかもわからないため、決して無理をしない よう、上りでがんばりすぎないよう、のろのろと足を進めていった。ところが、脚筋力 の衰えから、下りも思うように走れなくなってきているので、くだりでも自重しなければならない。 要するに、良いところなしの状態。 おまけに今日は風もすごい。「尾根伝いだから、強風が吹くんだろうなあ。」と、自分 で納得して走っていると、コースのすぐ脇に現れたのは、三重県久居市の風力 発電所の大きな風車。それらがぐるぐる廻っている。要するに、ここは年がら年中 風が強くて、発電できるほどなのだ。今日はさぞかし、たくさん電気が生み出されたに違いない。 折り返して、残りも3キロとなると、いよいよ足も動かなくなってきて、ここまでずっと ついて走っていた男性ランナー陣からもじりじりと離されていく。我慢のしどころ、と わかっていても、もうついては行けない。後ろからもどんどん追い上げられ、一人、 また一人と抜き去られていく。スピードも スタミナも無い状態を痛感する。 長い距離をゆっくり走る練習をしなければ、マラソンむきの足ができない。 長い距離をじっくり走ることのできる脚が無ければ、納得のできる練習もできない し、ましてレースでもジリ貧傾向が続いてしまう。 何とかどこかでこの悪循環から抜け出さなければ・・・。 |
6.4 | たたらぎダム湖ハーフマラソン(ハーフ) |
1時間26分50秒 | |
とてもきれいなダム湖と評判の景観を楽しみにいってきた。 クラブ・シャンゼリゼの田中久子さんご夫妻の車に便乗させてもらって、時速 160キロを超える快速ドライブで会場到着が7時過ぎ。 10時30分のスタート時刻まで十分間があるので、ベンチに座ってゆっくり朝食 を食べ、アップダウンのきびしいコースの下見がてら、散歩までしてしまった。 確かにスタート直後から2キロ地点ぐらいまでの上りはものすごい。ウオーミング アップで走っている人がいたが、私は歩いてのぼるのが精一杯。スタートから1 キロ地点までを、4分45秒以上で走ろう、これより速く走ってしまうとオーバー ペースになるに違いない、とひそかに作戦を練る。 ダム湖の青い水はたしかに綺麗。湖の形も星型のように入り組んでいる。レース になって走り始めると、景色はちらりと見ることしかできなくなってしまうので、散歩 のときに十分散策しておいた。早く到着したおかげで、人もまばらだったので、高 原の朝を楽しむことができた。 なんやかんやのうちにあっという間にスタート時刻。 最初の急坂をどんどん飛ばしていく人もいたが、私は自分のペースを守ること に努め、抜かれても抜かれても、どうぞー、という感じ。1キロ地点で腕時計を確認 すると、ぴったり予定通りの4分45秒。決めたペースの通り走ることができるのは 自分の調子がわかっている証拠だとおもう。 その後の細かなカーブとアップダウンを何とかこなして、折り返し手前のトンネル まで来る。きょうは薄曇りとはいえ、トンネルに入るとその涼しさにほっとする。 かんかん照りで無くってよかったと思いつつ、ようやく折り返し。これまでの1キロ 毎の距離表示が、残り距離数の表示に変わって、気分的にも楽に感じることが できる。折り返してからは、くだりのほうが多いようで、足も楽に進む。とは言い つつ、呼吸も筋肉も結構めいっぱい。 時折下りでものすごいスピードで抜かしていく男性がいて、あっけにとられながら も、どんどん見送るのみ。ラスト3キロを過ぎてからののぼりを、がんばり過ぎない ようにゆるゆると走って、ラスト2キロからは下る一方。まわりの男性ランナーの すごいスピード感につられて、私も転がらんばかりに足を回転させて、あっという 間にゴールに飛び込んだ。ラスト1キロを3分15秒で走りきったのには、自分でも まったく驚き。 今日は、前半と上り坂を押さえて、気分的に無理をしないように、楽に楽にと言い 聞かせて走って、最後までうまく足が動いてくれたように思う。 ペース配分の大切さを、またまた痛感した。 走り終わった後は、公園のあちこちに水道の蛇口があるので、腕に水をかけたり 足を洗ったり。水が綺麗なので、噴出し水に足を浸している人多数。私も男性に 混じって、一緒になってタオルで体を拭いたりしていた。ちょっと、はしたなかった でしょうか? |
6.11 | OTTYマラソン(10Km) |
38分33秒 | |
