……淀川ランナーズ入会のいきさつ……

  
   私が淀川ランナーズに入会しようと思ったきっかけは、まさしく
  義藤さんとの出会いによるものだった。

   まだ、私が自分の意志で走り始めて4ヶ月ばかり過ぎた97年1月の
  ころ、次なる目標を篠山マラソン完走においていた。そのためには
  ハーフマラソンを走ってみなくてはならない、と気づいたときに
  初めて買ったシティランナー誌に、摂津淀川月例マラソン大会開催
  の記事が載っていた。ハーフの部もあったし、当日参加もできると
  いうので、とりあえず問い合わせてみようと廻した電話番号の先が
  義藤さんだったのだ。

   「初めてなんですけど、ハーフを走ってみたいんですけど…。」と
  あつかましく切り出した私に、「本大会にて10Kを3回完走した人
  がハーフを走ることができる」というルールを説明してくれた。
  ちょっとがっかりして、「それじゃあ、10kを走らせていただきま
  す。」と答えると、こんどは義藤さんの方からいろいろたずねてく
  ださった。

   「走暦はどれくらい?」「半年ぐらい走っています(見栄を張って
  少し多めに言ったりしたものだ)」、
  「月間どれくらい走っているの?」「100キロが目標です」、「次は
  どんな大会に行くの?」「3月の篠山マラソンです」「うーん、それ
  だったらねえ、日曜日に時間が取れるんだったら、わざわざうちの
  大会に来て10Kを走るよりも、ゆっくりでいいから淀川べりでも20
  キロほど走っておいた方がよっぽどいいよ。LSDっていうんだけ
  どね。」といろいろアドバイスをしてくださった。

   今までまったく一人で布施の商店街を夜な夜な走っていただけだっ
  たので、こんなふうに教えてもらったのが嬉しくて、しかも大会参加
  を断りつつアドバイスしてくれるなんて、儲け主義ではなくて良心的
  だなあ、と感動してしまった。

   きっといい大会に違いない、と一発で確信した私は、義藤さんから
  受けたアドバイスにもかかわらず、その週末は摂津淀川月例マラソン
  大会に出かけて行った。

   電話だけで話しをした義藤さんという人に会いたさにでかけた大会
  だったが、その日は参加者も多く、初参加で緊張していたこともあっ
  て、義藤さんがどの人なのか探すことも尋ねることもできなかった。
  私の参加した10Kレースでは男性ランナーのレベルが高いのもさるこ
  とながら、とても速い女性ランナーが二人もいて、光っていた。

   それもそのはず、レースの後の表彰式で紹介があったのだが、その日
  は大阪国際女子マラソンの1週間前だったので、淀川ランナーズのメ
  ンバーが調整のレースとして10Kを走っているのだという。

   漠然とした憧れであった大阪女子マラソンという国際大会に出場する
  人が目の前に2人もいるのだ、といたく感動したのを覚えている。

   完走できた満足感とエリート女性ランナーを間近で見ることができた
  ミーハー的な喜びに浸りつつ、気分を切り替えて仕事先に向かっていっ
  た。

   (この時の、若くて色が白くて少し丸顔だけどやたら速い女の子が
   西村のかっちゃんで、走る姿やウエアーも決まっている女の人が
   小林さんだった)

   大会の後しばらくして今度は義藤さんの方から電話を下さった。きっ
  と大会の申込書に記入した名前と住所から探し当ててくださったのだ
  ろう。

   「一人でがんばっているんだったら、うちにもランニングクラブがある
  から、入会して仲間と一緒に走らない?」といった思いがけないお言葉
  をいただいた。「わたしがこの淀川ランナーズに入れてもらうというこ
  とは、あの格好いい二人の女性ランナーともお近付きになれるというこ
  とだ」などとまたまたミーハー気分を膨らませながらも、レベルの違い
  を理由に入会を保留してしまった。もうすこしちゃんと走れるように
  なってから堂々と入会したいと内心思っていた。

   その後、3月の篠山マラソンを何とか目標に近いタイムで完走した私
  は嬉しくてその日のうちに義藤さんに入会申し込みの電話をしてしまっ
  た。
  同じ篠山マラソンでの入賞者一覧の中に淀川ランナーズの女性ランナー
  の名前もあって(それは野村ひーちゃんだった)、「こんなすごい人たち
  のいるクラブに入会させてもらうのだから、自分も頑張らなくては…」
  とぴりっと気合いを入れていた。