先週のハーフマラソンの10キロ通過が41分台だったので、それに気をよくして、 本日10キロレースの目標は、42分を切ること。 プログラムで確認すると、私の年代の大会記録は三田市の森恵利さんの持つ 42分台。何とかそれを突破するようにとスタートを切った。 ところが、人間欲を出すとろくなことが無いようで、最初の上り坂から気負って 飛ばしすぎてしまい、1キロを4分ちょっとで通過し、息も上がって明らかにオー バーペース。そのあとの細かなアップダウンのコースですっかり足も動かなくなっ ていると、中盤で後続の女性ランナーに追い越される。しばらく後を追い並走す るも、残り3キロを過ぎてじりじり離されてしまう。大会記録は更新したものの、 2着ではあまり望ましい結果ではない。 OTTYマラソンのコースは、公園内の周回コースだが、曲がり角やアップダウン が多く、見通しもききにくく、決して走りやすいコースではない。相当な脚力を持っ てしないと、走りきれないコースだと思う。それでも、昨年より参加者が200名 ほども増加している(主催者発表による)のは、この難コースに挑もうとするつわ ものが増えているということだろうか。 今年の春からのレースで、明らかに実力が上だと思われる女の人に次々と出 会っている。いままでの女子マラソンなどでは、出会っていない人たちだ。 速い人はどこにでも出現するものなのだ。 |
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OTTYマラソン・エンジョイジョギング(2Km) (仮装賞獲得) | |
18分00秒(ジャストタイム賞獲得) | |
今年もやりました、エンジョイジョギング(2Km)での仮装チーム。 今年のテーマは、「ここはOTTY動物園」。 男性陣は、牛・ニワトリ・はち・くまに変身、女性陣はセクシーにチャイナドレス で出走。(でも、足元がランニングシューズだからなあ・・・) もうすぐ3歳の坊やもファミリーで走ってくれて、その子をおんぶしたり、手を引い たりしているうちに私たちのチームはどんどん取り残されていってしまう。しかし これが功を奏してか、主催者側の秘密のゴールタイム設定にジャストタイム賞と なった。 設定されたゴールタイムは、今回の大会が18回大会ということで、18分だった のだ。私たちは誰もタイムを図っていなかったので、後で賞を獲得してびっくりした。 狙っていた仮装賞は、今年は2位。1位を獲得したのは、朝から阪神タイガース の仮装で会場内をパフォーマンスしていた2人組み。彼らは、この仮装ランのた めにやってきたんだろうなあ。 レースの後はお決まりの野外パーティ。心配された梅雨時の天気も回復して、また またおなかいっぱい食べてしまった。実は、今日もカセットコンロを持ち込んでの 飲食だったのだが、公園内は火気厳禁だったそうだ。われわれは駐車場のアス ファルトの上でやっていたので、まだましだったろうが、警備員の人に注意されて しまった。いくら楽しくても安全確認をしていても、ルール違反はよくない。来年から は、このOTTYでは、趣向を変えなくては。 それにしてもOTTYマラソンは、本当にイベントが多くて忙しい。まず、会場到着 直後からフリーマーケットを覗き、戦利品を獲得するまでうろうろしてしまう。「小川 さん、レースの出走時間を忘れないように。」とまで言われるほどの念の入れよう。 ようやくレースモードに切り替えて大慌てでウオーミングアップ。10キロを走った 後のお色直しから、エンジョイジョギングへと、プログラムはどんどん進んでいく。 一緒に参加している大阪快走クラブの仲間も次々と入賞を果たし、最後まで仮装 で盛り上がる。 梅雨の晴れ間をぬって、丸1日、楽しんでしまった。 |
6.17 | 和歌山マスターズ講習会 |
日本マスターズ陸連の発祥の地、和歌山マスターズ20周年記念の特別講習会。 メインは、増田明美さんを招いての講義と実技講習。 間近で見る明美さんは、TVよりもずっとほっそりしていてきれい。「飛行機で 到着したばかりなんです。」という移動用の私服から、講演用のきれいなワンピー スに着替えての登場となった。 講演が始まったら、TVよりもずっと、しゃべるしゃべる・・・。耳に聞きやすい声と 発声で、どんどんおしゃべりは続いていく。明美さんも毎日1時間のジョギングは 欠かさないそうだが、走ることは大いなる気分転換・リフレッシュに役立っている そうだ。 客席の私たちの全体をしっかりと見渡して、さも、ご近所のおじさんおばさんたち に話し掛けるように話してくださって、とても親しみがもてた。語り口調は、さすが プロ、とうならせるものだったが・・・。 講演の後は、パート別に分かれての実技講習会。 私は長距離パートだったので、講師はもちろん増田明美さん。 軽やかでリズミカルなジョギングフォームは、普通人とは全く異なる筋肉の持ち主 であることを納得させる。ジョギングの1歩1歩が、弾むようで大きなストライドな のだ。ジョグ、というとどうしてもとぼとぼ&チョコチョコと小またで走ってしまいがち なのだが、明美さんのフォームは全く違う。いつでもスピードを出せるような、伸び やかな走法だった。身長156センチの私と並んでもたしかに小柄だ、その体が 本当に伸びやかに弾んでいる。 そんな明美さんが、紹介してくれたのは、ジョギング中に行う5種類のサーキットト レーニング。走っているだけだと、どうしても同じ筋肉ばかりを使いがちなので、腕や 胸、大腿部や足の横側の筋肉などを意識して使うことのできるトレーニングだ。横向 きのギャロップなどは、一生懸命やろうとすると息も弾んでくる。スキップを中心に腰 の位置を高く保ち、スムーズに走りに生かせるように練習しなければならない。 5種類のサーキットトレーニング、内容はどれもとても濃いものだ。けれども、いず れも動作が大きいので、一人でジョギングしているときに、手足をばたばたさせたり するのはどうも恥ずかしい気がする。誰も見ていないところで、または暗闇で練習 すべきだろうか・・・。 もうひとつ、市民ランナーにとって、簡単なスピード養成法として教えてもらったのが 「ウエーブ走」。これは、ジョギング中に、気が向いたところで、「次の電信柱までちょっ とがんばってみよう。」とスピードアップするもので、距離や回数は自分次第。要する に、走りに変化をつけよ、ということだろうか。ただ、毎日とぼとぼとジョグを繰り返す だけでは、やはり筋肉に刺激がないのだろう。 これも大いに参考になったが、よっぽど元気なときでないと、一人で行う「電信柱 ダッシュ」は、やる気が起こらないだろう。 今の私は、気持ちが走りたくても、足が「もうしんどいよお、くたびれたよお。」を連発 している状態。朝、起きたときに、足が「早く走りたいよお。」と言ってくれるのは、い つのことか・・・。なかなかうまくいかないものだ。 |
6.18 | 新スポ連兵庫武庫川記録会(10Km) |
41分56秒 | |
4月の武庫川駅伝に参加している各クラブの交流会として企画してもらったこの 記録会。ちょうどこぢんまりと4クラブ参加で行われた。 いつもと違ったところで走る練習会のつもりで参加したら、案の定、ペース走のよう な走りになってしまった。1キロの入りが4分20秒と、一生懸命走っているのだが、 これ以上のスピードは出ない。半分で折り返してからは、何とか前を走るランナーを 目標に、「記録会とはいえ、あきらめるな!」と自分に言い聞かせながら走って、やっ とこのタイム。幸いと言えば、風の影響もなく、前半よりも後半のほうが上がってきた ということか・・・。 今日も三田市の森恵利さんは元気元気!なんと、三田の自宅から、武庫川下流の 会場まで、走ってやってきた。大阪市内に勤める恵利さんは、通勤ランと称して、本 当に勤務先から武庫川上流の三田市まで走って帰っていると言う。本当にただ者で はないことが、よくわかるのである。 |
6.24 | 関関戦健康マラソン大会(約4Km) |
16分20秒 | |
梅雨の合間の土曜日に行われるこの大会、我が家では妹(=ぎん、こと西岡貴子 =泉北ランニングクラブ所属)と父が関西大学OBなので、私までもが懐かしい感じ で参加させてもらった。 久しぶりに訪れる関西大学は、立派な校舎が立ち並んでいて、総合大学のキャン パスらしい。敷地内の奥まったところに、6コースながらも400m全天候公認の 陸上競技場があって、すばらしいものだった。このトラックを発着点に、学内一周 約4キロのコースだ。 関西大学と関西学院大学の交流、そして大学生と市民の交流を図るために行わ れている健康マラソン、決して速さを競うものではない。 が、元気いっぱいの大学生たちは、めいめいのクラブのユニフォーム(野球部は 野球のユニフォーム、といった具合)を着込み、お互いクラブ内などでライバル 意識があるのかしていかにも血気盛ん。号砲の鳴る前に飛び出していった。 キャンパスをぐるりひとまわりするので、校舎と校舎の連絡ブリッジのようなところ を通ったり、また階段があったり。決して走りやすいコースではないのだが、そんな ことはささいなことだ。木陰が多くて、緑に覆われたキャンパスであることが快適 だった。 いつもの市民ランナーの大会と違って、大学生たちに混じって走るのは実に気分が 良い。最初に飛ばしすぎてバテている男子学生を追い越したりするのも、おばさん ランナーとしては爽快だった。 走り終わって学内を歩いているだけでも、大学生の気分になったりする。さすがの 厚かまし屋の私も、学生生協などに立ち寄って買い物、とまでは行かなかったが・・。 また、「レース後、まだ走り足りない人は、この400mトラックを自由に使ってくださ い。」 との、青木積之介教授(大阪マスターズでご活躍)のありがたいお言葉。 こんなことだったら、来週の走り幅跳びの練習のため、スパイクなんぞを持ってくる んだったなあ。(どっちみち、ぶっつけ本番でいくことになるだろう。) |
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