   ところがその舌の先も乾かぬうちに、わたしはフルマラソン完走の疲れ
  がもとでおおきく体調を崩し、夜中に心臓発作を起こして救急搬送され
  異型狭心症との診断を下されて、ランニングはおろか社会復帰もできる
  のかとの取り越し苦労をしてしまうほどの入院生活を体験する。

   当然、淀川ランナーズへの入会申し込みは延期どころか取り消しを申し
  出なければならない。電話だけでしか話したことのなかった義藤さんに
  会えずじまいで終わっていくのは大変残念だったが、こちらはいつ退院
  できるかも分からない入院生活を余儀なくされているのだからいたしか
  たない。迷惑をかけないうちにはっきりと入会を取り消しておこうと、
  絶対安静のベッドから抜け出して点滴の注射針を指したままの腕で公衆
  電話から義藤さんに電話を入れてみた。

   ところが2〜3日前に元気な私の声を聞いている義藤さんは、事情が飲
  み込めずに「?」「?」「?」それどころか「4月に駅伝があるから、
  そのメンバーに入れておく」という。
  「とてもそれどころではないのです、」と私がいくら説明しても「?」
  「?」「?」私の入会申し込みはそのまま受理されてしまった。

   しかし幸いにして4月初めに退院でき、「普通の生活をしてもいいで
  すよ」とのお医者さんのお墨付きもいだだいて、軽いジョグぐらいなら
  体にもかまわないに違いないと自分で決め込んで、大事にしまっていた
  ジョギングシューズの埃を落として走る準備を進めていた。

   すると今度は、小林さんから直接電話を頂く。小林さんは、私にとって
  は1度出会っただけだが超格好いいエリートランナー。もちろん話をし
  たこともなかったし、小林さん自身、電話をかけている先の小川という
  人物を知らなかったに違いない。しかし、同じ淀川ランナーズの仲間と
  して丁寧に電話を下さったので、これまた私は舞い上がってしまって、
  「週末の駅伝は、メンバーがぎりぎりなのでよろしく頼みます」との言
  葉に、二つ返事で「行かせていだだきます」と答えていた。

   「退院直後なのに、駅伝大会なんてとんでもない」という母親に、「初
  めて会うチームの人たちの応援に行くだけだから」と言い訳して、久々
  に外の空気を吸いに出かけた。

   しかしよく考えてみると、私は淀川ランナーズの人を誰一人として知
  らない。もちろん小林さんだけは顔や姿を覚えているが、小林さんは私
  の顔など知る由もない。どうやったらうまく皆さんと合流できるのかな
  あ、などと不安になりながら大会会場の花博記念公園をうろうろしてい
  た。

   しかしあの格好いい小林さんが、人並みの中で目立たないはずがない、
  案の定すぐに発見することができて、おずおずと近寄っていって「あ
  のー」と声をかけると同時に小林さんの方から「ああ、よく来てくれて
  ありがとう」とまで言ってもらってとっても嬉しかった。
  (小林さんにはこの後もずっと親しく声をかけてもらってお世話になっている)

   ほかのメンバーの人たちにも、「はい、ここに荷物を置いて」「着替え
  るのはあっちだから」
  「雨が降りそうだから気をつけて」などなどいろいろ世話を焼いても
  らって、始めて合流したひとたちなのに親切に声をかけてもらって、
  私を淀川ランナーズの一員として迎え入れてくれているのだということ
  がとても有り難かった。

   いちばん嬉しかったのは、「さあ、小川さん、ジョグ行きましょう」と
  ちゃんと名前を呼んでもらって誘ってもらったことだ。ウオーミング
  アップに5キロも走るというので驚いたが、女子駅伝のメンバーに男性
  も交えてゆっくりと走り始めたのでついていった。10名ほどがひと
  かたまりで走っていると、いかにもランニングクラブ、という感じで
  自分がその中にいるということが新鮮な驚きだった。大病を患ったあ
  とで、身体を動かすのはおっかなびっくりだったが、みんなと一緒に
  いると身体も軽く感じる。

   この日に撮ってもらった写真を見返してみると、皆と並んで控えめだっ
  たがにこにこ笑った私が写っている。

   こうして自然ななりゆきで淀川ランナーズと出会っていったのだった。
  そしてその後もほんとうにお世話になって、ありがとうございます。

  

 
     

    

 
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